第41話 殺戮マシーン
常磐道を飛ばしている途中、バックミラーごしに後部座席を見た清田は目を疑った。さっきまでいたのは、確かに娘の晴香だったはずだ。
二度見をすると、車線変更するバイクに危うくフロントをぶつけそうになった。ハンドルをしっかりと握りしめ、呼吸を整える。スピードを緩め、再度バックミラーを見る。
何がどうなっているのか分からない。酒も麻薬もやっていないから幻覚を見ているとは思えない。
「落ち着いて聞いてくれ……ガウリイル。晴香がデブになってる!」
《心配しなくても晴香は充分痩せてるわ》
「違う、デブのブタ野郎に代わってるんだ」
《自分が落ち着いて。今度はメスブタ呼ばわり?》
「とっ、とにかく後ろを見ろ!」
ガウリイルと呼ばれる女はゆっくりと後部座席を覗きこんだ。女装した河本が、横になって後部座席を独り占めしている。
《おおおおおいっ! 貴様、起きろ。いつの間に入れ代わった》
助手席は向きを変えようとする女の体で、ガタガタ揺れた。河本の胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてくるたびに、今度は車体が揺れた。ガウリイルというアンドロイドの体重は百キロ近い。
「いえ、初めからいましたけど」
《まさかサービスエリアで入れ換わったのか》
「とにかく高速は降りるしかない……危ないっ!」
前方に突如としてバイクが現われ、清田はハンドルを揺らした。質問を繰り返すしかなかったが、並行して走る物がいる状況で、精神の平衡を保つのは容易ではなかった。
「こ…このバイク。さっきから煽ってるんじゃねえぞ!」
対向車の影、自動車の窓柱、サイドミラーとバックミラーに映らない左後方と右後方から、急な路線変更……自動車の運転中に、バイクに並走されるのはいつも癇に障る。
《落ちついて、慌てることはないわよ。どうせ高速は降りるんだから》
「俺は、俺は落ち着いてる!」
清田は片手で自分の口を覆った。
――落ち着けだと?
そんな言葉を掛けられるとミスしたのは自分だと決められているような気がした。同行している貴様の責任はどうだ。
俺は運転に集中しなければならないんだ、というようなことを言おうとしたが、物笑いの種になるのも避けた方がいいと思った。
バイクはしつこく、後方にピタリと付けている。
――そうだ、避けたほうがいい。
確かに金を持ったガキ共は、売店に向かって歩いて行った。どうせ、タネが分かれば大したトリックではないのだろうが、自分が騙されたと思うとはらわたが煮えかえる思いだ。
運転中の精神状態は平衡に保たれなければならない。車体をコントロールしながら精神をコントロールするのは、難しいのかもしれないと清田は思った。犬が濡れた体を乾かすように、首をぶるぶると振った。
「少し、寄り道していこう。懐かしい場所に」
《……ほほお、あの倉庫ね》
清田は高速を降りると沿岸部へ車を走らせた。マウンツの集会で使っていた倉庫には、かつては二十トンのメタンフェミタンで埋め尽くされていたが、今はただの空の倉庫だ。
「これを始末してから、さっきのサービスエリアに戻るか」
《そのまま、連れていけばいいじゃない。殺す価値もない》
「始末っていうのは……どうやって入れ替わったか知りたいって意味さ。それにバイク野郎が後ろに付いて来ていやがる。なんのつもりか知らないが思い知らせてやろうじゃないか」
《ふん。衝動的な行為は避けたいところだが、あの倉庫なら大丈夫だろう》
国道から一方通行のいりくんだ道に入り民家を抜けると、海岸線が広がる。暗く倉庫が立ち並ぶ静かな場所だ。入り組んだ私有地を二十分ほど、進む。
――清田正樹は車を止めた。結局、煽り運転のバイクは付いて来た。このころには、精神不安定な可哀そうなやつだと思うようになっていた。
ライトに照らされたでかいバイクが正面に止まり、レーシングスーツを着たフルフェイスの男が座っている。ドアを開けるが、清田は立ち上がらずに叫んだ。
「事故りそうになったのは済まなかった。今すぐ帰ってくれるならキミを訴えなくてすむ。煽り運転は車載カメラに録画されてるぞ」
「……」
フルフェイスはエンジンのかかったままバイクを降りた。足元の鉄パイプを拾うと、素振りをはじめる。
《ふん……地元のチームが無くなると、ああいう輩が増えて困るな》
「まったくだ」
清田と女は車の両端から降りながら愚痴を言った。
「そうか、分かったぞ。録画されていると思ったから、わざわざ追いかけてきたんだな? 心配するな、録画なんかしてない。金をやるから、さっさと消えろ」
フルフェイスは鉄パイプを構えたまま、左手をくいくいと向けた。かかって来いというポーズである。
