第十五話(一)



 ――かくして宴は終焉を迎え、今日に至った。爽やかな朝である。




 しかしおよそ人間において何が見苦しいと云って口を開けて寝るほどの不体裁はあるまいと思う。猫などは生涯こんな恥をかいた事がない。元来口は音を出すため鼻は空気を吐呑とどんするための道具である。もっとも北の方へ行くと人間が無精になってなるべく口をあくまいと倹約をする結果鼻で言語を使うようなズーズーもあるが、鼻を閉塞して口ばかりで呼吸の用を弁じているのはズーズーよりもともないと思う。第一天井から鼠の糞でも落ちた時危険である。


 物音がしたのでそろそろ誰か起きたかものと窺ってみると、若い女中メイドに引かれて部屋を出て行くのはトジュロー君である。さて何処に行くものかとこっそり跡を付けていくと件の大広間で鼻王が待っておった。来るなり口を開く。


「来たかトジュロー」

「昨晩は大層な御歓待いただき一同に成り代わり感謝します」

い」鼻王はそれはどうでもよろしいと手を振り無雑作に聞く。「御前おまえの仲間の両人ふたりについてちと聞こうと思ってな」

「コルドーとウインドでしょうか」とトジュロー君は真面目な返事をする。

「そう身構えんでも宜しかろう。たしか冒険宿でうたのだったな」

左様さようで。まれなるえんに御座いました」とトジュロー君はようやく安心する。「それについてはあのラビリスにも感謝しなければなりますまい」とトジュロー君が苦々しく笑うと鼻王は唐突に尋ねた。

「両人は全体どんな風な人だね」

「両人の事を聞いて、何にするんです」とトジュロー君は思わず身構えた。「今時分じぶんになって両人の性行の一斑いっぱんたねに一行からお外しになるおつもりでしょうか」とトジュロー君は気転を利かす。「そうなれば私も任を受けるのが容易にならなくなりますが……」

「そうではない。そうはやるな」鼻王は大慌てで首を振る。「何も詰まらぬ横槍を入れようと思うている訳ではないのだ。ただな……ただそのう……」

「ただ、何でしょう」

 トジュロー君は戸惑うばかりである。鼻王は仕方なしに告白した。

「儂の娘がだな、その――なんだ、どうも恋着れんちゃくしたようなのだよ」

「それは乙な話しで」トジュロー君はほっと安堵する。「それじゃ、御令嬢をおやりになりたいとおっしゃるんで?」

「やりたいなんてえんじゃ無い」と鼻王は急にトジュロー君を参らせる。「ほかにもだんだん口が有るんだからな、無理に貰っていただかんでも困りゃせん」

「それじゃ両人の事なんか聞かんでも好いでしょう」とトジュロー君も躍起となる。

「さりとて隠す必要もあるまい」と鼻王も少々喧嘩腰になる。


 吾輩はいつもの如く石窓のへりに顎を乗せて、心のうち八卦はっけよいやよいやと怒鳴っている。


「じゃあ両人から是非貰いたいとでも云ったのですか」

 トジュロー君が正面から鉄砲を喰わせる。

「貰いたいと云ったんじゃないが……」

「貰いたいだろうと思っていらっしゃるんですか」

 トジュロー君はここが攻め時とさとったらしい。

「あれは吾が娘ながら大層な美人だ――両人だって満更嬉しくない事もないだろう」

 おっと、鼻王土俵際で持ち直す。

「両人からも何かその御令嬢に恋着したというような事でありますか」

 あるなら云って見ろと云う権幕でトジュロー君は詰め寄った。

「まあ、そんな見当だ」


 今度はトジュロー君の鉄砲が少しも功を奏しない。今まで面白気に行司気取りで見物していた吾輩も鼻王の一言に好奇心を挑撥ちょうはつされて思わず前へ乗り出す。


「連中が御嬢さんに付け文でもしたんですか、こりゃ愉快だ」

「付け文じゃない、もっとこう――御前も承知であろうが」と鼻王は乙にからまって来る。

「ははあ」とトジュロー君は感じ入る。

「忘れておるなら儂から話をしよう。昨晩の宴の折、洋琵琶リュートに乗せて歌を披露したではないか、して宴終りにひと悶着あったではないか――詳しい事は言うまい、当人の迷惑になるかも知れんからな――あれだけの証拠がありゃ充分だろうよ」


 鼻王は金剛石ダイヤモンド入りの指環のはまった指を、とんとんと玉坐の肘掛に打ち付けた。偉大なる鼻がますます異彩を放って、トジュロー君も有れども無きがごとき有様である。


「あれですか、なるほどおっしゃる通りだ。……もう隠したってしようがないですな」

「本当に隠し立てするのはいかん、ちゃんと種は上ってる」と鼻王はまた得意になる。

「仕方がない。何でも両人に関する事実は御参考のために陳述しましょう」遂にトジュロー君は降参した。鼻王の粘り勝ちである。「実に秘密というものは恐ろしいものですな。いくら隠しても、どこからか露見する。――しかし不思議と云えば不思議です、王はどうしてこの秘密を御探知になったんです?」

「儂とてぬかりはない」と鼻王はしたり顔をする。

「一体誰に御聞きになったんです」

「方々から大分いろいろな事を聞いておるさ」

「両人の事をですか」

「両人の事ばかりではない、無論御前達の事も散々聞いておる」と少し凄い事を云う。さしものトジュロー君も及び腰になった。「それは少々……剣呑けんのんですな」

 鼻王は俄然いきおいを増して自慢の獅子鼻から気焔を吐きおおいに笑った。

「儂とてそこまで無粋ではない。御前とクシュンの事はとがめ立てするいわれも無いからな」

「では、御令嬢の方はそうは行かぬと」

「左様」鼻王は急に身を乗り出して声を潜める。「ただの冒険者じゃ、いくらでもあるからな」

「魔王討伐を果たした一行ともなれば違ってきましょうか」

「それならな。そこまで野暮じゃなかろうと周りにも示しが付く」


 始めの目的と大差ないのだからとトジュロー君が安堵するのも束の間、鼻王こう云った。


「だがトジュロー、ろくでもない男にあれをやる訳にはいかん。とは云え若輩者の恋着はそうそう上手く火消ひけしはできまいて。ならばいっそ戻らぬ方が好都合――意味は分るだろうな?」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る