第10話 三嶋大社

 長男は〝休戦中〟といった手前、俺と弟に気を使っているようだ。園田さんという謎の女性は、すぐに帰って行った。


 もう二度と会うこともなさそうだ。昼飯には気前よく、名物のうなぎを食わせてくれた。もちろん、河本も一緒に。


 母親について隠していることを話すといったきり、タイミングを計っているのかもしれない。あるいは、話すと決めたことで気持ちが晴れたように見えた。兄貴はまだ何も話していないくせに清々しい顔をしている。


 ――話すことは、離すことと似ている。


 河本は静岡ホビーショーに行くらしく、しばらくはひとりで観光するそうだ。アーミースタイルのコスプレ美女と写真を撮って、新型の電動マシンガンや鉄道模型、城や戦艦のプラモデルと美少女フィギュアを堪能してくるそうだ。

 

 ムカついてきたので、さっさと追い返した。羨ましいに決まっている。


 桜の咲いた静かな小さな公園に入り、休憩する。このままの関係が続けばいいと思った。河本や園田さんと別れたあと、兄弟だけになった俺は自分が何故サイコパス野郎なのか気がかりになっていることを兄に伝えた。聞かないわけにはいかなかった。


「……お前には、ある感情が欠けている。それが何か分かるか」


「さあ、喜怒哀楽と羞恥心は人並みにあるつもりだが」


「恐怖心は?」 


「あると思う。人並みに」


 俺は弟と乗った自転車を思い出した。たしかに小学生には危険な遊びだと自分でも思う。弁解の余地があるなら、実験には危険が付き物だと教えたのは父や兄のほうだ。


 あれは研究だった。恐怖を克服するための。


「うむ、順を追って話そう。十年前――親父の部屋で偶然見つけた〝サイコパス診断〟の書類。目の前にいた弟に、チェックさせたら、可愛いはずの弟はサイコパスだった」


「なんだよ、それ!?」


 だからといって、まったく気にすることは無いと兄貴は取り繕うように言った。人口の三パーセントはサイコパスで、クラスに一人はいるらしい。


「サイコパス、イコール犯罪者ではないので、そこを誤解するな」


「もちろん俺は犯罪者じゃない。誤解されるような言い方はよしてくれ」


「診断起因説って、聞いたことあるか? こんな症状があって、こんな問題に気を付けて、毎週診断をうけにきてください。なんつーことを繰り返していたら、本当に病気になっちまうっていう話だ。もし診断すれば、お前は本物のサイコパスになっただろう」

 

「で? 兄貴は、俺がサイコパス野郎だと思っているわけか。それを黙っていてくれて俺が感謝すると思っていたのか。そいつが、俺のためだと言いたいのか?」


「そうだな。黙っていたのは、お前に言っても何も解決しないからだ。ただ……俺は、本気でお前を叩き潰そうと、悪戦苦闘したよ。お前の中の、殺人鬼を倒すためにな」


 おれは言葉を失った。正確には舌を巻いた。


「……じゃ……それっ…て」


 俺の中に殺人鬼は確かにいるかもしれない。いま目の前にいる兄に対して、明確な殺意を抱いている。この殺人鬼が危険なほど不愉快な顔を見せているのは否定できない。


 俺の殺意を感じ取ったかのように、ターミーから警告音が鳴った。


《防衛システムを作動します》


「……まじ?」

 

