特待生、初めてのラブコメール

「は~……。やっと火之神院に解放されて、寮に帰ってこられた」


 ラブコメがしたいというその場限りのごまかしがアダとなり、『じゃあラブコメさえできればダンジョンに潜っても問題ないわよね!』と結局は押し通されて、今まで拘束されていたのだ。

 明志はゲッソリとした顔で、ようやく寮の前に辿り着いた。


「それにしてもこの寮、立派だよなぁ……」


 そびえ立つ新築タワーマンション。

 それがこの東京冒険者学校の学生寮である。

 学生というのが住むための条件で、かなりの家賃も必要と聞いていた。

 しかし、特権で明志と妹は無料で住むことが許されている。


「特待生ってのはすごいな……」


 その他、学校の広大な敷地には生活に必要な施設が各種揃っていて、特待生なら使い放題である。

 もっとも、根が貧乏性な明志は、逆に優遇されすぎなのが恐ろしくて必要なとき以外は使わないようにしている。


「いや、もっとすごいのは火之神院か」


 そもそも土地代の高い東京に、これだけの規模を用意できるスポンサーの火之神院グループが凄まじすぎる。

 その跡取り娘が、火之神院むすび――明志に猛アタックを仕掛けてきているクラスメイトである。

 のらりくらりと躱していたときはまだ何とかなっていたが、さすがにこの状況になったあと『やっぱ約束は無しで』と逃げ出したら、何をされるかわかったものではない。

 それと明志は真っ直ぐな性格なので、一度条件を出してしまって、相手がそれをクリアしてしまったとなれば向き合うしかないのだ。


「ラブコメかぁ……。よくわからないけど、いったいこれからどうなるんだろうな」


 明志は溜め息を吐きながら、新しい我が家――マンションの一室の前に辿り着き、ドアを開けた。


「ただいま~」


「おかえり、あかしお兄ちゃん!」


 玄関の奥から、弾丸のように飛び出してきた元気な女子小学生。

 満面の笑顔を浮かべながら、明志に飛びついてきた。


「たま子、一人で留守番できたか? 何か不便なことはなかったか?」


「も~、あかしお兄ちゃん。アタシもう小学五年生なんだからね! そこまで子どもじゃないよ!」


 たま子は少し怒りながらも、心配されて嬉しい気持ちを『にひひ』と見せていた。


「初等部の方はどうだ?」


「ん~。前の学校と違って、ダンジョン関係の授業が増えたけど、周りはみんな良い人だよ」


「そうか。よかった」


 明志は自分より妹の方が大切なので、こういう日常会話は欠かさないようにしている。

 もし妹が学校で嫌がるようなことがあったら、特待生の立場も断るつもりだったくらいだ。


「それで、あかしお兄ちゃんの方は高等部どうなの? 仲の良い友達とかできた?」


「俺の方は……。仲の良い友達……悪友みたいなものならできたな」


「よかった。あかしお兄ちゃん、あんまり友達いなかったから!」


「おっと、地味に傷つく……」


「もしかして、恋人とかもできちゃったりした……? 何か良い匂いがする」


「は、はは……」


 明志はドキッとした。

 妹はこんなに鋭い奴だっただろうか。

 いつの間にか小学五年生だし、そういう方面にも興味が沸いてくるようだ。

 明志の数少ない一般常識では計り知れないが、とりあえず妹にそういう話をするのはダメだと判断して、ぎこちなく笑って誤魔化すしかない。


「はははははは……」


「ふ~ん」


 たま子は少しだけ笑顔を見せて、自分の部屋に戻っていってしまった。

 朴念仁の明志はバレてないとホッとした。




 明志も自分の部屋に移動して、部屋着に着替えて人心地ついた。

 以前のボロアパートとは違って、妹と部屋が別れているので若干の違和感がある。

 無駄に広いし、備え付けの家具もピカピカで、ハイスペックのパソコンに光回線、Wi-Fiまで完備されている。

 あげくにセキュリティ名目で、普通なら数十万もする最新機種のスマホまで渡されていた。


「えっと、これどう使うんだっけ……」


 前はバイトのためにガラケーを持っていたのだが、新しいスマホは色々と違いすぎて苦戦中である。

 色々とボタンを押しても、ロック画面から動かない。


「あ、指紋と眼で認証されるんだった」


 スマホの指紋センサーに親指をペタリとくっつけながら、カメラに目線を向ける。

 機械相手なのに、なぜか撮影みたいにキリリとしてしまう。

 ちょっと時代遅れのお爺ちゃんみたいな反応だ。


「ハイカラだな! まだホーム画面だけど!」


 明志はガジェットを使いこなした感で、少しだけテンションが上がった。

 この辺りは普通の男子高校生のようだった。


「ん? この通知っていうのは……」


 そこで誰かからメールが来ているのに気が付いた。


「おかしいな。俺のメアドはバイト先くらいしか知らないはずだけど……あっ」


 明志は思い出した。

 放課後、火之神院とメールアドレスを交換したのだ。

 いや、正確には……無理やり交換させられた、が正しい。

 スマホの使い方を苦戦しているところを、強引に奪われて、『これからラブコメをするカップルなら、メアドくらい知っていて当然よね!』とイジられたのだ。

 なぜか火之神院むすびの顔は真っ赤だった。


「あのときか……」


 とりあえず、火之神院むすびからのメール内容を確認することにした。

 すると――


『件名:田中明志へ

 本文:ダンジョン部に入って、私とパーティーを組みなさい』


 ……以上。

 明志としてはお断り確定だ。

 しかし、どう断るかは重要でもある。

 キチンと筋を通して、『ラブコメではないので断る』と返信した。

 ちなみにラブコメの意味はわかっていない。

 何か火之神院グループの跡取り娘をあそこまで困惑させるような、魔法の言葉だという認識だ。

 この要求を絡めれば、下手に動いてはこないだろうと確信していた。


「さてと、夕飯の支度をするか……って、もう火之神院からメールが返ってきた。怖い……」


『件名:わかったわ

 本文:そう……。貴方はやはり、あくまでラブコメを要求するのね。いいわ、いいわよ。とても困難だけれども、すぐにラブコメのメール、略してラブコメールを書いてあげるから待っていなさい。会心の出来に恐れおののくが良いわ!』


