第26話 深層と表層
テレビでは関東中心の巨大麻薬組織〝スティグマ〟が壊滅したことを、ひっきりなしに報道していた。
現場の画像には、横転して黒煙を上げている車が映し出されており、白髪の混じった麻薬捜査官がインタビューを受けていた。
『警視庁・薬物銃器対策課の菅田捜査官にインタビューしたいと思います。おめでとうございます、今回の事件では、素晴らしい功績を残しましたね』
「ええ、とても危険な任務でした」ばっちりのカメラ目線で映っている。
『銃器も大量に見つかったとのことですが、銃撃戦があったのでしょうか』
「ありました。しかしどれだけのリスクがあるか、現場に敵のエージェントが何人いて、こちらのSWATが何人いるか――一般の市民がどれだけいるか。すべて把握しなければ作戦はたてられません。一瞬の気の迷いが、すべてを台無しにしてしまう。そんな現場でした」
『すべて作戦通りだったんですか』
「いえ……誠に遺憾なことですが、我々の組織にも敵方のスパイがおりました。作戦は隠密に、ほとんど私の単独の判断で行いました。これは、大きな賭けでした。これは持論ですが……」
電源を落として親父が言った。ゆったりとしたバスローブにコーヒーカップを持って、すっかり隠居生活を楽しんでいるような爽やかな顔付きだった。
「佐竹って男、どこかで見たことあるのぉ。まあいいわい」
※
母さんは消毒薬と包帯を使って俺達を看病してくれた。血行のいい肌付きでテキパキと傷を消毒している様子は、俺たちが子供のころの母親の姿そのものだった。
驚いたことに母さんの心臓の手術は既に終わっていた。たかしが体調はいいのか聞くと、信じられないくらい良いと微笑んだ。病気は完治にむかっているという。
親父のテクノロジーが使われた革新的な手術は、正式な方法で行われたそうだ。
当の親父に何の悪気も無かったので、俺たちは戸惑った。心配をかけたくなかったために、言葉が足りなかった。そのせいで、余計に兄弟に心配をかけたと言って、俺達に謝っていた。
「心配かけてごめんね」
「ああ……今朝にいきなり現れたことと、ひどい喧嘩。またいろいろと心配をかけたよな。お互い様だな。具合、良くなってよかった」長男は頭を掻いて言った。
「やっぱり、篤士は優しいのね」
「ああ、知ってる」
兄貴はもじもじとして、母親と話していた。男三人をまとめることが、どれだけ大変なことか分かったとか、会社を辞めてしまったこととか。母さんは、一人前の男は、何十人いようが邪魔にはならないと言った。
仕事はゆっくり探せばいいと。少し男尊女卑に聞こえなくも無かったが、母親が言うならそうなのだろう。
「あと、婚約したって言ったけど、上手くいかなかったんだ」
「そうなのね……ゆっくり歩いていけばいいのよ。焦る必要なんてない」
「そうだよな。彼女、すごく親切だったから…てっきり俺のことが好きだと思ってたんだけどさ。俺と付き合ってるって思ってもいなかったらしくて」
「……そこまでゆっくりじゃなくていい」
「あはははははは!!」
俺たちは腹を抱えて笑った。兄貴はこぶしを振ってみせたが、表情は緩く温かく感じた。
俺と崇士は不思議に思った。こんなに母さんが元気そうなら、さっさと電話でもして連絡を取り合えばよかったと。
このクソ兄貴が母親に、婚約解消になったことや退社したことが言いだせなかったのも原因だったようだ。そして今まで携帯やスマホを持っていなかった親父とも連絡が出来るようになった。
政府の仕事から、やっと解放されたらしい。大陸間弾道ミサイルをレーザーで撃ち落とす研究をさせられていたそうだ。オタクの俺は興味深くなって聞いた。
「すごいな、そんなこと出来るんだ」
「もちろん出来ない。おかげで心臓のほうの医療研究がはかどったわい」
「あははははは!!!」
おまけに十年前に見つけたサイコパス診断は、親父が捏造したおふざけだと分かった。同じ研究所内の性格の悪い同僚に、嫌がらせをしたかったらしい。
ほんの軽いジョークとして。
「いい旅だったか、みんな」
「ああ。いろいろあった」兄貴が言った。
