第5話 新橋から川崎
俺と弟は、口喧嘩は絶えないが、犬猿の仲という訳じゃない。
むしろ、長男という敵に対して共闘することは多々あった。いつからか距離をとり、会話も減っていった。上の兄弟二人とも成績が優秀だったのに自分の成績だけは伸びない。
そんな弟に俺は手を差し伸べるべきだったのかもしれない。
自分が兄から受けた教育という名を借りた暴力を知るあまり、弟に対して期待や応援をすることがはばかられた。腫れ物に触れる感覚になっていたのかもしれない。俺は弟に何もしてやれなかった。
言い訳すらしなかった。たかしが不良グループとつるむようになっても、好きにすればいいと放置していた。
何もかもクソ兄貴のせいにしているだけだ。兄貴は、そんな俺を見透かしたように肩にそっと手をかけた。
俺は何とか言って欲しかった。心配するなとか、そういうやつを。
「馬鹿め、心配は無用だ。すでに俺が警察に通報しておいた」
「はい?」
クソ兄貴は、もう一方の手でスマホを振りながら言った。
「うちの敷地に押し入った強盗がいて、木製のバットに指紋が残っているはずだから、犯人を見つけて指名手配してほしいと言っておいた。中田とやらは警告を受けるだろうな」
「ええっ! 警察を呼んだのか?」たかしが聞いた。
「ああ。実際に被害はないが、旅行にでるのでしばらく家を空けると言ったら、屋敷を見張ってくれるそうだ」
そう言いながら道端の石を拾って玄関に向かってスライダーのフォームで投げつける。窓ガラスが派手な音をたてて割れた。
「さすが、桐畑のお屋敷ってところだな」
二球目はドアに当たって跳ね返った。
「そういうわけで、警察が来る前に出発するぞ」
「何をやってるんだ?」
「リアリティーだ」
「兄貴……。今朝は高校近くまで来て俺に恥をかかせた。同級生達との人間関係をぶち壊したわけだが、夜には弟の仲間を通報したうえ、冤罪を被せようとしているってことかな?」
「あーん、そうとは言えないな。何故ならお前の交遊関係はオタクの河本だけだし、たかしの仲間は有害なクソ虫だから国家が管理するべきだ。まあ、お礼なら別にいらないぞ」
「自分以外の人間は違う価値観で人間を見ているって考えたことはない?」
「はっはっは、何を言ってるんだ……ない」
三投目は照明に当たってガラスの破片を撒き散らした。
たかしは警察沙汰にされた中田が、報復にくることを懸念して文句を言っていた。
動揺するたかしを、世間知らずの愚か者といい放ち、兄貴はさっさと出発の準備を整えていた。俺も長男の自己中心的な行動に納得していたわけではなかったが、着替えと荷造りを簡単に済ませ、ターミーの前に立った。
「何かあったら連絡してくれよな、桐畑。僕に出来ることがあったら言ってくれ」
「ああ、有り難う河本。必ず連絡するよ」
「よ、吉田さんにも連絡入れてくれよ。クビじゃなく休みだって」
「まさか明日から婆さんと二人で弁当食べようって考えてない?」
「友人として言ってるんだ。……本当はそうしたいけど」
「ふうっ、まあ心配してくれるのは有難い」
「これから修羅場だね。君たちが歌を歌って励まし合うと思うと、わくわくしちゃうよ」
「そんなことするわけない。さっさと帰れ」
去っていく河本に別れを告げ、警察の来る前に出発する算段を終えた。とはいえ、リュックにシャツとパンツを適当に放り込み、一番歩きやすいスニーカーに履き替えただけだ。
《セグウェイは、現在、公道での利用は禁止されています》
敷地からでる前にターミーが兄貴に言った。
「げっ! まじで歩くしか無ぇのかよ。なんか、方法があるはずだ」
「ともかく正攻法で行くべきだ。親父は、研究の手助けが欲しいんだろ? 実証データが取りたいんだ。素直に歩いて行くべきだろ、時間がかかったとしても。江戸時代には普通に歩いていたわけだし、なんとかなるだろ」
俺も棄権する気はない。そう分からせるように言った。弟が長男に聞いた。
「なあ、それより母さんは? 報告くらいはしなきゃ」
「京都の病院に移送されたんだ。親父と一緒にいる」
「え!? いつの間に」
《三人の認証が整いました。出発いたしますか?》