         ※ 



 不意にターミーが立ち上がると、公園の入口には体格のいい大男が立っていた。スポーツウェアごしに鍛えられた筋肉が浮きだしている。


 システムは男の右手にはめているメリケンサックに反応しているようだ。スポーツ刈りで爽やかな笑顔を見せ近づいて来る。


「そいつが桐畑のアンドロイドかな」


「なんだ? 俺達を知っているのか」


「知っているとも」


 薄ら笑いを浮かべる身長百九十センチはある男に向かって、長男は向き直った。


「目的は?」


「君達には用がない。ボクが用のあるのは、そっちのアンドロイドだ。黙って差し出してもらおうか」


「寄らないでくれ。なんか臭いぞ。あ、ああ、ワキガか、おっさん」


 メリケンサックを手に馴染ませながら、五メートル手前に立つ。周りに人はいない。


《武装を解除してください。暴力行為が行われた場合、ただちに通報します》


「ターミー、警報鳴らすのは勘弁してくれよ。通報もしなくていい」


 俺は、そういうと兄貴を見て続けた。


「何のスポーツやってたら、あんなにムキムキになれるんだ?」


「スポーツはやらないんだよ。ジムに通ってんだ。プロテインを飲んで筋トレするのが日課なんだろ」


 なるほど、と大きくうなずいて俺は言った。


「じゃ本物のスポーツマンとは言えないな。ジムに行って健康のために女がやるやつとは違うのかな」


「残念ながら一緒だ。お決まりのプログラムで、鏡の中の自分に話しかけたりするんだよな? おっさん」


「おいおい、おっさんはお嬢さまに失礼だぜ。あの筋肉に美意識と自尊心が詰まっているんだから。あんな顔していても心は乙女のように純粋なんだ」


 兄貴は両手をひろげて、オーバーに振った。


「冗談はやめろよ、乙女がワキガ臭いはずないだろ」


 スポーツ刈りの大男は、大きく息をすってアゴを持ち上げた。自分を大きく見せて威圧感をだしているつもりらしいが、眉は怒りでひくひくしている。


「はっはっは。いい加減にしろ坊やたち。引っ込んでいてもらおう。そのアンドロイド、ぶち壊させてもらうよ」


「おお、怖い。怖くないのか? さとし」


「俺を怖がらせるのは、兄貴の役目だと思っていたが」


「……ずいぶん、酷いことを言うな」


 引綱を外された猛犬のように、すばやく男は向かってきた。


 一瞬で姿勢を低くした兄貴はくるりと回転しながら、男のふくらはぎに蹴りを入れていた。 勢いよく男の顔面が地面に倒れこむ。


 その前に立ってた俺は流れるようにアッパーをいれた。ターミーの脇で見ていたたかしは、きりもみながら砂埃をあげ派手に転げまわる巨体から目を背けて言った。


「いきなり殴っちまったよ。やっぱり、兄貴たちの喧嘩はめちゃくちゃだ!」


 呆れた声を出しながらも、二人がコンビネーションを見せたことに感心しているような言い方だった。


 立ち上がろうと、じたばたする大男。兄貴が馬乗りになって関節をきめる。


「で? うちのターミーをどうするって」


「な、なんだと。うそだ! どうして貴様らのようなひ弱なチビに俺が負けるんだ」


 筋肉とタッパが喧嘩の勝敗を決めると思う輩は多い。俺達は、むしろ過剰な筋トレは体に悪いと考えることすらあった。短期的に破壊力や、爆発力を発揮して記録をだす種のスポーツも疑問視していた。


「説明してやれよ。さとし」


「えーっ、なんで説明がいるんだ? 実践して見せただろう。あんたの足が作用点で兄貴が支点を作って力点を俺が打ち上げたから〝てこの原理〟が働いた。結果、巨体のあんたがすっ飛んだ。こんなところか」


「ネタ晴らし、ごくろうさま」


 ジム通いで鍛えた見せかけの筋肉には動物としての強さと云える威圧感がまったくない。俺達に言わせれば、機械を使ってロボットのようなトレーニングをしているだけの男。


 だとすれば負けることは無い。特に二対一の場合は。このコンビネーションはガキの頃、散々練習してきたうえに、実戦で一番使ってきたものだ。悪目立ちする兄貴と俺をこらしめようとするガキは決して少なくなかったから。


「あんた、格闘技も強くないだろ」兄貴は、男のウエストポーチを抜き出すと俺に向かって放り投げた。


「動きが大きすぎるし、あの程度の悪態に乗せられて突っ込んでくるなんて」


「……カッとなるのは、いちばん初歩的。こっちは、向かってきてくれなきゃ勝てないんだから」


 俺はポーチから財布を抜き取りながら返事をした。


「カウンターしか狙ってない。だから不良は喧嘩前に、決まって相手の悪口をまくしたてる。頭に血がのぼるか、恐怖心が芽生えるか。どちらにしても、悪態は立派な武器になる。この湧き上がる脇の匂いも立派な武器だけどな」


 そう言いながら、そのことを自分自身が忘れていたような気がした。兄貴の口の悪さや、俺に対する挑発。


 感情的に、思ったことを口にするほど短絡的な人間ではない。何か、特別な理由があったのだとしたら。俺に無いモノを取り戻そうとしていたのか。補おうとしていたのか?


 ――恐怖心を。

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