第四話(一)



 さて肝心たるは作戦計画だ。


 どこで鼠と戦争するかと云えば無論鼠の出る所でなければならぬ。そこで稽古場で鼠どもが夜毎よごと吾物顔わがものがおで騒動を起こし困っているのだとう話をキャリコより聞いた事を思い出した。キャリコも鼠は恐ろしいから捕っておらんと云っていた。


 吾輩はここに自白する。


 吾輩は猫として決して上乗じょうじょうの出来ではない。背といい毛並といい顔の造作といいあえて他の猫に勝るとは決して思っておらん。しかしながらなお鼠を捕らぬのではなく、捕ろうにも捕れぬのだとなってしまえば吾輩の面子は丸潰れである。この始末ではいくら思い焦がれようとキャリコは鼠を捕る猫の方をくやもしれぬ。ならば吾輩が見事に捕らえ勇者様何たるかを明かにせねばなるまい。


 ここにおいてか鼠の出口を研究する必要が生ずる。どの方面から来るかなと稽古場の真中に立って四方を見廻わす。何だか近衛大隊長のような心持がする。


 わが決心と云い、わが意気と云い火の消えた稽古場の光景と云い、四辺の寂寞せきばくと云い、全体の感じがことごとく悲壮である。こう云う境界に入ると物凄い内に一種の愉快を覚えるのは誰しも同じ事であるが、吾輩はこの愉快の底に一大心配が横わっているのを発見した。鼠と戦争をするのは覚悟の前だから何ひき来ても恐くはないが、出てくる方面が明瞭でないのは不都合である。周密なる観察から得た材料を綜合そうごうして見ると鼠賊の逸出するのには三つの行路がある。


 彼れらがもしどぶ鼠であるならば側溝を沿うて窓枠の隙から、壁伝いに現れるに相違ない。その時は花瓶の影に隠れて帰り道を絶ってやる。あるいは通りへ風を抜く換気孔より雪隠トイレを経由して不意に飛び出すかも知れない。そうしたら雪隠の木戸の上に陣取って眼の下に来た時上から飛び下りて一つかみにする。それからとまたあたりを見廻すと戸棚の右の下隅が半月型に喰い破られて、彼等の出入に便なるかの疑がある。鼻を付けて嗅いで見ると少々鼠臭い。もしここから吶喊とっかんして出たら、柱を楯にやり過ごしておいて、横合からあっと爪をかける。もし天井から来たらと上を仰ぐと真黒な煤がランプの光で輝やいて、地獄を裏返しに釣るしたごとくちょっと吾輩の手際では上る事も、下る事も出来ん。まさかあんな高い処から落ちてくる事もなかろうからとこの方面だけは警戒を解く事にする。それにしても三方から攻撃される懸念がある。一口なら片眼でも退治して見せる。二口ならどうにかこうにかやってのける自信がある。しかし三口となるといかに本能的に鼠を捕るべく予期せらるる吾輩も手の付けようがない。


 さればと云ってキャリコを助勢に頼むのは吾輩の威厳に関する。

 どうしたら好かろう。


 どうしたら好かろうと考えて好い智慧ちえが出ない時は、そんな事は起る気遣きづかいはないと決めるのが一番安心を得る近道である。また法のつかない者は起らないと考えたくなるものである。心配せんのは、心配する価値がないからではない。いくら心配したって法が付かんからである。吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと断言すべき相当の論拠はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。安心は万物に必要である。吾輩も安心を欲する。よって三面攻撃は起らぬと決める。それでもまだ心配が取れぬから、どう云うものかとだんだん考えて見るとようやく分った。三個の計略のうちいずれを選んだのがもっとも得策であるかの問題に対して、自ら明瞭なる答弁を得るに苦しむからの煩悶はんもんである。戸棚から出るときには吾輩これに応ずる策がある、雪隠から現われる時はこれに対する計がある、また窓伝いから這上はいあがるときはこれを迎うる成算もあるが、そのうちどれか一つに決めねばならぬとなると大に当惑する。


 吾輩は大戦の前に一と休養する。

 もう鼠の出る時分だ。どこから出るだろう。


 戸棚の中でことことと音がしだす。ここから出るわいと穴の横へすくんで待っている。なかなか出て来る景色はない。さらに重い音が時々ごとごととする。しかも戸を隔ててすぐ向う側でやっている、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れておらん。時々はちょろちょろと穴の口まで足音が近寄るが、また遠のいて一匹も顔を出すものはない。


 今度は窓枠の影でことりと鳴る。敵はこの方面へも来たなと、そーっと忍び足で近寄ると木枠の間から尻尾がちらと見えたぎり窓枠の下へ隠れてしまった。しばらくすると雪隠の方からかちりと鳴る。今度は後方だと振りむく途端に、五寸近くある大な奴がひらりと落ちて換気孔の内へ駈け込む。逃がすものかと続いて飛び下りたらもう影も姿も見えぬ。鼠を捕るのは思ったよりむずかしい者である。吾輩は先天的鼠を捕る能力がないのか知らん。


 吾輩が稽古場の真中へ戻ると敵は戸棚から馳け出し、戸棚を警戒すると窓枠から飛び上り、雪隠の真中に頑張っていると三方面共少々ずつ騒ぎ立てる。小癪と云おうか、卑怯と云おうかとうてい彼等は君子の敵でない。吾輩は十五六回はあちら、こちらと気を疲らし心を労らして奔走努力して見たがついに一度も成功しない。残念ではあるがかかる小人を敵にしてはいかなる近衛大隊長もほどこすべき策がない。始めは勇気もあり敵愾心もあり悲壮と云う崇高な美感さえあったがついには面倒と馬鹿気ているのと眠いのと疲れたので稽古場の真中へ坐ったなり動かない事になった。しかし動かんでも八方睨みを決込きめこんでいれば敵は小人だから大した事は出来んのである。目ざす敵と思った奴が存外けちな野郎だと、戦争が名誉だと云う感じが消えて悪くいと云う念だけ残る。悪くいと云う念を通り過すと張り合が抜けてぼーとする。ぼーとしたあとは勝手にしろ、どうせ気の利いた事は出来ないのだからと軽蔑の極眠たくなる。吾輩は以上の径路をたどって、ついに眠くなった。吾輩は眠る。休養は敵中に在っても必要である。


 しばらくすると流石に心配気に思ったのかキャリコがやって来て、ちょいちょいと吾輩の額に触れたので眼だけを開いた。


「勇者様、勇者様。一体どうなさったんです」

「いやね君、ここいらでもう一度作戦計画を見直す時分だと思ってね」


 決して気の利いたことも思いつかぬから寝ているのだとは云いはすまい。


「あらいやだ。鼠連中は我が物顔で大騒動ですよ。おお恐い」

「まあ見ていたまえよ。その内吾輩が峻烈なる手際にて捕ってやりますからね」

「本当かしら」

「なにその時はその時さ」



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