闘争心を煽る仕草……神は闘争心をあらゆる人間に与えるが、才能は一握りの選ばれたものにしか与えない。清田は、恵まれない体型のフルフェイスを見て、うんざりした。
何の努力も訓練もせず、根拠もなく勝てると思っている。こういう輩は嫌というほど見てきた。
「退かないようだな。どこまで強がっていられるかな」
《仕方ないわね……眠気覚ましに相手をしてあげるわ》
長身の女は漆黒の外套を脱ぎ捨てた。面長の顔と手足はポリカーボネートでコーティングしてあるが、胴体は違った。
肋骨には黒光りしたメタリックな鉄の塊が並んでいる。剥き出しになった背骨が原始世界の深海魚を思わせる。
《ククク……この埠頭には、お前のような愚者の死骸がたんまり沈んでいる。仲間がいて良かったな》
切れ長の目が笑っているように揺れた。速度を調整するサーボモーターの音がわずかに聞こえ、背中からスラリと抜き出されたのは刃渡りが三十センチもあるジャックナイフだった。
「……なるほど」
《!?》
フルフェイスの男ははっきりとした声をだした。ガウリイルの加工された音声と同じように、補正された音声が、ヘルメットの口元から拡張されているのだ。
「見た目のデッサンが狂ってる以上に、頭の中身も狂ってるようだな。ミシエル、マンティスフォーム!」
《なんだと!?》
大型バイクの前輪が抉り込むように後部へひっこんだかと思うと――長いハンドルが真上に持ち上がり、左右に広がっていく。
ヘッドライトは三メートル上から地上を見下ろし、両腕からは細長いチェーンソーのついた鎌が飛び出していた。
「………!!」
まるで鋼鉄で出来た巨大なカマキリだった。唐突に変形して異形なフォルムを見せられた清田は、胃が持ち上がってケツの穴がしまる思いだった。
「……ごくっ」
――なんだ。あのチェーンソーは、本物か?
「フハハハハ! 初めに殺戮電動カッターの餌食になるのは、貴様のようだな」
「なっ、なんだと!? バカめ。ガウリイルこそ最強のアンドロイドだ。見せてやれ」
叫びながら、後退りしていた。純粋に恐怖を感じ、ヘッドライトに当たらないように身を引いていた。そして暗闇なら漏らしてもバレないと本能的に感じていた。
《バッ…バカめが! 我は死神よ、貴様のようなガラクタとは格が違うのだ》
背中から更に四本の腕が、翼のように広がった。あばら骨のように畳まれていた腕には、それぞれ針やドリルのような拷問具が納められていた。
こんなバケモノを前にしてもガウリイルは引かない。こちらのバケモノぶりを披露するように、その巨体を見せつけた。
こんな現実離れした戦いになれば、常識のある人間なら行動より先に、頭で理解しようと互いにけん制し合うものだ。ガウリイルは無駄な解説付きで、カマキリに言った。
《この針に含まれる塩化カリウムは簡単に心臓を止める毒薬が入っている。貴様は既にロックオンされていることにも、気付かなかったようだな》
「当たりもしない毒薬には興味ないな」
埠頭に短い破裂音が三発鳴り響いた。
大きな鎌は実在するカマキリでは有り得ない方向に曲がり、フルフェイスのライダーに撃たれた弾丸を弾いていた。
「ぷっははは!! アンドロイドで勝てないとみると、素直に攻撃目標を
《だめだ、口では言い負かされる気がする。何者だ、貴様》
「この大型バイクの名はミシエル。この呪われし名前に聞き覚えはないか」
《こ、殺し屋のミシエルだと云うのか。いや、ミシエルはボクサーくずれの一匹狼のはず》
「ふっ……我が最悪にして、最愛の息子として産まれかわったのだ! あはっははあはははは!!」
《殺戮マシーンに我が子のような愛情を持つとは、かなりイカれた野郎だな。いつも上から目線で相手を笑うのはワタシの役目なんだが》
ミシエルからアイドリングしているエンジンの鼓動が感じられる。まるで本物の生きた怪物のようだった。
「お前みたいな変態メーテルに言われたくないが……この暴れん坊が、将来ぐれないか心配だ」
《その自信、ハッタリに決まってる。死ぬがい……い……イー…イー……イー……》
ガウリイルの音声接続が、途切れていた。
動きが止まっている。前進しようと高い踵の付いた足元を上げた瞬間、背骨を切断され頭から火花を散らしていた。
バチバチと音を鳴らし斜め前にゆっくりとうつ伏せに倒れるガウリイル。
――その背後に、透き通った肌の少女が立っていた。
清田はまたも自分の目を疑った。
「……貴様が、貴様がやったのか!? っていうか、お前は誰だ」
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