第十七話(一)



 それから吾等われら勇者様御一行を乗せし馬車は、幾重いくえも連なる丘を越えうねりを上げる河を渡り鬱蒼うっそうと暗くじめついた森を抜けて、ひたすらに北へ北へと進み行く。はじめの内こそ村落なり小屋なり陋屋ろうおくなりとそこここに、人間共の暮しの臭いが漂っておったが数日経つ頃には次第にそれも薄れゆき、ただ寂寞せきばくたる朽木と岩ばかりの景色になる。


「だが不審だとは思わんかね。北へ向こうておると云うのに一向寒さが増しやせん」

「ふうむ。不可思議ですな」と一行の内でも遠目の利くウインドはしきり目をらす。

僧衣チュニックやら外套ローブやらを着ている私達には尚更なおさら堪えますよ、ねえコルドー」

如何いかにもおっしゃるとおり。ほとほと困り果てております」


 しかしこう暑くては猫といえどもやり切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利イギリスのシドニー・スミスとかう人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくともいから、せめてこの淡灰色の斑入の毛衣だけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分の中しちにでも入れたいような気がする。


 人間から見たら猫などは年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事な銭のかからない生涯を送っているように思われるかも知れないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水ぎょうずいの一度くらいあびたくない事もないが、何しろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで洗湯の暖簾のれんくぐった事はない。折々は団扇うちわでも使って見ようと云う気も起らんではないが、とにかく握る事が出来ないのだから仕方がない。


 それを思うと人間は贅沢なものだ。猫のように一年中同じ物を着通せと云うのは、不完全に生れついた彼等にとって、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へ載せて暮さなくてもの事だ。羊の御厄介になったり、かいこの御世話になったり、綿畠めんばた御情おなさけさえ受けるに至っては贅沢は無能の結果だと断言しても好いくらいだ。


「そこを行くと猫様は宜しいですなあ、毛だらけでも涼しい顔をしてらっしゃる」

いやね。マダナイさんだって暑いに極まってますよ。ね、そうですよね」


 まったくだ。いっそ喜多床でも行ってさっぱりしたいくらいである。


 そもそも毛などと云うものは自然に生えるものだから、放っておく方がもっとも簡便で当人のためになるだろうと思うのに、人間共は入らぬ算段をして種々雑多な恰好をこしらえて得意である。坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くしている。暑いとその上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾ずきんで包む。これでは何のために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。そうかと思うとくしとか称する無意味なのこぎりようの道具を用いて頭の毛を左右に等分して嬉しがってるのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭蓋骨の上へ人為的の区劃くかくを立てる。このほか五分刈、三分刈、一分刈さえあると云う話だから、しまいには頭の裏まで刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈などと云う新奇な奴が流行するかも知れない。とにかくそんなに憂身をやつしてどうするつもりか分らん。


 しばしばウインドのごとく吾輩を見てあんなになったら気楽でよかろうなどと云う者があるが、気楽でよければなるが好い。そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと云うのは自分で火をかんかん起して暑い暑いと云うようなものだ。気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣を着て通されるだけの修業をするがよろしい。


 ――とは云うものの少々熱い。


 毛衣では全く熱つ過ぎる。これでは一手専売の昼寝も出来ないではないか。


 瞬間、吾輩の敏感な鼻が何やら嫌な臭いを嗅ぎ取った。固茹での玉子をほったらかしにし過ぎて腐乱させてしまったかのごとき刺激的臭いである。これは堪らんと鼻の穴の奥まで侵入した臭いを勢良く吹飛ばしてやろうと息を深々吸い込んだらこれが良くなかった。余計に鱈腹たらふく吸込む羽目になってげえげえやり始めるとすわ何事かとウインドが目を丸くする。


「一体どうしたってえのかね、猫様は。妙なもんでも拾って食いなさったか」

「いいや、違う。この臭い……確かに硫黄サルファーだ」

「なるほど硫黄ですか。術式で用いた事はありますが、善く御存知ですね」コルドーが感心するとトジュロー君は姿勢を低くして何やらざらついた地面を熱心に撫でては拾い捨ててはまた拾う。「伊達に穴掘あなほり土竜もぐらはやっておらんよ。ほら、これだ」とトジュロー君は拾上げた黄色いつぶてを皆に披露する。「こいつが出た所を掘り続けると人死にが出ると云われててね、鉱山づとめをしている者は誰れでも御存知な厄介者だ。こいつは弱ったな」吾輩も興味本位でトジュロー君のてのひらに鼻先を寄せたもののたちまちげえげえやる羽目になる。

「じき馬は駄目になってしまうだろうよ。さてどうしたものか」

 永き道中で荷は大分減ったものの、それでも結構な数がある。たかだか四人と一疋いっぴきで運べる訳もない。否とりわけ吾輩は知らぬ顔をめ込むつもりなので残る四人で持てる分だけをその背にかつぐよりない。


「手間にはなろうが、今しばらく南へ戻った所で見つけた朽ちた陋屋に馬車を留めおこう」

「それしかないでしょうね。帰りの足が惜しいもの」とクシュンは応じる。

「持って行く分はここに残しておこう。なあに、盗る奴なぞ誰れもおらんだろうからな」


 馬車を御するのはトジュロー君以外に出来る者がおらんかった。さりとてここまでにも大小強弱さまざまあれど、怪物化物の類には幾度も出食わしているのだから一人ぎり行かせて無事戻ってこられるとも思われぬ。仕方なく全員馬車に乗り込んで戻ることにする。無論吾輩もだ。これ以上げえげえやると臓腑ぞうふが裏返ってしまいかねん。


 しばし揺られて陋屋へと戻り、残りの荷を朽ちかけた壁の裏側に隠してから馬を外して繋ぎおく。紐は長めにして枯草と水桶を置いてやる。しかしこれは願掛けのようなもので、吾等が戻るまで無事なら御の字だろう。




 ようやっともとのげえげえ臭い場所まで戻って見ると――どうも容子がおかしい。




「……当てが外れたようですね」とコルドーは王よりたまわりし杖を油断なく構えた。

「やれやれ、どうやらそうらしいね」とトジュロー君。「一戦交えるしかなさそうだ」



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