第36話 真夜中のドライブ
黒塗りのBMWの中で目が覚めた。いつの間にか夜中の高速を走っているようだ。運転しているのは清田本人で助手席の女は、黙ったまま動きもしない。右隣に西野晴香が寝ていて、その右には河本が座っている。
「やあ、おはよう」
薄ら笑いを浮かべ河本は言った。
「ずっと起きてたのか? 何してたんだ。俺たちは拉致されたんだぞ」
「あ、ああ。僕が何もしてないように見えるのか」
「……うん」
「なら、だいたい合ってる。理解してほしいのは、こうやって座って何もしないのが、僕の出来る精一杯の抵抗だということだ」
「……理解出来てしまう我が頭脳が悲しいよ」
※
喫茶『西の風』に訪れた清田正樹は、西野晴香に渡すものがあると言って愛車まで連れ出した。彼女は嫌がっていたが、俺達が付き添うことで同意し、三人で駐車場まで歩いた。俺と河本、西野晴香の三人である。
「久しぶりだね、晴香。母親はどうした?」
金髪でスキニージーンズの親父さんは、有名人のオーラを出しながら、前を歩いていた。俺達オタクから見ると信じられない位に太い腕と、デカいケツをしていた。年にみあった格好とは思えなかったが、違和感は無かった。
「出かけてます」
「君に用があるんだ。二人で話せないかな」
「話すことはありません。急に来られてもこまります。何も受けとるつもりはありません」
「すぐ済むよ。渡したら二度と現れないから。さあ、車に乗って」
車にいた気味の悪い女を見て嫌な予感は増していた。百九十センチはある長身で、シスターのような黒いワンピース姿。黒く艶のあるのセミロングで、銀河鉄道を案内してくれそうな綺麗な顔をしている。
綺麗な顔……それは油絵やアニメで見れば美しい顔立ちかもしれない。だが、実際に目にすると恐怖でしかない。人為的に作られた顔と言えば通じるだろうか。
感情の読めない白く面長の顔付き、長い目じりと長いまつげに埋まっている冷たい瞳は、見る者の背筋を凍らせる。
「きゃあ!」
「………!!」
俺達は一瞬のうちに車に押し込まれていた。その怪しい女の手が伸び、いつの間にか眠らされていた。頭は、状況を理解できず混乱するばかりだ。
このまま直行便で、機械の体にされてしまうような悪い予感しかしない。
※
運転中の清田正樹は、俺に気付いた。
「起きたようだね。サービスエリアで少し休憩しよう。腹減ってるだろ」
「…………」
「こんなかたちになってしまったが誤解しないで欲しい。これでも晴香はボクの娘なんだ。お互い誤解はあったが、わかり会える日がくると信じている」
「待ってください、俺には分かりません。あなたの目的は何なんですか。俺達、眠らされたんですよね」
「目的だって? 親が娘に合うのに理由がいるのかな」
「いや、やり方に問題があると言ってるんです」
「そこは本当に申し訳なく思っている。巻き込んだことは謝る。ボクは野球しか知らない不器用な父親だよ。だけど他の家庭のやり方に口出しするのは問題ないと言えるかな」
自分が駄目な父親だという認識はあるようだが、駄目な人間だと認識できていないようだ。こういう輩に何を言っても、上手くいくとは思えない。
だが――どういう訳か聞いていた清田より、幾分まともな人間に見える。助手席にまともとは思えない女が座っているせいだろう。
車に押し込んだのもガスで眠らせたのも、この女のくせに……さっきから一言も話そうとしない。というか、ピクリとも動かない。はっきり言って常軌を逸した妖怪か魔物にしか見えない。
三車線の真ん中を制限速度ぎりぎりで運転しているが、並走している車は少なかった。千葉方面という標識が見えて、すぐ済むといった清田の言葉が嘘だと分かった。
しばらくすると清田の車は広い駐車場の端に止まった。急なブレーキではなかったが、アクセル・ペダルから足を外した直後だったため、俺も河本も前のめりになった。
