第九話(一)



 翌朝の事であった。うららかな春日は一流れの雲も見えぬ深き空より四海天下を一度に照らして、冒険者宿のある通りは鮮かな活気をていしている。


いお天気ですね、マダナイさん」


 クシュンは過剰なる保護意欲を発揮し、吾輩を大事そうに抱えながら歩いておった。吾輩とて一端いっぱしの猫である。何処なりと行きたい所に行くし行きたくない所は行かぬくらいの分別器量は当然のごとく持ち合わせておる。のそのそ参る。彼のように小供こども扱いしてとせんのは即ち勝手を許さぬクシュン側の理窟であって決して吾輩の意ではない。


「なんてえ恰好してやがる、マダナイの半成はんなりめ。まるで赤子ではないか」

 近づくにつれ、不相変あいからわず店先の木樽の上に帝王の如き所作で鎮座する吾が師シュバルツが怪訝そうに一つぎりの琥珀を細め云いおった。

「吾輩の意ではない。主人が離してくれぬゆえかくのごとく参った次第で」

「また何とか理窟をつけたな。ハハハこれは善い」

「分らなければ、まあいいさ」


 冒険者宿の木扉の鍾鈴ベルがカラン、コロンと鳴ると、内に居った有象無象共が一斉に場違いな訪問者たるクシュンと吾輩を等しく検分するような眼付で見上げたり見下ろしたりした。


 人間の心理ほど解し難いものはない。クシュンの今の心は怒っているのだか、浮かれているのだか、ちっとも分らない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交りたいのだか、くだらぬ事に肝癪を起しているのか、物外に超然としているのだかさっぱり見当が付かぬ。猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、怒るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。いずれにも該当せぬのなら知らぬ顔を極め込むまでの事である。


「おうい。こっちだこっち。クシュン、良く来てくれたね」


 声のある方を見ればトジュロー君がおった。少々空氣の籠った部屋の隅にある高机の周りには四五名集まって何やら話している容子である。途端に神経性胃弱のクシュンの腹がゴロゴロと猫属特有の唸りを上げ始めたが呼ばれるがままに近付いて行くと一同がこちらを向いた。


「それでだ。さっき云った通りの訳であるから、この神官クシュンと――ええと――マダナイを連れて行きたいのだ。なあに――この町の近くにある手頃な洞窟で構わんと思う。この猫様が英雄だ勇者だなどと噂が立っているものだから、真実となれば附属した資格が欲しい――いや誤解しちゃいかん。真言まこと虚言うそかはまだ判然とせんのだからそう急かすものでもない」


 トジュロー君が説明すると一同は真面目腐った顔付きで頷くのだが、どれもこれも筋骨隆として人間にしては毛むくじゃらだ。喜多床でも行って剃って貰えば皆似たような人間族のつるりとした顔付きになるのであろうか。この容子ようすじゃことばが通じておるかも怪しかろう。


「おめえさんが大将だと云ったな?」

「云ったとも。本職は鍛冶職人だが剣術の腕前も捨てたもんじゃない。見せようか」

「いいやいらんよ。それに女神官だ猫様だと来たもんだ。駄目だな駄目だ、まるで駄目だ」

一寸ちょっと待ってくれ。金銭や財産はいらんからその代わりに――」

「駄目なもんはいくら乞われても駄目だ。余所よそを当たればよろしい」


 そう云ったぎり四五名の連中は首を振りその場を跡にする。どうやら案の定語が通じなかったものと見える。トジュロー君も吾輩の考を肯定するように苦い顔をこちらに向けた。


「こんなだとは思わなかった。さっきからずっとこの有様で何を云っても駄目の一点張りだ」

「あの連中、馬鹿にしてるのね。こっちが恨めしいくらいだわ」

「それにしても好く行く気になってくれたものだね、クシュン」

「私も判然としないのは嫌ですから。猫様は猫様に変わりないのだから善いのだけれど」

「君が善いと云うのなら構わんがそれなりに危険だぜ」

「だから貴方が居るんじゃありませんか……でしょう?」

「ハハハそう担ぐものじゃないよ」

「善いじゃない。昔みたいで楽しくてよ」


 おやおや。よもやと思うがこれぞまさに宇宙的の活力という奴ではあるまいか。クシュンを見れば妙に上機嫌である。肌は色艶良くラビリス嬢曰くの野暮ったい朴念仁にしてはやけに愛想宜しく浮かれておる。腹のゴロゴロはまだ治まらぬが猫属的かんがえによるならこれも証であろう。


 吾輩は猫である。猫の癖にどうしてクシュンの心中をかく精密に記述し得るかと疑うものがあるかも知れんが、このくらいな事は猫にとって何でもない。吾輩はこれで読心術を心得ている。いつ心得たなんて、そんな余計な事は聞かんでもいい。ともかくも心得ている。


 なれば吾輩も主人の為に一皮脱がんとなるまい。クシュンの懐から這出て立机の上でにゃあと鳴いてやるとトジュロー君とクシュンは顔を見合わせてくすくす笑い出した。

「そうだった。猫様にもお伺いを立てるべきだったかな」

「あら、マダナイさんは嫌だったかしら」

「まあまあ。仮令たとい勧めないまでも、こんな事は本人の随意にすべきはずのものだからね」

 吾輩はまたぞろにゃあとやる。両人揃ってくすくすとやる。

「任せておけ、と仰ってます」

「そんなら好い」

 勝手なものだ。とは云え案外間違うてもおらんのだから素知らぬ顔を決め込むことにする。

「さて。どうしたもんか。旅の連れが必要だがまるで足りん。ここは一つ気を引いてみるか」

「気を引いて見る?」

「うん、気を引くと云うと語弊があるかも知れん」


 トジュロー君は何やら思い付いた容子である。


「――なに気を引かんでもね。話しをしていると自然分るもんだよ」



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