第十一話(一)



「いやあまさか本当にたおしてしまうだなんて、勇者猫様ってのは案外真実かもしれん」

「物理的攻撃が効かない厄介な魔物ですから。我等われらだけでは危うかったろうと思います」

「それをたった一疋いっぴき躊躇ためらいなく噛付かみつく豪胆さは洋琵琶リュート語継かたりつぐべきはなしでしょうなあ」


 ようやっと薄暗りから出られたと安堵する吾輩を尻目に、トジュロー君コルドーウインド共々そうしてみんな申し合せたようにげらげら笑っている。腹が立つ、まだ苦しくてたまらん。


「本当に御立派でしたねマダナイさん。こうして出逢えたのも偉大なるメッツナーのお導き。さあ遠慮なさらずお休みになってください。私が御褒美に撫でてあげましょうね」


 ようやく笑いがやみそうになった所でクシュンがそう云ったものだから、狂瀾きょうらん既倒きとうに何とかするといういきおいでまた大変笑われた。人間の同情にとぼしい実行も大分だいぶ見聞みききしたが、この時ほど恨めしく感じた事はなかった。ついに天祐てんゆうもどっかへ消え失せて、在来の通り四つばいになって、クシュンにされるがままに喉をゴロゴロするの醜態を演ずるまでに閉口した。


 しかし先刻は前歯がみんな折れるかと思った。どうも痛いの痛くないのって、群青餅の中へ堅く食い込んでいる歯を情け容赦もなく引張ったのだからたまらない。吾輩が「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」とう第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見廻みまわした時には事はすべて終わってしまっておった。


 それにしても恐るべきは南無なむ八幡はちまん大菩薩だいぼさつである。


 いよいよ覚悟をめて唱えた途端、御師匠様の稽古場で起きたのと同じ事が起こったものと見える。確かキャリコは云うておった――ぴかり、どん――まさにそれでありそれでしかない。しかしていまだどんな理窟と道理なのだかとうの吾輩にはさっぱりである。


「で、どうするのトジュロー、王様に報告されるのでしょう」

「実際に見てしまったからね。云わん訳にもいかんだろう」とトジュロー君。「心配かい?」

「少し」

「悪いようにはせんと思う」

「だと良いのだけれど」

「そうそう。君達は――そのう――アレに報告する気かね?」

「ラビリス嬢でしたか」コルドーは無事思い出し首肯しゅこうした。「頼まれてしまいましたので」

「アハハハ、余程よほどりたものとお見受けしますな。そんなに嫌うものでもないでしょう。世の御婦人方はがいして気紛れなもんですから。一々いちいち気にめちゃ身体に毒ですよ」

 生真面目なコルドーとは対象的にウインドが軽薄様相どおりのい加減な美学を振りまわしたものだから、たちまちトジュロー君はむっつりと顔をしかめた。

「君はアレを能々よくよく知らんからそうでもなかろうなどとすまし返って、例になく言葉すくなに上品に控え込むが、せんだってあのラビリスが来た時の容子ようすを見たらいかに歴史家贔負びいきの王侯貴族様でも辟易へきえきするに極ってる、ねえクシュン、君とて同じ思いだろう」

「それでも私よりラビリスの方が評判がいんですよ」

 クシュンの返答が余程面白くなかったのか、トジュロー君はなお不満な口気こうきで「第一気に喰わん顔だ」とにくらしそうに云うと、ウインドはすぐ引きうけて「丸眼鏡が大きすぎますな、すぐり落ちる」と面白そうに笑う。

「アレは夫をこくする顔だ」とトジュロー君はなお口惜くやしそうである。「今生で売れ残って、来世で店さらしにうと云うそうだ」とトジュロー君は妙な事ばかり云う。ところへクシュンが吾輩をさすりながら、女だけに「あんまり悪口をおっしゃると、何処どこかの誰かさんにいつけられますよ」と注意する。「それに顔の讒訴ざんそなどをなさるのは、あまり下等ですわ、誰だって好んで眼を悪くしている訳でもありませんから――それに相手が婦人ですからね、あんまりひどいわ」とラビリスを弁護すると、同時に自分の容貌も間接に弁護しておく。

「何ひどいものか、あんなのは婦人じゃない、愚人ぐじんだ、なあウインド君」

「愚人かは存じませんがね、なかなかえら者ですよ、大分引きかれたじゃありませんか」

 結局一人も味方にならぬと分かってトジュロー君はおおいにお怒りになって無口になる。


 吾輩はおとなしく四人の話しを順番に聞いていたがおかしくも悲しくもなかった。人間というものは時間を潰すためにいて口を運動させて、おかしくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりするほかにのうもない者だと思った。


 しかしトジュロー君だ。彼はなぜこの場にもせぬラビリス嬢に負けぬ気になって愚にもつかぬ駄弁をろうするのか、何の所得があるだろう。エピクタスでそんな事をしろと教わったのか知らん。要するにトジュロー君もラビリス嬢も太平の逸民で、彼等は糸瓜へちまのごとく風に吹かれて超然ちょうぜんと澄し切っているようなものの、その実はやはり娑婆気しゃばけもあり慾気よくけもある。競争の念、勝とう勝とうの心は彼等が日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼等が平常罵倒ばとうしている俗骨ぞっこつ共と一つ穴の動物になるのは猫より見て気の毒の至りである。ただその言語動作が普通の半可通はんかつうのごとく、文切り形の厭味を帯びてないのはいささかの取り得でもあろう。


 ようやっと一行は元来た道を辿り何事も無くゴルジアスターゼ城へと到着した。


「じゃあ僕はゴルトン王の所に参るとするよ、クシュン。後で話して聞かせようか」

「そうしていただけると幸いです。気掛かりですもの」

「うむ。そうしよう」


 トジュロー君は改めてコルドーウインドの両人ふたりに頭を下げて見せるとこう云った。


「本当に助かったよ。君等はこのままクシュンと伴だって神官宿に行くかね。いや、違うな。アレは城の方で第二読本とやらを読みふけっている所だろうさ。ならば一緒に行くかい」

 トジュロー君の思いも寄らぬ申し出に両人は顔を見合わせる。

 やがておずおずとコルドーから遠慮がちにこう申し述べた。

「そこまでお手をわずらわせるのも悪いでしょうから……」

「ラビリス嬢にはお逢いしたくないでしょうしなアハハハ」

不相変あいかわらず元気がいいね、結構だまったく」


 トジュロー君はウインドの軽口にうんざりした顔付で肩をすくめてからこう付け加えた。


「君等さえ良ければまた冒険行を共にしよう。これからも宜しく頼むよ」

「もちろんですとも」「ええ、またいずれ」



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