 火之神院むすびのメールは、きっと恥ずかしすぎてヤケになったテンションで書いたものだろう。

 普段、お堅い生活をしていたお嬢様が、同年代の男子にメールを送るという初体験ですらハードルが高いのに、ラブコメという非日常の演技まで要求されているのだ。

 顔は上気し、羞恥で震えているに違いない。

 しかし、明志はそんなことに気付かなかった。


「なるほど、やはり火之神院むすびはラブコメとやらに弱いらしいな。こんなにも俺へのメールに気合いが入っている」


 うんうんと頷いて納得する明志。

 その背後にいる妹の影に気付いていなかった。


「……え、あかしお兄ちゃん。えっ?!」


 明志とたま子の兄妹は、以前は一部屋で過ごしていたために、部屋の扉をノックするという習慣はない。

 そのため、今でもお互いに普通に部屋に出入りしている。


「あ、たま子。もうお腹空いたのか? よし、夕飯の支度をするから――」


「い、いや、そんなことよりも、あかしお兄ちゃん……。メール相手は女の人だよね……?」


「聞かれていたか。そうだ、火之神院むすび。入学以前から、ずっと俺にアタックしてきた奴だ。グイグイ来すぎて困っている。今もラブコールだかなんだかのメールを一生懸命考えているらしい」


「入学以前から……あかしお兄ちゃんにアタック……グイグイ来ていて……ラブコールを一生懸命……」


 たま子の脳内は衝撃を受けすぎてフリーズしていた。

 今まで生活苦でバイト漬けの兄が、いきなり朴念仁からリア充になったのだ。

 家族である妹はそのギャップに驚きながらも、しかし兄の幸せを喜んだ。


「あ、アタシお赤飯買ってくるね!! あとはオシャレのためのメンズ服と、それからそれから――」


「ん? 何を言っているんだ……?」


 さすがの明志も違和感を覚えた。

 よくわからないが、謎の誤解を解かなければ不味いと本能が反応している。

 丁度そのタイミングで、火之神院むすびからメールが届いた。

 これはチャンスだと考え、誤解を解くために、たま子の方に画面を向けながらメールを開く。


「ほら、こんなメールだ」


『件名:貴方のむすびです。

 本文:まだ明志と離れてから一時間も経ってないけど、寂しくて寂しくて仕方がないの。この短いはずの時間は何十倍にも感じられるわ。本当なら今すぐ手を握ってほしい、抱き締めてほしい、パーティーを組んでほしい。けれど、会えない時間が愛を育てるとも言うわ。この空いた時間で私と一緒に入部届を書きましょう。ダンジョン部なんてどうかしら?』


「あかしお兄ちゃん……」


「なんだコレ……。って、たま子もそんな深刻そうな顔をしてどうした……?」


「相手のご両親にご挨拶しにいくの、いつにしよう!」


「……」


 明志は、何か決定的な認識の齟齬があると気付いた。

 一般常識の欠けている自分では判断が難しいため、今までのあらましを話してみた。




 しばらくの間、たま子は押し黙っていた。

 明志もラブコメの本当の意味を、たま子から聞いてしまって無言だった。


「えーっと……俺が謝って誤解を解いた方がいい……のかな……?」


「いや、あかしお兄ちゃん待った。ちょっと待った」


 たま子は恋愛脳をフル回転させていた。

 朴念仁である兄が、このチャンスを逃すと二度と異性と交際するチャンスはない。

 誤解でも何でも利用して、兄の将来を考えるべきではないだろうか――と。


「誤解だと火之神院さんに言ったら、死ぬよ」


「えっ!?」


「あかしお兄ちゃんが死ぬ。女の人に恥を掻かせたということで物理的にも殺されるし、火之神院グループという権力で社会的にも殺される」


「そ、そういうものなのか……女心は恐ろしいな……」


「そう! だから、このままラブコメの話は合わせ続けるのがいいよ! 絶対!」


「たしかに俺にも責任がある……。ダンジョン関係はなるべく避けつつ、恥をかかせないようにラブコメだけを成立させるのがいいか。俺が殺されないためでもあり、火之神院を殺人犯にさせないため。互いの平穏な人生のため……か」


 明志の中で学園生活の目標が決定した瞬間であった。

 危険が嫌なのでダンジョンを回避しつつ、火之神院むすびと疑似ラブコメをする。

 そうと決まれば、メールを返信しなければならない。


「うーん、メールになんて書こう……」


「もー、しょうがないなぁ、あかしお兄ちゃんは! ここは妹のアタシが胸を貸してあげる!」


 ――たま子が恋愛脳をフル回転させたラブコメールが、火之神院むすびを驚かせ、悶えさせたのは言うまでもなかった。

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