第六話(二)



 ようやっと神官宿まで帰って見ると、騒々しい世間から急に静かな所へ移ったので、何だか祭の輪から外れて薄黒い洞窟の中へ入り込んだような心持ちがする。


 探険中は、ほかの事に気を奪われて部屋の装飾、窓、木扉の具合などには眼もとまらなかったが、わが住居すまいの平凡なるを感ずると同時に彼のいわゆる月並が恋しくなる。神官よりもやはり御師匠様王様がえらいように思われる。吾輩も少し変だと思って、例の尻尾に伺いを立てて見たら、その通りその通りと尻尾の先から御宣託があった。


 窓からなか這入はいって見ると驚いたのはラビリス嬢まだ帰らない、焼菓子の包紙を薔薇のごとく屑籠の中へ突き立てて大胡坐おおあぐらで何か話し立てている。クシュンは眠気を催し手枕をして天井の染みを余念もなく数えながらしきりに頷いている。あいかわらず太平の逸民の会合である。


 ラビリス嬢の話しによるといにしえの小国にドミーニョンという決して沈まぬ船があったそうだ。


 この国が大海の覇者で――もっともこれは武力的ではない、交易を含め制覇を成したという事である。その要こそがドミーニョン Dominion たる巨大船であり彼らの領地そのものでもあったと云う。だがしかし幾たびもの戦や老朽化によってやがて船体のあちこちにガタが来た。これは必然である。致し方ない。形ある物の常なる宿命であろう。


 東国の民はもとよりドミーニョンこそが要でありわが祖国と信じておるから自分の苦心も省みず悪い所を取り外しては海に捨て新しい物に取換とりかえては往来へ出る。また壊れれば直し直せなければ捨てて新しい適当な奴をこしらえてつける。そうやって父から子へ子から孫へと役目をつぎながら東の海の端から遥々西の海の端まで何十年かけて洋行した。彼らの目当てはドミーニョンを最初に作った造船職人に逢うためである。


 ところがようやっと出逢えたと思った造船職人は彼らを見て大に戸惑い首を傾げた。


 東国の民は訳がわからずに今日までの旅路を語り聞かせた。彼等はついに東から西まで大海を探険した。その道すがらドミーニョンを作っては直し直しては作って何とかここまでやって来た。ふと船体に書かれた文字が造船職人の目に入った。見るとそこにはドゥーミニン Doominin という名がかいてある。造船職人は手を振って「これじゃないこれじゃないこれは知らぬ。ドミーニョンは確かに造ったが、こいつはドゥーミニンじゃないか。ドミーニョンでなくてはいかん。道理で自分で作った船とは違うようだと思った。ようやくの事で合点がいったぞ」と東国の民共の事はまるで忘れて、一人笑いながら家に帰ったと云う。


 要は東国の民たちはガタが来た所を直して新品に取換える事ばかりに気を取られ、もとのドミーニョン何たるかをすっかり失念しておったのだ。直してもどうにも使い道がなければ無闇に海へと捨ててしまって新しく適当な物を拵えておったから物の形からして固とは違う。無論船の形もまるで違っておる。果ては船の名すら取違えて別の名になっておったのだ、と云う事の次第であった。


「さて、クシュン君。全てを一切合切取換えてしまったドミーニョンは果たしてドミーニョンだと云えるのかね」とラビリス嬢はプルタークを極め込んで話しを締め括った。

「ドミーニョンはドミーニョンで相違ないのじゃないかしら」

「でもさ君、固のドミーニョンだった部品はもう何処にもないんだぜ」

「それでもドミーニョンはドミーニョンだわ。そう云っているんだもの」

「そう云ったってだね、名前からしてもう違う」

「書き損じでしょう」とクシュンは牡蠣的頑固を発揮して譲らない。

「ではこれならどうだい。連中が海々に放り棄てた部品を残らず集めて来て組立て直したとしたならば、どっちがドミーニョンになるんだろうか」

「矢鱈と捨てちまったものを集められっこありませんよ」

「それをやろうってんですよ。そしたらどうだと思うかね」

「知りませんよもう」

「いやに頑固だなあ」


 あまりラビリス嬢の言葉が仰山ぎょうさんなので、さすが御上手者のクシュンもまた始まったなと云わぬばかりの顔付をする。こうつっけんどんにされてはいかなラビリス嬢とて少々気の毒な感はあるが、このように一般的容認の内にある前提に反駁しがたき推論を重ね容認し難い結論を導く論法というものは、得てしてこれといった解を持たぬのが常である。しかしてラビリス嬢はなお大得意で弁じつづける。人間というものは到底猫属の言語を解し得るくらいに天のめぐみに浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいて、吾輩は大欠伸をめ込む。


「それにしてもあれだね、クシュン君。お抱え神官である君が彼の地よりお招きした勇者猫様をお預かりになっていることを市井の連中は知らんのだな。まったく怪しからん、まったく」

「人様にお話しするほどのことでもありませんから」

「だから云ってやったのだ。彼の猫様こそマダナイの生まれ変わりであるとね」

「なんですって」


 クシュンは眼を廻した。これには吾輩も仰天せざるを得ない。


「いやね君、何も御隠しなさる事でもないでしょう。事実は事実なのだから」

「事実? この前は虚言うそだと仰ったじゃないですか」

「事実と云うのはだね、私の研究している魔法史文献の第二読本の中にあったと云う事さ」

「第二読本? 第二読本がどうしたんです」

「マダナイ様の尻にあるこのあざだよ。これぎりは曲げようもない」

「で、その痣がなんだってんです」

の英雄マダナイにもあったそうだ。この猫様の尻にあるのと同じ二つ剣文様の痣がね。そのように相違なく第二読本にしかと書いてあるのだから、これを事実と云って何が悪い」

「冗談じゃありませんよ。どうなっても知りませんからね」

「私は君のような法螺吹ほらふきとは違うさ」とラビリス嬢はうそぶく。泰然たるものだ。


 だがこの他愛も無いやりとりが後の大事件を生むことになろうとは、この時の吾輩はつゆとも知りもせんかったのである。



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