こうして、ばたばたのまま俺達三人と歩行型アンドロイドは着の身着のまま日の暮れた街へ、軽い気持ちで歩きだした。これから待ち受ける地獄を想像することもなく。
※
夜の新橋を抜けて品川まで、一時間ほど歩いた。ターミーは坂も階段も、難なく器用に歩き、道案内もしてくれる。
初めに音を上げたのは意外にも一番若く体力のあるはずの弟、たかしだった。まだ駅三つの距離である。電車にすれば、わずか十分の距離。
足に合った靴を買いたいので、どこか休める場所に入ろうと言う。たしかにブーツは長距離歩きには向かない。
「スニーカーとリュックを買え、バカが」長男は言った。
「今日は横浜まで行くつもりだったのに、ひとりのバカのせいで計画がくるった」
俺は不満を口にする弟も、無謀な計画を勝手にたて勝手に計画倒れした兄貴も無視した。その後、俺達は無言のまま更に九キロ先の川崎まで歩き続けた。
※
繁華街の格安ホテルに入り、解散する。
ターミーの端末から、宿泊費と食事代は電子決済にして支払うため、各自がバラバラに好きなものを食い、別々の個室に向かった。
俺は疲労と試験前の睡眠不足が重なり、すぐにベッドに倒れ込んだ。正直なところ、体中が悲鳴をあげていた。明日も同じような距離を歩くと思うとゲロを吐きそうになった。
兄貴はスポーツジムに通っていたし、弟は少年野球をやっていたから俺より体力があるかもしれない。そう思うと自分の運動不足が懸念された。
三十分後、部屋のドアがノックされた。一瞬、ここが何処だか分からなかった。寝ていたというより気絶に近い睡眠だった。ドアにふてくされた顔の弟が立っていた。
「金、かしてくれ。靴代」
黙って財布を出し、五千円を渡した。向かいの部屋のドアが開いており、長男が顔をだす。親指を部屋に向けてクイクイと動かしている。
「おい、たかし。こいつの充電器も買ってこい」
「はあ? どんなタイプのだよ」
「う~ん、USBの指す穴はあるんだけどよ。ちょっと見てくれよ」
たかしと俺は、兄貴の部屋の中央に立っているターミーを見まわした。
背中にポートは二つあった――ここから携帯スマホやなんかを充電できるようだが、本体を充電することは出来そうもなかった。たかしが、床に寝っ転がって足の付け根をまさぐっている。
兄貴の部屋のコーヒーテーブルには缶ビールとツマミ、付箋や雑誌が散乱してガレージセールのようだった。俺は兄貴に疑問を投げた。
「ターミーに直接聞こうとは思わなかったのか」
「聞いたさ。だが充電が切れかかって、スリープモードになっちまった」
「まさか、出発前に一度も充電していなかったのか? 充電の仕方が分からなくて途中でバッテリーが切れたら、どうするつもりだったんだ」
「知るかよ。俺はオタクじゃねぇから機械に詳しくないんでね」
今日歩いた十キロが無駄になるんじゃないだろうか。
そう思うと雁首揃えて偉そうな事を言い合ってきた俺達は、夜のハイキングを楽しんだだけのお間抜け兄弟ということになる。
「横浜まで歩く計画なんて、そもそも間違っていたじゃないか」
バツが悪そうにしている長男に嫌味のひとつでも言ってやろうと思った矢先、たかしがコンセントを見つけた。
「あった! ここのパネル開けたらコードが出てきたぜ」
「ああ、そこか。そこだと思ったんだ。ほら、頑張りましたシールを貼ってやる」
兄貴はたかしの胸元に丸いシールをペタリと貼った。何年も前に母さんが持っていたシールだった。たかしは口を開けて呆れた顔を向けた。
「……なんだよ、小学生じゃねえんだぞ? こんなシール一枚で喜ぶと思うか」
「くっくく、つい最近まで小学生だったじゃねーか」
礼も言わず、兄貴は俺達を部屋から追い出した。目も合わせずコンセントを指して、ベッドに寝転がりテレビをつけた。
このコミュ障に、二年前まで学力も、腕力も、何ひとつとして歯が立たなかった。
いま本気で殴り合ったら勝てるだろうか……と考えた。やってみなければ分からないが、やる価値もないだろうと思って寝ることにした。
「剥がしてやろうか? そのシール」
「やめろよっ! オレがもらったんだぞ」
「………お前らと一緒に旅するなんて自分が信じられないよ」
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