第三話(一)
吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我儘なものだと断言せざるを得ないようになった。
ことに吾輩が時折同衾する例の黒縁丸眼鏡の君、ラビリス嬢に至っては言語道断である。自分勝手な時は人を抱き抱えて懐炉代わりにしたり、面白半分に頭へ袋をかぶせたり、頭上に放り投げたり、しこたま酒を
吾輩の尊敬するブラン夫人は逢う
吾輩は日頃より人間が所有権という事を解していないと大に憤慨している。元来我々同族間では鰯の頭でも秋刀魚の尾でも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えて
逆もまた然り。
クシュンは神経胃弱性の気があるからして、部屋に鼠一疋が迷込もうものならたちまちぎゃあと悲鳴を上げたぎり微動だにせず腹なんぞを押さえて蹲る。猫様どうかお願いしますと云う。万事これでは役に立ちようがない。まったくもって呆れてしまう。一番先に見付けたものがこれを捕らえる権利があるものだ。勝手にしたらいい。断っておくが、吾輩には捕れぬ訳ではない。かくまでに元気旺盛な吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとろうとする意志さえあれば、寝ていても訳なく捕れる。今まで捕らんのは、捕りたくないからの事さ。無理を通さずともただその日その日がどうにかこうにか送られればよいと思っている。
まあいくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。
気を永く猫の時節を待つがよかろう。
今日は少し気を変えて筋向いの踊りの御師匠さんの所のキャリコでも訪問しようと窓伝いにから表へ出た。
キャリコは雌の三毛猫で、この近辺で有名な美貌家である。吾輩は猫には相違ないが物の情けは一通り心得ている。うちでクシュンの渋い顔を見たりして気分が優れん時は必ずこの異性の
硝子窓の隙から、いるかなと思って見渡すと、キャリコは御師匠さんが稽古中だから行儀よく端の方に坐っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽している。尻尾の曲がり加減、足の折り具合、物憂げに耳をちょいちょい振る景色なども到底形容が出来ん。ことによく日の当る所に暖かそうに、品よく控えているものだから、身体は静粛端正の態度を有するにも関らず、
ほのかに承われば世間には猫の恋とか称する俳諧趣味の現象があって、春さきは同族共の夢安からぬまで浮かれ歩るく夜もあるとか云うが、吾輩はまだかかる心的変化に遭逢した事はない。そもそも恋は宇宙的の活力である。上は在天の神メッツナーより下は土中に鳴く
吾輩はしばらく恍惚として眺めていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で「キャリコさんキャリコさん」といいながら前足で招いた。キャリコは「あら勇者様」と腰を上げる。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。どうもいい音だと感心している間に、吾輩の傍に来て「勇者様、こんにちは」と尾を左りへ振る。吾等猫族間で御互に挨拶をするときには尾を棒のごとく立てて、それを左りへぐるりと廻すのである。町内で吾輩を勇者様と呼んでくれるのはこのキャリコばかりである。
吾輩はまだ名はないのであるが、神官に招かれこの世界に来たという話をしたものだからキャリコだけは尊敬して勇者様勇者様といってくれる。吾輩も勇者様と云われて満更悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。
「やあこんにちは、大層立派に御化粧が出来ましたね」
「ええ、御師匠さんに買って頂いたの、宜いでしょう」
と鈴をちゃらちゃら鳴らして見せる。
「なるほど善い音ですな、吾輩などは生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」
「あらいやだ、この世界ではみんなぶら下げるのよ」
とまたちゃらちゃら鳴らす。
「いい音でしょう、あたし嬉しいわ」
「あなたのうちの御師匠さんは大変あなたを可愛がっていると見えますね」
と吾身に引きくらべて暗に欣羨の意を洩らす。キャリコは無邪気なものである。
「ほんとよ、まるで自分の小供のようよ」
とあどけなく笑う。
猫だって笑わないとは限らない。人間は自分よりほかに笑えるものが無いように思っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻の孔を三角にして咽喉仏を震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。
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