第十八話(二)



 人間世界のことわざに曰く一度る事は二度るとい、また一災いっさいおこれば二災にさい起ると云う。されど二度在れば三度在り、三度も在ればもう結構と云った次第で、嬉しかろうが悲しかろうがそうそう何度も同じ事ばかりを繰返くりかえされてはこちらの身が持たんと云うものであろう。


 さて吾等われらが勇者様御一行は難敵を退しりぞけ行軍を再開し進み行き、またもや大なる空間に出食わしたのである。そう、もう粗方あらかた御察おさっしのとおりでまたもや御客人おきゃくじんが待ちかねておったのだ。




「今度は……。あれは一体何だね? 見たことも無い化物だ!」


 いなせみである。




「この鼓膜を振るわす雄叫びはかなわん! 気が変になってしまうぞ!」


 否、断じて蝉であり、やはり虫は虫である。




 逐一読者に報知ほうちするの能力と根気のないのははなはだ遺憾いかんであるが、やはり少々面倒には違いないので、平生へいぜい吾輩が運動と称して実践していた第二を御披露する事としよう。第二とは蝉取りと云う運動である。


 単に蝉と云ったところが同じ物ばかりではない。人間にも油野郎、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがある。油蝉はしつこくて行かん。みんみんは横風おうふうで困る。ただ取って面白いのはおしいつくつくである。


 これは夏の末にならないと出て来ない。くちほこびから秋風が断わりなしにはだでてはっくしょ風邪を引いたと云う頃さかんに尾をり立ててなく。く鳴く奴で、吾輩から見ると鳴くのと猫にとられるよりほかに天職がないと思われるくらいだ。間違いない、吾輩の見立てに相違なければ、このやはり少々大なる蝉君はおしいつくつくであろう。


 ついでだから博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によっては蝉の研究上少なからざる関係があると思う。人間の猫にまさるところはこんなところに存するので、人間の自ら誇る点もまたかような点にあるのだから、今即答が出来ないならよく考えておいたらよかろう。


 もっとも蝉取り運動上はどっちにしても差し支えはない。ただ声をしるべに木を上って行って、先方が夢中になって鳴いているところをうんと捕えるばかりだ。此度こたびに至ってはごうとも身を隠そうとせず石壁に取付いて鳴いておるのだから世話はない。


 されど木登りにしろ石壁登りにしろ、一見すると簡略な運動に見えてなかなか骨の折れる運動である。吾輩は四本の足を有しているから大地を行く事においてはあえて他の動物には劣るとは思わない。少なくとも二本と四本の数学的智識ちしきから判断して見て人間には負けないつもりである。しかし木登りに至っては大分吾輩より巧者こうしゃな奴がいる。本職の猿は別物として、猿の末孫たる人間にもなかなか侮るべからざる手合てあいがいる。元来が引力に逆らっての無理な事業だから出来なくても別段の恥辱ちじょくとは思わんけれども、蝉取り運動上は少なからざる不便である。


 さいわいに爪と云う利器があるので、どうかこうか登りはするものの、はたで見るほど楽ではござらん。のみならず蝉は飛ぶものである。蟷螂とうろう君と違って一たび飛んでしまったが最後であり、ともすれば蝉から小便をかけられる危険がある。あの小便がややともすると眼をねらってしょぐってくるようだ。逃げるのは仕方がないから、どうか小便ばかりは垂れんように致したい。


 飛ぶ間際にいばりをつかまつるのは一体どう云う心理的状態の生理的器械に及ぼす影響だろう。やはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意に出でて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便か知らん。そうすると烏賊いかの墨を吐き、ベランメーの刺物さしものを見せるたぐいと同じ綱目こうもくに入るべき事項となる。これも蝉学上ゆるかせにすべからざる問題である。充分研究すればこれだけでたしかに博士論文の価値はある。是非聡明なるラビリス嬢あたりに御研究いただきたい。


 それは余事だから、そのくらいにしてまた本題に帰る。


 しかしおしい君に関しては特筆すべき事もあまりない。おしいつくつくの金切声と飛ぶのと小便をしょぐってくるのを除けば吾輩にとっては児戯じぎにも等しい。大概は登る度に一つは取って来る。ただ興味の薄い事には樹の上で口にくわえてしまわなくてはならん。だから下へ持って来て吐き出す時は大方おおかた死んでいる。いくらじゃらしても引っいても確然たる手答てごたえがない。


 蝉取りの妙味はじっと忍んで行っておしい君が一生懸命に尻尾を延ばしたり縮ましたりしているところを、わっと前足でおさえる時にある。この時つくつく君は悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦横無尽にふるう。その早い事、美事なる事は言語道断、実に蝉世界の一偉観である。余はおしい君を抑えるたびにいつでも、つくつく君に請求してこの美術的演芸を見せてもらう。それがいやになると御免ごめんこうむって口の内へ頬張ほおばってしまう。蝉によると口の内へ這入はいってまで演芸をつづけているのがある。


 だが此度ばかりは少々大なる故にいずれも味わうこと叶わなかった。

 まっこと残念至極である。




 ◆◆◆




 さて吾等勇者様御一行はまたもや難敵を退け行軍を三度みたび再開し、幾度となく姿を見せし怪物をらしめては進み、進み行きてはらしめている内、一際大なる空間に辿着たどりついたのである。


 今度は誰れもがそうと気付いた。

 あれこそが魔王の居城ではあるまいかと。


「いよいよもって決戦となりましょう。皆用心めされよ」とウインド。

「必ず勝って帰ると誓いましたから、あの方に」


 コルドーが静かにそう云うとトジュロー君の脳裏には鼻王めの告げし最後のことばつかよぎったのやも知れぬ。しかしトジュロー君、数度かぶりを振って決心する。


「吾等の手で終わらせようぞ、この無益な争いを。太平の世を取り戻すのだ」


 そして四人と一疋は今一度互いを見つめて、しっかとうなづいたのであった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る