第十三話(一)



 常々忍び込むのが瞭然りょうぜんたる鼻王の邸内であったが、この日ばかりはちと違ごうていた。門兵の眼前を悠々と失礼し、石塀に飛乗りもせず石壁を引掻く事もなく石窓のへりに顎を載せるでもなく、鼻王の待ち構える大広間へと赫々かっかくと参上つかまつった。無論人間のともを率いてである。


「よくぞ参った」


 吾輩は神輿みこし役の務めを見事果たしたクシュンの抱擁からするりと這出はいでて鼻王のす玉座の前へとただ一疋いっぴき進み出た。吾輩の凛と立つ尻尾大明神に恐入ったようにクシュンをはじめトジュロー君コルドーウインドが膝を付く。


「トジュローよ、これが御前おまえせんか」

「いかにも。勇者猫マダナイと伴に我等も参ります」

「なんと!」


 さすがの鼻王もこの不意撃ふいうちには胆を抜かれたものと見え、しばらくは呆然としておこりの落ちた病人のように坐っていたが、驚愕のたががゆるんでだんだん持前の本態に復すると共に、滑稽と云う感じが一度に吶喊とっかんしてくる。鼻王は申し合せたごとく「ハハハハハ」と笑い声を上げたがクシュンばかりは少し当てがはずれて、この際笑うのははなはだ失礼だと鼻王を睨みつける。


「結構だ実に結構! 時にその両人ふたりの名はなんと申す」

「この私めは魔術遣いのコルドーに御座います」

「私めは吟遊詩人のウインドと申すもの」

「宜しい」交わる交わる名乗りを挙げると鼻王はもっともらしくうなずいて見せた。


 調子者のウインドはず初対面の挨拶を終って「どうも結構な御住居ですなあ」と大広間中をながわす。鼻王は大層御満悦な容子ようすくだんの獅子鼻からおおいに息を漏らす。ウインドは天井を見ながら「ゴルトン王、あれに見えますは何方どなたの手による天子像に御座いましょうか、あれほど妙妙たるものは従前排覧した事がございません」と暗に鼻王を促がす。「無論あれこそ名匠の名に相応ふさわしきの大アルケーススの手によるものである」と鼻王が答えると「結構ですなあ」とウインドがすまして云う。クシュンはどうでも良い話しだと腹の中でいきどおる。しばらくは三人共に無言である。


「ははあ。ではゴルトン王、あちらにおわす見眼麗しい御婦人はどなた様でしょうか?」

「なに誰だと?」やれあちらだこちらだと眼に付くものを眼に付く限り誉めそやすウインドがひと際高い船橋ブリッジのような屋上露台テラスを指差し尋ねると、鼻王は眉をしかめて鼻白んだ。「ああ。あれは儂の一人娘でな、名をエギスタと云う――そこで何をしている」

「何でもございませんわ、別にどうだって構やしないじゃありませんか」


 奥方様と声がよく似ているところをもって推すと、これが即ち鼻王家の御令嬢たる代物だろう。惜哉おしいかな吾輩の所からでは上等そうな笹絹レースの天蓋越しで玉の御姿を拝する事が出来ない。従って顔の真中に大きな鼻を祭り込んでいるか、どうだか受合うけあえない。しかし談話の模様から鼻息の荒いところなどを綜合して考えて見ると、満更人の注意を惹かぬ獅子鼻とも思われない。


「いやはや、親のしつけが悪くてあのとおり我儘わがままでな。貰い手が無くてほとほと困っておる」

たおやかでおしとやかで無ければならん、と云うのはいささ懐古主義ノスタルジアかんがえでありましょうよ」

「さりとて花摘はなつみより剣術がいだとか、王族伝統の装束なぞ古めかしくて着れたものではないと勝手気ままな恰好をされて見ろ。仕舞いには親の定めた相手でなく自由恋愛をするときた」

まさしく現代的モダン女性ガールと云う奴ですな。よろしいではないですか」

「よく云う。うて見れば同じ口はきけなくなろうよ」

「アハハハ、かぬより啼く金糸雀カナリアが珍重されようと云うもの。是非お逢いしたいものです」


 そろそろ痺れを切らしたのかトジュロー君が苛々と帯剣を打鳴らしたので、察しの良いコルドーが隣のウインドにしきりにあごで合図を送るが中々気付かない。仕方なしに手にした杖で嫌と云うほど鋭く小突く。ウインドは好い気なものでお道化どう容子ようすで肩をそびやかした。それを逃さじとトジュロー君が深々こうべを垂れた。


「ではゴルトン王、そろそろ吾等われらはおいとまして旅の準備に取り掛かろうと思いますが……」

「まあ待て待てトジュロー、そうくものでもあるまい」

 鼻王は団扇うちわの如き大なる肥えたてのひらで一同をやんわり抑え込んだ。

「このまま送り出してしまっては、勇者様御一行の華々しい門出に際して何事もせんかった空者うつけものだと儂は笑い者になろうよ」鼻王は面白げに笑い立てたが、吾等一行はと云うとくすりともせんかった。「ずは宴を開き祝おうではないか。それから次に、めいめいに一流の武具を与えようと思うておる。万事整ってからでも宜しかろう」

「ではそのように致します」

「おい、勇者御一行を部屋に案内せい」鼻王の合図に四五名の従者が姿を現す。「宴は明日執り行う。それまで英気を養うとい」


 吾等は狐につままれた思いのまま豪奢な毛足の長い紅白陶板タイル張模様の絨毯が敷かれた大部屋に案内された。左右に二つずつ合わせて四つの小部屋があり各々好きに使って良いと云う事らしい。吾輩はまたもやクシュンの過保護的抱擁に身の自由を奪われておるので好き勝手に冒険することができぬ。案内役の従者達が下がると大部屋の円卓に一同集まった。


「どういうことでしょうかこれは」そわそわとコルドーが云う。

「どうもこうもあるまいよ」それに応じたのはトジュロー君である。「王め、あれほど人を慌てさせておきながら今度は穏やかに待てと云う。ほとほと呆れて物が云えん」

「まあまあ。御歓待いただけると云うのですからつつしんでお受けしましょう」

もとはと云えば君が無闇に御調子者を発揮するからこうなる」トジュロー君ウインドに剣突けんつくを食わせる。「御調子者とはこりゃひどい」「酷い目に合ってるのはこっちの方だ。まったく度し難い」トジュロー君第二の剣突を食わせる。「一流の武具もいただけるとは有難い限りじゃないですか」「うるさいな、知らんよ。こうなったのもラビリスめの戯言ざれごとのせいだ。あの憎たらしい真ん丸眼鏡の蜻蛉とんぼ野郎め」第三の剣突は、飄然ひょうぜんたる、ラビリス嬢が留守中に頂戴する。

「御婦人に野郎は酷いわ」とクシュンが非難するとトジュロー君はやれやれと嘆息する。


 しかし鼻王が吾等一行を歓待したいと申すのは何よりの御見おみやげで、こればかりはラビリス先生自賛のごとくまずまず近来の珍報である。ただに珍報のみならず、嬉しい快よい珍報である。一流の武具を貰おうが貰うまいがそんな事はまずどうでもよい。とにかく御馳走になるのはおおいに結構である。


 さて吾輩は、騒々しい人間共を尻目に邸内の見廻りと極め込むか。



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