第十四話(一)



 二十四時間の出来事をれなく書いて、洩れなく読むには少なくも二十四時間かかるだろう、いくら写生文を鼓吹こすいする吾輩でもこれは到底猫の企て及ぶべからざる芸当と自白せざるを得ない。従っていかに吾輩の主人クシュンが、二六時中精細なる描写に価する奇言奇行をろうするにも関らず逐一これを読者に報知するの能力と根気のないのははなはだ遺憾である。遺憾ではあるがやむを得ない。休養は猫といえども必要である。


 さて鼻王主催の宴は、粗方あらかた以下のようなものであった。




 ◆◆◆




 翌日お天道様が傾きかけた頃、折柄おりから廊下をちかづく足音がして木扉を開ける音がする。誰か来たなと一生懸命に聞いていると「御一行様方、王様が呼んでいらっしゃいます」と若い女中メイドらしい声がする。


「どちらへだね?」とトジュロー君が一同を代表して応じる。

「ええと。ちょっと用があるから御一行を呼んで来いとおっしゃいました」

「判然としないな。どちらへ参ればよろしかろうか」

「ではこちらに」


 女中の案内で吾輩以下勇者様御一行は廊下を歩いて行く。するとウインドが何やらふところから取出とりだしコルドーにこれを見て見ろと合図する。


「本当に王女様に贈る歌を書いたのか」とコルドーは半分呆れ顔半分熱心に聞く。

「よく人のう事をうたぐる男だな君は。――もっとも王女に披露する場があるかは分らんがね。とにかく王女とお近づきになれるなんざ滅多な事ではないのだから相当奮起したとも」

 ウインドが王女王女と無遠慮に云うのを聞くたんびにコルドーは不安の様子をする。

「相変らず元気がいいね。結構だ」とトジュロー君。すっかり呆れのていである。

「えらいと褒めるなら、もう少し博学なところを御目にかけましょうとも」とウインドは調子付いてまたい加減な美学を振りまわす。「むかしの大国ガリシアの民は非常に芸術、内でも音楽を重んじたものでして、これすなわち神との対話、唯一相通ずる共通のことばであったのです。それ故あらゆる音楽家に貴重なる懸賞を出して百方奨励の策を講じたと云います。しかるに不思議な事には研究学者の智識ちしきに対してのみは何等なんらの褒美も与えたと云う記録がなかったので、今日まで実はおおいあやしんでいたところでして――」

「なるほど少し妙ね」とクシュンはどこまでも調子を合せる。

「ウインド先生の有難いお話しはまた今度にねがいたいね」とコルドーはもう何遍か繰返し聞かされた話しのようですっかり呆れておった。「そろそろ口を慎みたまえよ。着いたようだから」

「ではこちらへ――」


 案内役の女中が小な身体を大に使って一際豪奢な桃花心木マホガニーの扉を開け放つと、そこには鼻王以下王族貴族御偉方がずらりと勢揃いしておったではないか。さしものごうの者たる吾等一行も名立たる豪氏より視線を集めてあんぐりと口を開けたまま語も出ない有様である。


「おお、やっと参ったか。さあ、こちらへ来て掛けるとい」


 大広間より広いかちっとばかり狭いかの会場ホールは奥の奥まで容易に見渡せず天井は遥か頭上にあってちと怖いくらいな心持がする。さぞかし掃除夫は難儀するであろう。いっそ極楽鳥の何羽でも飼うて飛ばすが宜しい。抜羽や糞が厄介者だが広くて持て余す事だけは避けられよう。


「これ、押さないでくれたまえよクシュン」

「後が使えておりますもので……」

「緊張して手が震えて来ました」

「やあこれはこれは。いやはや盛大ですなあ」

 しどもどもつれ歩く鼎人さんにんを尻目に一人ウインドだけは一向動じない。なかなかの逸者である。


 吾輩も御同類でこの場におわす御歴々は当に吾輩が普通一般の猫でないと云う事を御存知だろうから構わずのそりのそりと参る事にする。この点については深くラビリス嬢の恩を感謝すると同時にその活眼に対して敬服の意を表するに躊躇しないつもりである。鼻王がかつて吾輩を知らずして野良野良と呼ばわった事も別に腹も立たない。今にひだり甚五郎じんごろうが出て来て、吾輩の肖像を楼門の柱に刻み、サンドレアのスタンランが好んで吾輩の似顔をカンヴァスの上に描くようになるやもしれぬ。


「さぁさ、先ずは勇者様御一行の門出を祝して乾杯と参ろうではないか」


 ようやっと席に着くなり鼻王の合図で宴が始まったようだ。さて吾輩はと云えば用意された席は固く辞して、坐らぬ事にし隅の方でぴちゃぴちゃやるのと極めた。とは云えこちらもこちらで根津権現でもたてまつらじの無闇に大層な構えで恐悦至極に存じ上げる。


「貴方がトジュロー様にございますか」早速話し掛けたのはくだん磁器人形ビスクドール夫人である。

「いかにも。それがしがトジュローであります奥方様。此度こたびはご拝謁にあずかり有難く――」

「あらいやですわ。そういう無粋なのは止しましょうよ。折角の宴ですもの」

「はあ」云われたとて別の上手い云い廻しも思い付くまい。トジュロー君おおいに弱り顔である。

「そちらがクシュンね。御似合の両人ふたりではありませんか。宜しい事で」

「ああ、いや。吾等は幼少よりの旧知の仲でございまして」

「そ、そうでございます。そう云った間柄では……」

 思わず両人顔を見合わせ揃って、目の前にかかった薄靄うすもやを慌てて振払う素振そぶりに奥方様はなお微笑まし気にお笑いになった。

「善いんですのよ、宜しいじゃありませんか御隠しにならずとも」

 まるで取合わずアハハハとお笑いになった奥方様はまた別の者とお話しになられる。

「そう見えたのかなあ」とトジュロー君。

「わ、私に聞かないでください」こたえきゅうしたクシュンは身を縮こませてちいさな声で云う。

「いや、悪い気はせんから善いんだが」

「……なんと仰いました?」

「なんでもないさ。なんでも」

 トジュロー君、早々に鱈腹たらふく召上がったものか太白たいはくもかくやと思わせる赤ら顔である。



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