「財産とは何か、わかったんじゃないか? 実は……わしに金はあんまり残っておらん。全部、医療関係の発展やエネルギー工学の発展にまわしてしまったからな。借金は無いから安心してくれ」
「はあ? なんだって。どういう意味だよ」
手術の前に母さんが心配していたそうだ。兄弟の仲がとにかく悪くて困っていると。なら、兄弟そろって旅行でもさせよう。
少し難題を与えて協力させれば、君たちは家族の大切さ、兄弟の大切さに自ら気が付くだろうと思ったそうだ。
それこそが本当の財産だと気付くはずだと。それで、アンドロイドのターミーを日本橋に送ったというわけだ。
ターミーの名前の由来はターミネーターではなかった。語源はターミナル、直訳は輸送。目的は単なるお目付け役なので、〝ダミー〟の意味を含んでいるそうだ。
人工知能(AI)は大手企業が開発した一般的なものだし、変装機能も最新ではあるが市販のもの。
ちなみに軍事用でもないわけだが、子供たちに危険があってはならないと最新の防衛機能プログラムを搭載していたそうだ。親父たちの過保護のおかげで、救われたことになる。
各々の異なったプログラムを、キリハタ製の自立型二足歩行アンドロイドにまとめて搭載し、独自のエネルギー循環システムによってシステムの連続性を高めた。
追加要素と言えば、河本のPCからネットゲームの情報をインストールしたこと。
だとすれば、もう一度あのルシエル・ターミーに会うことは出来るだろうか。
「菅田さんに連絡したけど、ブラックボックスみたいなものは見つからなくて、復旧は不可能だって言われたよ」たかしは携帯をテーブルに投げた。
詳細なキャラクター情報、アングラ、ネットゲーム界の過去ログ、そういう無意味に見える膨大な情報が、ターミーに何らかの影響を与えた可能性はある。
まったく同じ情報をあたえたとしても、それが俺達の知っているルシエル・ターミーだと言えるのだろうか。
同じ道のりを共に歩んだ、あいつと同じものなんて作ることは出来ない。同じ顔、同じ声、同じ情報をいれたところで、それはターミーじゃない。河本も、たかしも頭を抱えて座ったまま黙っていた。
「もう一度、ターミーに会いたかったな。会って、御礼が言いたかった」
《会いたいだなんて。わたしはここに居ますよ》
「なっ、何?」
「おお、どこにいるの?」
《目の前にずっといます》
「ターミー」河本が叫んだ。「ルシエルに変装して」
目の前にあった白いオブジェが、細かい菱形に割れていく。再形成されていくその形は、俺達のよく知っているルシエル・ターミーの姿だった。
「なんだってんだ! どうなってるんだよ」
《博士いわく……バックアップとらない研究者なんていない! です》
ターミーは定期的にネットから、情報データをこの屋敷に送っていた。初めから情報を共有した二対のアンドロイドだったそうだ。旅の進行状況や、兄弟の無事を親父と母さんに報告していたそうだ。
AIの学習機能には二つのニュートラルネットワークが必要だといわれている。敵対的生成ネットワークと呼ばれるものだ。
それが交互に競合することで、学習をすすめていくことが可能になる。俺は、あの晩にルシエルがぶつぶつと誰かと言い争っているような声を聴いた。
まるで表層と深層の心理が問答を繰り返すようにして、ルシエルは急激に学習していたのだ。
「新しいカツラと、洋服を買ってこよう」河本が、俺に言った。
「待て待て、ターミーに選ばせよう」
《いいんですか? レオタ見せ衣装、とても気に入っているんですけど》
「……僕の期待してた展開、キターーーッ!」
これから先も、俺達は兄弟でケンカするだろう。あるいは、お互いに助け合い、高め合い、人生を共に生きていくのだろう。きっと、最期の最期まで。
――それが、かけがえのない財産だと学んだから。
俺達の五百キロの旅は終わった。長男は京都にしばらく滞在して、親父の仕事を手伝うことになったが、俺達学生は河本と共に日本橋に戻ることになった。
もちろん、ルシエル・ターミーも一緒だ。
俺たちはひとつだけ忘れていた。もうひとつの組織〝マウンツ〟のことを。
第一章 完
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