第十七話(二)



 元来人間共は王様とか貴族豪族とかいうと非常に恐縮するものであるが、妙な事には怪物化物のたぐいに対する尊敬の度は極めて低い。大鬼小鬼よりも市井の地主の方が余程よほど怖いと信じている。よし信じておらんでも、融通の利かぬ性質として、到底とうてい実業家、金満家の恩顧おんここうむる事は覚束おぼつかないとあきらめている。


 いくら先方が王様でも、貴族豪族でも、自分が世話になる見込のないと思い切った人の利害には極めて無頓着なものである。それだから他の方面の事には極めて迂濶うかつで、どこに、だれが何をしているか一向知らん。知っても尊敬畏服の念はごうも起らんのである。


 吾等われらの視線の先には身丈一〇尺もあろうかと云う赤胴色の肌をした大鬼三疋さんびきがおった。


「まだ気付かれてませんね」と岩を背にしたコルドーは声をひそやかにする。

硫黄サルファー臭いから少々人間臭くても鼻が利かんのだろう。にしても大鬼オーガ三疋は梃子てこりそうだ」

「とは云えこの先身を隠す場所なんてありゃしませんよ。どうします」

「ううむ。今考えてる所だから待ちたまえよ」とトジュロー君おおいに頭を悩ませておる。


 先と同じ理窟で兎角とかく人間という生き物は怪物化物を小馬鹿にしがちである。確かにあちらにおわす大鬼連中の方ではあましたの一隅にこんな大層立派な御見おみやげがやはり日光に照らされて鎮坐ちんざしていようとは夢にも知らない。今まで世の中の人間にも大分接して見たが、急に御見やげだけ残して消失きえうせせる場合はない、どこの人間にうても、どんな身分の低い人間でも後生大事に肌身離さず抱込かかえこむ、いわんやこんな心寂しい腐り卵の臭気漂う枯山水においてをやで、はてなと一同揃って首を傾げておった。いささ滑稽こっけいがすぎるが、さりとて連中も馬鹿ではあるかも知れぬけれども侮ってかかる者はそれに輪をかけてであろう。


「大鬼は人を食ってしまうと聞きましたよ」とクシュンは思わず身震いする。

「人どころで済めば好いが、連中は馬でも牛でも丸ごとなまで食ってしまうな。無論猫もさ」

「ああ、怖ろしいこと」クシュンはたちまち神経性胃弱を起してへそあたりをさする。


 下等な人間のうちには猫を食うような野蛮人がある由はかねて伝聞したが、吾輩が平生へいぜい眷顧けんこはずかしゅうする大鬼先生その人もまたこの同類ならんとは今が今まで夢にも知らなかった。いわんや同君はもとより人間ではない、大鬼と云えばからす天狗てんぐに似たようおそうやまうべき神仏の御遣おつかいに近しい存在と信じておったのだから吾輩の驚愕もまたと通りではない。怪物化物を見たら泥棒と思えと云う格言は今正に目の前で繰広げられんとする行為によってすでに証拠立てられたが、怪物化物を見たら猫食いと思えとは吾輩も大鬼先生の御蔭によって始めて感得した真理である。


「私が弓で射かけましょう」ウインドは王より授かりし長弓「竜舌弓ドラグ・リングァ」を構えて告げる。「吾が友よ、常闇の術で連中の眼をふさいでくれたまえ。炎や氷はちと具合が悪い。折角の荷が台無しになってしまう」コルドーもまた授かりし魔法杖「樹精之杖メリアス・ロッド」を構え真言を唱える。「良し。折を見ていよいよ危うくなったら僕が斬伏せよう」とトジュロー君ごくりと喉を鳴らす。


