第七話(二)



 例によって城内へ忍び込む。


 例によってとは今更解釈する必要もない。しばしばを自乗じじょうしたほどの度合を示すことばである。


 一度やった事は二度やりたいもので、二度試みた事は三度試みたいのは人間にのみ限らるる好奇心ではない、猫といえどもこの心理的特権を有してこの世界に生れでたものと認定していただかねばならぬ。三度以上繰返す時始めて習慣なる語を冠せられて、この行為が生活上の必要と進化するのもまた人間と相違はない。何のために、かくまで足繁あししげく鼻王邸へ通うのかと不審をおこすならその前にちょっと人間に反問したい事がある。なぜ人間は口から煙を吸い込んで鼻から吐き出すのであるか、腹の足しにも血の道の薬にもならないものを、恥かし気もなく吐呑とどんしてはばからざる以上は、吾輩が城内に出入するのを、あまり大きな声で咎め立てをして貰いたくない。鼻王邸は吾輩の煙草である。


 忍び込むとうから語弊がある、何だか泥棒か間男のようで聞き苦しい。吾輩が鼻王邸へ行くのは、招待こそ受けないが、決して鰹の切身をちょろまかしたりするためではない。――何探偵?――当たらずとも遠からじである。およそ世の中に何がいやしい家業だと云って探偵と高利貸ほど下等な職はないと思っている吾輩なれど、クシュンのために猫にあるまじきほどの義侠心を起して鼻王めの動静を余所よそながら窺おうとの決心からであった。


 確かにこれは猫の良心に恥ずるような陋劣ろうれつ振舞ふるまいであろう。――忍び込むと云うような胡乱うろんな文字を使用してまで?――さあ、それがすこぶる意味のある事だて。


 元来吾輩の考によると大空は万物を覆うため大地は万物を載せるために出来ている――いかに執拗な議論を好む人間でもこの事実を否定する訳には行くまい。さてこの大空大地を製造するために彼等人類はどのくらいの労力を費やしているかと云うと尺寸せきすん手伝てつだいもしておらぬではないか。自分が製造しておらぬものを自分の所有とめる法はなかろう。自分の所有と極めても差し支えないが他の出入を禁ずる理由はあるまい。この茫々たる大地を、小賢しくも垣を囲らし堀を埋めて某々所有地などとかくし限るのはあたかもかの蒼天に縄張なわばりして、この部分は我の天、あの部分は彼の天と届け出るような者だ。もし土地を切り刻んで一坪いくらの所有権を売買するなら我等が呼吸する空気を一尺立方に割って切売をしてもい訳である。空気の切売が出来ず、空の縄張が不当なら地面の私有も不合理ではないか。


 如是観にょぜかんによりて、如是法にょぜほうを信じている吾輩はそれだからどこへでも這入はいって行く。もっとも行きたくない処へは行かぬが、志す方角へは東西南北の差別は入らぬ、平気な顔をして、のそのそと参る。鼻王ごときものに遠慮をする訳がない。


 しかし猫の悲しさは力ずくでは到底人間には叶わない。強勢は権利なりとの格言さえあるこの浮世に存在する以上は、いかにこっちに道理があっても猫の議論は通らない。ことわりはこっちにあるが権力は向うにあると云う場合に、理を曲げて一も二もなく屈従するか、または権力の目をかすめて我理を貫くかと云えば、吾輩は無論後者を択ぶのである。人の邸内へは這入り込んで差支えなき故込まざるを得ず。この故に吾輩は鼻王邸へ忍び込むのである。


「おい、何か通らなかったか」

「うんにゃ。知らんね」


 今日はどんな按排あんばいだなと、石塀を飛び越え石壁を駆け上り石窓の縁に顎を押しつけて前面を見渡すと十五畳の大広間を弥生の春に明け放って、中には鼻王と一人の来客との御話最中である。生憎鼻王の鼻がこっちを向いて吾輩の額の上を正面から睨め付けている。鼻に睨まれたのはうまれて今日が始めてである。来客は横顔を向けて鼻王と相対していて顔の造作は半分かくれて見えぬので、鼻の在所が判然しない。ただ屈強として隆とした体躯が大層立派だと感じいったので、あの上に顔があり鼻があり、孔が二つあるはずだと結論だけは苦もなく出来る。


 おや、御客さんがこちらを見おった。春風もああ云う滑かな顔ばかり吹いていたら定めて楽だろうと、ついでながら想像を逞しゅうして見た。吾輩は人間の美醜を見極める術を持ち合わせてはおらんが、極めて普通である。


「……それで容子ようすを探ろうと、わざわざ遠方よりお前を呼び付けたという訳なのだがね……」

 と鼻王は例のごとく横風な言葉使ことばづかいである。

「なるほど彼女等とは共に学んだ仲ですので――なるほど、よい御思い付きで――なるほど」

 となるほどずくめのは御客さんである。

「ところが何だか要領を得んのだ」

「ええ、ラビリスが相手じゃ要領を得ない訳です――あの娘は私がいっしょに学んでいる時分から実に喰えない――そりゃ御困りでしたでしょう」御客さんはくつくつと笑いを堪える。

「いや御話しにもならん。何か尋ねればまるで教師と生徒のように振舞う。儂は王だぞ」

「それは怪しからん訳で――一体少し学問をしているととかく慢心がすもので――いえ世の中には随分無法な奴がおりますよ。自分の働きのないのには気が付かないで、無暗に財産のあるものに喰って掛るなんてのが――まるで彼等の財産でも捲き上げたような気分ですから驚きますよ、あははは」と御客さんは大恐悦のていである。

「いや、まことに言語同断で、ああ云うのは必竟世間見ずの我儘から起るのだから、ちっと懲らしめのためにいじめてやるが好かろうと思って、少しあたってやったよ」

「なるほどそれでは大分答えましたろう、全く本人のためにもなる事ですから」と御客さんはいかなる当り方かうけたまわらぬ先からすでに鼻王に同意している。

「あのラビリスって女はよっぽどな酔興人だな。役にも立たない嘘八百を並べ立てて。儂はあんな変梃へんてこな女には初めて逢うたわ」

「あいかわらず法螺ほらを吹くと見えますね。やはりクシュンの所で御逢いになったんですか。あれに掛っちゃたまりません。あんまり人を馬鹿にするものですからく喧嘩をしましたよ」

 御客さんは苦渋を呑んだかのごとく殊更ことさら顔をしかめた。

「そこでだトジュロー、今日わざわざ君を招いたのはだね」としばらく途切れて鼻王の声が聞える。「ちょっと君を煩わしたいと思ってな……」

「私に出来ます事なら何でも御遠慮なくどうか――の辺境の鉱山から晴れて城勤務と云う事になりましたのも全くいろいろ御心配を掛けた結果にほかならん訳でありますから」と御客さんは快よく鼻王の依頼を承諾する。


 いやだんだん事件が面白く発展してくるな、今日はあまり天気が宜いので、来る気もなしに来たのであるが、こう云う好材料を得ようとは全く思い掛けなんだ。御彼岸にお寺詣りをして偶然方丈ほうじょう牡丹餅ぼたもちの御馳走になるような者だ。


 さて、鼻王はどんな事を客人に依頼するかなと、石窓から耳を澄してなお聞いてみる。



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