ガソリンスタンドの真横にはヴァンとトラックが並んでいて、乗用車は無かった。彼は長財布からピッと一万円札を出し、河本に渡した。
「ボクらはガソリンを入れてるから、ここかガソリンスタンドにいる。悪いがボクと彼女に缶コーヒー買ってきて貰えるかな。無糖の冷えたやつ。釣りは要らないから食料を適当に買ってくれ。好きなやつを好きなだけ。おまけにボクのサインボールもやろう」
「い、いいんですか。ありがとうございます」
清田は河本にウインクした。
「晴香がお世話になってるからね。気にすることはない。すまないが晴香に水を買ってきてほしいな。お土産も買ってくるなら、もう一万わたそう。君も一緒に行きたまえ」
清田は俺の目の前にもピッと金を出した。さすがにサービスエリア内で暴力沙汰はなさそうだと思った。すぐ前に監視カメラはあるし屋台やラーメン屋が軒を連ねている。なにより外の空気を吸わないことには頭は回らないし小便もしたかった。
十分位で戻ると言い、俺と河本は両端から車を降りた。座席の真ん中で西野晴香が、まだ寝ていた。そのうちに小便を済ませ、ツナのサンドイッチとツナおにぎり、ペットボトルの飲み物を掴んで売店にならんだ。
ツナばかりになってしまったが、スズキ目サバ科マグロ属に属するマグロやカツオを嫌いな人間は少ない。DHAやEPAが豊富に含まれているので生活習慣病の予防にもなるので西野さんにも、お勧めできる。
レジカウンターに並びながら駄菓子やチョコレートをじっと見つめる。チョコレートはカロリーと油分が多すぎるためカカオが多く含まれるものがお勧めだが、味の好みが分かれるところだ。
干し昆布はミネラルも豊富で砂糖や塩を使っていないので、体にいいお菓子の代表格だが、いかんせん女子受けが悪い。年より臭いと思われたら心外だ。やはり無難なドライフルーツにしておこう。
しばらく無言だった河本が俺に言った。
「まさか桐畑も一緒に車を降りるとは思わなかったよ」
「え? どういう意味だ」
「僕の経験じゃ、コーヒーを持って帰るころには車は居なくなってると思う」
俺は思わず目を丸くした。こんなに血の気が引いたのは、母親の産道をくぐって以来初めてだった。つまり産まれて初めてだった。
「……まじか。俺はこんなにバカだったか?」
俺は買う前の荷物を河本に渡して、清田の車に走った。周りに注意しながら見逃さないように無我夢中で。
そこには――何もなかった。
ひとり呆然と立ちつくして、自分が本物のマヌケになった気分を味わった。
律儀に全員のサンドイッチとコーヒーを持った河本が走ってくる。本物のマヌケが二人になった。
「ああ、やっぱりか」
「やっぱりかじゃないだろ! 分かってたのか」
「僕は何年も虐められてきたから、こういうの分かっちゃうんだよね。ガソリンはタンクに半分以上あったし」
「自慢気だな、おい。その当時の記憶を呼び覚ましてやろうか」
「待ってくれよ。どうしようもなかったろ? あの女の顔を見たか。人間じゃない。あのまま車に乗っていたら僕らは確実に殺されていたよ!」
河本の言うことは、いちいち尤もだ。俺達は無抵抗で車に押し込まれたわけじゃない。抵抗すら出来ずに気を失っていたのだ。
「……何者なんだ」
「まるで
俺は河本の顔をじっと見た。
「かっこいいな。今の、それ」
「良かった、分かってくれて。こういうセリフが無かったらオタクの人生なんてまったく意味が無いからね」
まだ何か言おうとする河本を、俺は手でさえぎった。オタクっぽい決まり文句を聞くのが嫌だったのかもしれない。
「いや……やっぱりかっこいいな」
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