第十八話(一)



 暑い暑いを繰返し吾等われら勇者様御一行は、眼の前にそびえ立つ神魔が邂逅かいこうするとわれる人跡未踏の地、メゴシュー山のいただきを目指してひたすら登っておった。するとやがてぽっかりと開いた大層おおきな洞窟を見つけたので、いよいよもってこの奥に控えしは魔王の居城ではあるまいかと這入はいりこむ事にめたのである。


 打って変わっていささか震えを覚えるほどなかは寒い。


 それでも吾輩に至っては暑い暑いよりはるかにマシなので素知らぬ顔で進んで行く。大袈裟おおげさにしきりカタカタと歯を鳴らしているウインドに至っては、やはり吾輩の進言したように年中毛衣を着て通す修業をしておけばかったと今更悔やんでおる事であろう。


 松明のあかりに照らされたかげを見てはすわ怪物かと大騒ぎし、うなじに天より降りし水礫みずつぶてが当たればあまりの冷感にぎゃっとおどろき、上ばかりに気取られると今度は足元を石榑いしくれすくわれる。うのていで進み行くとようやっと大なる空間が見えて来た。


 これは僥倖ぎょうこう安堵あんどするもつか、そこには既に御客人おきゃくじんが待ちかねておった。


「全く……こいつは奇観きかんですな。何が奇観だって僕がこれを口にするをはばかるほどの奇観ですよ」「差し詰め地獄の門番と云う体ですね」ウインドとコルドーがかわがわる云うとトジュロー君がそれをぴしりとたしなめめる。「呑気のんきの場合ではなかろう。眼の前におるのは巨大グレーター蟷螂マンティスだぞ? 昔々の勇者伝承に書かれておったが、まことなるものとは思いもせずはなから信じておらなんだ。用心しなければなるまいよ」


 油断なく構え身を寄せる四人を尻目にただ一疋いっぴき、吾輩は御客人を前に大欠伸おおあくびをしておった。


 やいのやいの八卦はっけよいやよいやと騒がしいが、連中は何をそんなに大騒ぎしているのだろうか。少々おおきかろうがちいさかろうが緑だろうが茶であろうが蟷螂とうろうは蟷螂であり、虫は虫である。


 さて吾輩が此方こちらの世界に来る前に運動と称して実践していたものの第一が何を隠そう蟷螂狩りである。蟷螂狩りは鼠狩りほどの大運動でない代りにそれほどの危険がない。夏の半から秋の始めへかけてやる遊戯としてはもっとも上乗のものだ。


 その方法を云うとまず庭へ出て、一匹の蟷螂をさがし出す。時候がいいと一匹や二匹見付け出すのは雑作もない。此度こたびとうに蟷螂先生自ら御出おでましなのでなおありがたい。


「マダナイさんはどちらに……? ああ、何という事!」

よろしくないな。奴め手鎌で狙いを付けておるぞ!」


 さて見付け出した蟷螂君のそばへはっと風を切ってけて行く。するとすわこそと云う身構みがまえをして鎌首かまくびをふり上げる。蟷螂でもなかなか健気けなげなもので、相手の力量を知らんうちは抵抗するつもりでいるから面白い。


「どうするおつもりでしょうか、勇者猫様とは云えど力量の差は歴然です」

「さすがに彼奴きゃつには敵いっこありませんよ! 御猫様、御戻りください!」


 振り上げた鎌首を右の前足でちょっと参る。振り上げた首は軟かいからぐにゃり横へ曲る。この時の蟷螂君の表情がすこぶる興味を添える。おやと云う思い入れが充分ある。


「ギ――ギギギッ?」


 ところを一足いっそく飛びに君の後ろへまわって今度は背面から君の羽根を軽く引きく。あの羽根は平生へいぜい大事にたたんであるが、引き掻き方がはげしいと、ぱっと乱れて中から吉野紙のような薄色の下着があらわれる。君は夏でも御苦労ごくろう千万せんばんに二枚重ねでおつまっている。


「効いているようじゃないか。それに素早い。さすが勇者マダナイを継ぐ御猫様と云うもの」

「いや、苦戦しているようですね、只の猫の爪ごときでは――」


 おやおや、随分と手ごわいではあるまいか。ただ大なるだけでなく羽根が普通一遍いっぺんこれ尋常じんじょうではない。やたら堅い。




 が、千万せんばん承知しょうちの上である。




「ギイッ!」




 ――そう、この時君の長い首は必ず後ろに向き直る。




 少々大なるこの蟷螂君は吾輩目掛けて突進すると極めたらしい。このように我無洒落がむしゃらに向ってくるのはよほど無教育な野蛮的蟷螂である。もし相手がこの野蛮な振舞ふるまいをやると、向って来たところをねらいすましていやと云うほど張り付けてやる。――ぴしり! 大概は二三尺飛ばされる者である。


「当たった!」トジュロー君が喝采する。


 だがしかし、吾輩の思惑とは異なり蟷螂君びくともせん、びくともせんが吾輩の振舞いに大におそれを抱いた容子ようすである。もう吾輩の力量を知ったから手向てむかいをする勇気はない。ただ右往左往へ逃げ惑うのみである。しかし吾輩も右往左往へ追っかけるから、君はしまいには苦しがって羽根を振って一大活躍を試みる事がある。元来蟷螂の羽根は彼の首と調和して、すこぶる細長く出来上がったものだが、聞いて見ると全く装飾用だそうで、人間の英語、フランス語、独逸ドイツ語のごとくごうも実用にはならん。だから無用の長物を利用して一大活躍を試みたところが吾輩に対してあまり功能のありよう訳がない。


「彼奴め、飛んで逃げようと云う気か?」

「いいや、御猫様の方が素早いぞ!」


 こうなると少々気の毒な感はあるが仕方がない。御免ごめんこうむってたちまち前面へ馳け抜ける。君は惰性で急廻転が出来ないからやはりやむを得ず前進してくる。その鼻をなぐりつける。この時蟷螂君は必ず羽根を広げたままたおれる。その上をうんと前足で抑えて少しく休息する。それからまた放す。放しておいてまた抑える。七擒七縦しちしょうしちきん孔明こうめいの軍略で攻めつける。


「はは……。只一疋ぎりで打ちたおして御終おしまいになられた。吾が眼を疑うよ、まったく」

「こりゃ洋琵琶リュートに乗せても到底信じてくれますまい」トジュロー君のことばにウインドが応じる。


 何と手応えの無い。常なれば、こっちの手で突っ付いて、飛び上がるところをまた抑えつけ、すっかりいやになってから、最後の手段としてむしゃむしゃ食ってしまうのだが――。




 ついでだから蟷螂を食った事のない人に話しておくが、蟷螂は滋養分も存外ぞんがい少なくあまりうまい物ではない。


 この少々大なる蟷螂君には気の毒だが、こいつは取分とりわ不味まずそうだ。



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