第五話(二)



 両人ふたりが出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬してクシュンの食い切った乾酪チーズの残りを頂戴した。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。乾酪の一切くらい頂戴したって人からかれこれわれる事もなかろう。それにこの人目を忍んで間食をするという癖は、何も吾等われら猫族に限った事ではない。の懐かしきさんなどはよく主人の留守中に月餅げっぺいなどを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。


 さて吾輩は今まで自ら進んで城内へ足を踏み込んだ事はない。ゴルジアスターゼ城の城主たる鼻王ゴルトンとは、どんな人物かは一度見かけたぎりでよくは知らぬ。クシュンの家で鼻王が話頭に上った事は一返いっぺんもないので、クシュンの飯を食う吾輩までがこの方面には単に無関係なるのみならず、はなはだ冷淡であった。しかるに図らずもラビリス嬢の訪問を受けて両人共連れ立って出掛けてしまうと、鼻王に使えし神官に養われている猫の身ながら安閑として寝台に寝転んでいられなくなった。先方では過日クシュンの犯した失態をさぞ滑稽に話しているやもしれん。と言って、ああ云う偉大な鼻を顔の中に安置している王の事だから、滅多な者では寄り付ける訳の者ではない。こう云う事件に関してはクシュンはむしろ無頓着過ぎる。なれば吾輩でも奮発して、敵城へ乗り込んでその動静を偵察してやらなくては、あまり不公平である。吾輩は猫だけれど、幸いにして世間一般の痴猫、愚猫とは少しくせんことにしている。何しろ勇者猫様だ。この冒険をあえてするくらいの義侠心はもとより尻尾の先に畳み込んである。この世界に来てからはさんざんクシュンに恩になった訳だからして、これはただに個人のためにする血気躁狂けっきそうきょうの沙汰ではない。大きく云えば公平を好み中庸を愛する天意を現実にする天晴あっぱれな美挙だ。幸い天気も好い。道のためには一命もすてる覚悟である。


 すわ出掛けようと勇猛精進の大決心を起して窓枠まで飛んで出たが「待てよ」と考えた。吾輩は猫として進化の極度に達しているのみならず、脳力の発達においてはあえて中学の三年生に劣らざるつもりであるが、悲しいかな咽喉の構造だけはどこまでも猫なので人間の言語が饒舌しゃべれない。よし首尾よく城内へ忍び込んで、充分敵の情勢を見届けたところで、肝心のクシュンに教えてやる訳に行かない。ラビリス嬢にも話せない。話せないとすれば土中にある金剛石ダイアモンドの日を受けて光らぬと同じ事で、せっかくの智識ちえも無用の長物となる。これは愚だ、やめようかしらんとそのまま窓枠で通りを見下ろして佇んで見た。


 しかし一度思い立った事を中途でやめるのは、白雨ゆうだちが来るかと待っている時黒雲共隣国へ通り過ぎたように、何となく残り惜しい。それも非がこっちにあれば格別だが、いわゆる正義のため、人道のためなら、たとい無駄死をやるまでも進むのが義務を知る男児の本懐であろう。無駄骨を折り、無駄足を汚すくらいは猫として適当のところである。猫と生れた因果でクシュンやラビリス嬢と三寸の舌頭に相互の思想を交換する技倆はないが、猫だけに忍びの術は諸先生より達者である。他人の出来ぬ事を成就するのはそれ自身において愉快である。吾一箇でも、鼻王の内幕を知るのは、誰も知らぬより愉快である。人に告げられんでも人に知られているなと云う自覚を彼等に与うるだけが愉快である。こんなに愉快が続々出て来ては行かずにはいられない。やはり行く事に致そう。


 街の中心へ来て見ると、聞いた通りの城壁が吾物顔に屹立している。鼻王の奴めさぞやこの城壁のごとく傲慢に構えているんだろうと、厳めしい顔付の門番共の傍を素知らぬ顔ですり抜け、門を這入ってその建築を眺めて見たがただ人を威圧しようと、三階作りが無意味に突っ立っているほかに何等の能もない構造であった。直に二階へと続く石段を右に見て、植込の中を通り抜けて、勝手口へ廻る。さすがに勝手は広い、クシュンたちの住まう神官宿舎の台所の二十倍はたしかにある。「模範勝手だな」と這入り込む。見ると例の神官長が立ちながら、御飯焚きを相手にしきりに何か弁じている。こいつは剣呑だと水桶の裏へかくれる。


「にしても困ったものだ」

「何がお困りでしょうね、神官長様?」

「無論例の儀式についてだよ。元より準備で一と年掛かっておる。最早時間がないのだ」

「そりゃ大層なことですね。あたしら飯炊にはとんと見当もつきませんわ」

「勇者英雄を招かねばならぬと云うのに、来たのは只の野良じゃないか。とんだ当外れだよ」


 吾輩にはもうマダナイと云う立派な名前があると云うのに、神官長は野良野良と繰り返し吾輩を呼ぶ。失敬な奴だ。吾輩はその後野良が何百遍繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き棄てて、水桶の裏から這出て台所から忍び出た時、八万八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震いをした。


 猫の足はあれども無きがごとし、どこを歩いても不器用な音のした試しがない。空を踏むがごとく、雲を行くがごとく、水中にけいを打つがごとく、洞裏とうりしつを鼓するがごとく、醍醐の妙味を甞めて言詮のほかに冷暖を自知するがごとし。行きたいところへ行って聞きたい話を聞いて、舌を出し尻尾をって、髭をぴんと立てて悠々と帰るのみである。ことに吾輩はこの道に掛けては日本一の堪能である。草双紙にある猫又の血脈を受けておりはせぬかと自ら疑うくらいである。蟇の額には夜光の明珠があると云うが、吾輩の尻尾には神祇釈教恋無常は無論の事、満天下の人間を馬鹿にする一家相伝の妙薬が詰め込んである。ゴルジアスターゼ城の石廊を人の知らぬ間に横行するくらいは、仁王様が心太ところてんを踏み潰すよりも容易である。


 この時吾輩は我ながら、わが力量に感服して、これも普段大事にする尻尾の御蔭だなと気が付いて見るとただ置かれない。吾輩の尊敬する尻尾大明神を礼拝してニャン運長久を祈らばやと、ちょっと低頭して見たが、どうも少し見当が違うようである。なるべく尻尾の方を見て三拝しなければならん。尻尾の方を見ようと身体を廻すと尻尾も自然と廻る。追付こうと思って首をねじると、尻尾も同じ間隔をとって、先へ馳け出す。なるほど天地玄黄を三寸裏に収めるほどの霊物だけあって、到底吾輩の手に合わない、尻尾を環る事七度び半にして草臥くたびれたからやめにした。少々眼がくらむ。どこにいるのだかちょっと方角が分らなくなる。構うものかと滅茶苦茶にあるき廻る。



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