第八話(二)



「懐かしいわね。いつこちらへ出て来たの?」

 クシュンは旧友に向って布団ふとんを勧める。トジュロー君はそれへすわる。

「ついまだいそがしいものだから報知もしなかったが、実はこの間から城お抱えになってね」

「それは結構なこと、大分だいぶ長くわなかったわね。貴方あなたが南のナインシュ鉱山へ行ってから、始めてじゃないかしら?」

「うん、もう十年近くになるね」トジュロー君は湯呑ゆのみに口を付け湿らせてから続けた。「なにせ鍛冶職人だからその後時々城まで出て来る事もあったんだが、つい用事が多いもんだから、いつでも失敬するような訳さ。るく思ってくれたもうな。鍛冶職人ってものは君の職業とは違って随分ずいぶんいそがしいんだから」

「十年立つうちには大分違うものねえ」


 クシュンはトジュロー君を見上げたり見下ろしたりしている。トジュロー君は頭を美麗に分けて、丁寧になめした光沢ある革鎧を着て、派手なえり飾りをして、あちこちに銀のリベットさえピカつかせている体裁ていさい、どうしてもクシュンの旧友とは思えない。


「まあ、お抱えともなるとこんな不釣合ふつりあいな襟飾りまでぶら下げなくちゃ、ならんようになってね」とトジュロー君はしきりに襟元を気にして見せる。「似合わんだろう?」

「似合っているわよ」とクシュンは真面目腐った顔付きでうなずいた。

「こりゃ派手めかしいよ」とトジュロー君は笑いながら答えたが「君も大分立派になったね。たしか儀式神官になったと聞いたけれど」

「そんな大層なものでもないわ。のんびり太平に過ごしております」

「相変らず気楽な事を云う。ハハハ君は呑気でいいな。僕も神官になればかった」

「なって御覧なさい、三日で嫌になるから」

「そうかな、何だか上品で、気楽で、閑暇かんかがあって、すきな勉強が出来て、よさそうじゃないか。鍛冶職人も悪くもないが、一流になるならずっと上にならなくっちゃいかん。上になるには、やはりつまらん御世辞を振りいたり、好かぬ武具を打たされたり随分なもんだよ」

「いやだ、ゴルトン王のこと? あんな分からず屋放っておけばよろしいんです」

「何だい、いやに怒ってるね」

 途端にむくれ始めたクシュンを見て、トジュロー君はくつくつと笑いを噛み殺している。

「なあに今のはほんの冗談さ、そのくらいにせんと金は溜らんと云うたとえさ。君のようにそう真面目に解釈しちゃ困る」

「冗談でも何でもいいけれど、あの偉ぶった鼻は何よ。城に行ったんなら見て来たでしょう」

「どうしたんだい。いじゃないか鼻なんか丸くてもんがってても」

「決してそうではないわ。ラスペルの逸話を知ってるでしょう?」

「知ってるかと来たか。まるで試験を受けに来たようなものだ。ラスペルがどうしたんだい」

の偉大なる史学者ラスペルがこんな事を云っているわ」

「どんな事を」

「もし美の神フロールの鼻が少し低かったならば神々の戦の結末に大変化をきたしたろうと」

「なるほど」

「それだから貴方のようにそう無雑作に鼻を馬鹿にしてはいけないのよ」

「まあいいさ、これから大事にするから。そりゃそうとして、今日来たのは、少し君に用事があって来たんだがね――君が儀式でお招きしたとか云う、英雄――ええ勇者ええちょっと思い出せない。――そらそこの猫様に名付けたと云うじゃないか」

「マダナイさんよ」

「そうそう英雄マダナイ。その生まれ変わりとか云う猫様の事についてちょっと聞きたい事があって来たんだがね」

「いやだ、ラビリスが勝手に云っている事です」

「そうか。そうだって、ゴルトン王もそう云っていたよ。クシュンに、よくよく伺おうと思っていたら、生憎ラビリスが押し掛けて茶々を入れて何が何だか分らなくしてしまったって」

「王様には猫様について分かった事を書き連ねた書状をお送りしましたのに」

「いえ君の事を云うんじゃないよ。あのラビリスがおったもんだから、そう立ち入った事を聞く訳にも行かなかったので残念だったから、もう一遍いっぺん僕に行ってよく聞いて来てくれないかって頼まれたものだからね。僕も今までこんな世話はした事はないが、もし当人同士が嫌やでないなら中へ立ってまとめるのも、決して悪い事はないからね――それでやって来たのさ」

「御苦労様ね」とクシュンは冷淡に答えたが、腹の内では当人同士と云うことばを聞いて、どう云う訳か分らんが、ちょっと心を動かしたのである。


 元来このクシュンはぶっ切ら棒の、頑固光沢消しをむねとして製造された女であるが、さればと云って冷酷不人情な文明の産物とは自からそのせんことにしている。トジュロー君には恨みもなくて、ラビリスは自分が実の親よりも親しくしている旧友である。もし鼻王の云うごとく、吾輩がそこいらを徘徊うろつく野良同然なら、これを無闇に珍重するのは君子のなすべき所作でない。――クシュンはこれでも自分を君子と思っている。――もしラビリスの云うとおり吾輩がマダナイの後継たるまことの勇者猫であるなら――しかしそれが問題である。この事件に対して自己の態度を改めるには、まずその真相から確めなければならん。


「ゴルトン王はマダナイさんが勇者猫であって欲しいと願っているの? 他人ひとはどうでも構わないのだけれど、王自身の意向はどうなんです」

「そりゃ、その――何だ――何でも――え、そうであって欲しいと願っているんだろうとも」

 トジュロー君の挨拶は少々曖昧である。実はラビリスの吹聴する語の真偽だけ聞いて復命さえすればいいつもりで、ゴルトン王の意向までは確かめて来なかったのである。従って円転えんてん滑脱かつだつのトジュロー君もちょっと狼狽ろうばいの気味に見える。

「だろうた判然しない言葉ね」

 クシュンは何事によらず、正面から、確かめないと気がすまない。

「いや、これゃちょっと僕の云いようがわるかった。ゴルトン王の方でもたしかに意があるんだよ。いえ全くだよ――え?――王自身が僕にそう云ったと思う」

「あの王様が?」

「ああ」

「思うと云ったわ」

「云ったは云った。だけれど、ちと判然としないのは僕の記憶だ。云ったのは本当だとも」

 クシュンはこの不可思議な解釈を聞いて、あまり思い掛けないものだから、眼を丸くして、返答もせず、トジュロー君の顔を、大道易者のようにじっと見つめている。

「君考えてもわかるじゃないか。今は人間と魔族の争いの最中だ。それだけの力があってそれだけの器量なら、魔族の王とて倒せるかもしれんじゃないか。でも猫は猫だから身分から云や――いや身分と云っちゃ失礼かも知れない。――資格と云う点から云や、勇者の生まれ変わりとなればだれが見ても十分だからね。それを僕にわざわざ出張して見定めて来いと云うくらい気を揉んでるのは王様に意があるからの事じゃあないか」

 トジュロー君はなかなかうまい理窟をつけて説明を与える。今度はクシュンにも納得が出来たらしいのでようやく安心したが、こんなところにまごまごしているとまた吶喊とっかんを喰う危険があるから、早く話しのを進めて、一刻も早く使命をまっとうする方が万全の策と心付いた。


「それでだ。僕と共にちょっとした冒険に出掛けないかと思って誘いに来たのさ」



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