第一話(二)



 吾輩がこの中華料理店に住み込んだ当時は、主人以外のものにははなはだ不人望であった。どこへ行っても跳ね付けられて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍重されなかったかは、名前さえつけてくれないのでも分かる。吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を入れてくれた主人のそばにいる事をつとめた。朝主人が下手糞な太極拳を演じるときは必ず彼の禿頭の上に乗る。彼が昼食がわりの饅頭まんとうを喰うときは必ずその膝の上に乗る。これはあながち主人が好きという訳ではないが別に構い手がなかったからやむを得んのである。


 る日の午後、吾輩は例のごとく厨房を出た路地に重ね置いてある麺トレーの上で午睡ひるねをして虎になった夢を見ていた。店の内に飾られた豪奢な刺繍を施した脂ぎってべとべとするタペストリーに描かれた虎に甚大なる影響を受けた為である。


 主人に鶏肉を持って来いと云うと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る。李さんが来たから、李さんに家鴨あひるが食いたい、向かいの中華料理店に行ってしつえて来いと云うと、搾菜ザーサイと海老煎餅といっしょに召し上がりますと家鴨の味が致しますアルと柄にもなく茶羅ッ鉾ちゃらっぽこを云うものだから、大きな口をあいて、うーと唸っておどしてやったら、李さんは蒼くなって今年の家鴨の季節は終わりましたアルがいかが取り計らいましょうかアルと云った。それなら牛肉で勘弁するから早く神戸へ出向いてロースを一斤取って来い、早くせんと貴様から食い殺すぞと云ったら、李さんは尻を端折って駆け出した。吾輩は急にからだが大きくなったので、麺トレー一杯に寝そべって、李さんの帰るのを待ち受けていると、たちまち狭い路地に響く大きな声がしてせっかくの牛も食わぬ間に夢がさめてわれに帰った。


 声のした方を見てみると、四五匹の猫が寄り集まっていた。その内にいる一層ふくよかな体躯をした猫が双眸の奥から射るごとき光を吾輩の矮小なる額の上に集めて、「おめえは一体何だ」と云った。一団の頭目にしては少々言葉が卑しいと思ったが、何しろその声の底に犬をもしぐべき力が籠っているので吾輩は少なからず恐れを抱いた。しかし挨拶をしないと険呑だと思ったから「吾輩は猫である。名前はまだない」となるべく平気を装って冷然と答えた。しかしこの時吾輩の心臓はたしかに平時よりも烈しく鼓動しておった。彼は大いに軽蔑せる調子で「何、猫だ? 猫が聞いて呆れらあ。一体全体どこに住んでるんだ」随分傍若無人である。「吾輩はここの中華料理店にいるのだ」「どうせそんな事だろうと思った。大して太ってねえじゃねえか」と頭目だけに気焔を吹きかける。言葉付から察するとどうも良家の猫とも思われない。吾輩は「そう云う君は一体誰だい」と聞かざるを得なかった。「おらぁ向かいの中華料理屋『昇龍軒』で世話んなってる白龍パイロンってモンよ」昂然たるものだ。吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々軽侮の念も生じたのである。吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかを試してみようと思って左の問答をして見た。


「一体猫と龍とはどっちがえらいだろう」

「龍の方が強いに決まっていらあな。お前のとこの主人を見ねえ、まるでぶくぶく太っただけの豚だぜ」

「君も中華料理屋の猫だけに大分太っているな。中華料理屋にいると御馳走が食えるからね」

「なあに俺なんざ、どこの国へ行ったって食い物に不自由はしねえつもりだ。てめえなんかも路地裏ばかりでごろごろ寝ていねえで、ちっと俺の後へくっ付いて来て見ねえ。一と月とたたねえうちに見違えるように太って強くなれるぜ」

「追ってそう願う事にしよう。しかし店は『猫々飯店』の方が『昇龍軒』より大きいように思われる」

「べらぼうめ、店なんかいくら大きくたって腹の足しになるもんか」


 彼は大いに癇癪に障った様子で、寒竹かんちくをそいだような耳をしきりとぴく付かせてあららかに両足立ちになった。


「よおし。てめえがどれだけのモンか試してやろうじゃねえか」

「遠慮をしておくよ。君は大層強そうだからね」

「やってみなけりゃ分かるめえ。ほれ、そこのポリバケツの上で相撲を取るってのはどうだ」


 弱ったことに一番取る流れになってしまった。少々なら自信がないこともないのだが、相手がこの白龍ともなればそうも上手くいくまい。まずまず勝てはしない。適当に組み合って、適当に負けてしまおう、そう考えたのだった。


「うーん。うーん」

「うーん。えいやっ」


 退く腰に釣られて前足をぐにゃりと前へ出したと思う途端ぼちゃんと音がして、はっと云ううち――やられた。どうやられたのか考える間がない。ただやられたなと気がつくか、つかないのにあとは滅茶苦茶になってしまった。ぎゃあぎゃあと騒々しい音だけが遠ざかる。


 我に帰ったときは水の上に浮いている。苦しいから爪でもって矢鱈に掻いたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐってしまう。仕方がないから後足で飛び上っておいて、前足で掻いたら、がりりと音がしてわずかに手応があった。ようやく頭だけ浮くからどこだろうと見廻みまわすと、吾輩は大きな青いポリバケツの中に落ちている。しかも中身は冷たい水だ。


 水から縁までは十二センチもある。足をのばしても届かない。飛び上っても出られない。呑気にしていれば沈むばかりだ。もがけばがりがりとポリバケツに爪があたるのみで、あたった時は少し浮く気味だが、すべればたちまちぐっともぐる。もぐれば苦しいから、すぐがりがりをやる。そのうちからだが疲れてくる。気は焦るが、足はさほど利かなくなる。ついにはもぐるためにポリバケツを掻くのか、掻くためにもぐるのか、自分でも分りにくくなった。


 その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責かしゃくに逢うのはつまりポリバケツから上へあがりたいばかりのねがいである。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切っている。吾輩の足は九センチに足らぬ。よし水の面にからだが浮いて、浮いた所から思う存分前足をのばしたって十五センチにあまるポリバケツの縁に爪のかかりようがない。ポリバケツの縁に爪のかかりようがなければいくらも掻いても、焦っても、百年の間身を粉にしても出られっこない。出られないと分り切っているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。つまらない。自らら求めて苦しんで、自ら好んで拷問にかかっているのは馬鹿気ている。


「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりご免こうむるアルよ」


 と、前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。


 次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、厨房の中にいるのだか、判然しない。どこにどうしていても差支えはない。ただ楽である。否、楽そのものすらも感じ得ない。日月を切り落し、天地を粉砕して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。


 南無阿弥陀仏ナーモーアーミートゥオフォー、南無阿弥陀仏。

 謝々シェーシェー謝々。



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