 ウインド、かぶらを取ってつがい、よっぴいてひょうふっと放つ。


 さすがは一流作長弓「竜舌弓」、音無おとなしの名に違わず小も響かずに放たれた鏑は正面におった大鬼の眉間を外す事なく深々突き刺さった。大鬼は、ぐりん、と白目を剥き宙に朱の糸を踊らせ、どう、と大の字に倒れる。背を向けたままの大鬼二疋はおどろいてこちらを見やる。その刹那、右の大鬼はウインドの次なる鏑に喉を貫かれ、両手でそれを引っ掴んだままいのりの姿勢で膝を折り眼を閉じ黙祷する。残る左の大鬼はいよいよ慌てふためきつつもようやく吾等の方に気付いたらしく全速疾駆するも、コルドーの唱えし常闇の術中にやすやす陥り足をもつらせもんどり打った。目掛けて天高くトジュロー君が裂帛れっぱくの気合と共に跳躍する。


「う」瞬間クシュンはうめき声を漏らして眼をそむけた。


 一方、吾輩は一部始終を逃す事なく黙してじっと見届ける。


 この世界に住めばさまざま事を知る、事を知るは嬉しいが日に日に危険が多くて、日に日に油断がならなくなる。狡猾こうかつになるのも卑劣ひれつになるのも表裏二枚合せの護身服を着けるのも皆事を知るの結果であって、事を知るのは年を取るの罪である。老人にろくなものがいないのはこの理だな、吾輩などもあるいは今のうちに大鬼君の鍋の中で玉葱たまねぎと共に成仏じょうぶつする方が得策かも知れんと考えて、げにこの世は諸行無常であるものだと密かに嘆息たんそくする。


 たびは人間贔屓びいき如何いかんなく発揮して混成猫旅団を率いて魔族共を残らず引っいてやるわいと思ったくらいの吾輩なれど、こうして事実現実として眼の当りにするとなかなかにして怪物化物と云えども哀れの念を抱かずにはいられぬ。


 普通の人は戦争とさえ云えば沙河しゃかとか奉天ほうてんとかまた旅順りょじゅんとかそのほかに戦争はないもののごとくに考えている。少し詩がかった野蛮人になると、アキリスがヘクトーの死骸を引きずって、トロイの城壁を三匝さんそうしたとか、えんぴと張飛ちょうひ長坂橋ちょうはんきょう丈八じょうはち蛇矛じゃぼうを横えて、曹操の軍百万人をにらめ返したとか大袈裟おおげさな事ばかり連想する。


 連想は当人の随意だがそれ以外の戦争はないものと心得るのは不都合だ。太古たいこ蒙昧もうまいの時代に在ってこそ、そんな馬鹿気た戦争も行われたかも知れん、しかし太平たいへい今日こんにち、日本においてかくのごとき野蛮的行動はあり得べからざる奇蹟きせきに属していた。いかに騒動が持ち上がっても交番の焼打やきうち以上に出る気遣きづかいはなかった。少なくとも吾輩はそう思っていたのだ。


 して見るとの地サンドレアにおける人間共と魔族との戦争は大戦争の一として数えてしかるべきものであろう。だがやはり馬鹿気ていると云う点においては全くもって相違ない。


「その者達をどうするのです」トジュロー君が何やら始めたのでクシュンは問う。

「者じゃない。大鬼の化物さ」見るととトジュロー君は命の抜殻ぬけがらたる大荷物の両足をつかんで一人懸命に引き摺っていた。「かと云ってこのまま打捨うちすてておくのはあまりに哀れだろう。こやつらとて友もいれば親も子もいただろうに、そう思ってやっている事だ」

「そいつはあまりにもじゃありませんかね」

「勝手にやっているだけの事さ」


 皮肉交りのとがったことばに肩をすくめるばかりのトジュロー君だったが、じき当のウインドもコルドークシュンまでもトジュロー君に手を貸し始める。やがて、三つの土饅頭どまんじゅうが出来上がった。


「一番愚なのは人間でも怪物化物でもない。互いを憎み争い合う心なのだ」


 四人と一疋は誰れからと云わぬ内に無言で祈を捧げた。



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