第十六話(二)



 吾輩は少々休養を要する。


 休養は万物の旻天びんてんから要求してしかるべき権利である。この世に生息すべき義務を有して蠢動しゅんどうする者は、生息の義務を果すために休養を得ねばならぬ。もし神ありてなんじは働くためにうまれたり寝るために生れたるにあらずとわば吾輩はこれに答えて云わん、吾輩は仰せのごとく働くために生れたりゆえに働くために休養をうと。クシュンのごとく器械に不平を吹き込んだまでの木強漢ぼくきょうかんですら、時々は安息日以外に自弁休養をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を労する吾輩ごとき者は仮令たとい勇者といえども主人以上に休養を要するは勿論もちろんの事である。


「何だか元気がありませんね、マダナイさん。どうしたのです?」

大方おおかた腹でも減ったのであろうさ。どれ、僕達ぼくらもここいらで夜支度をしようではないか」


 いっと日目は早々日暮れてよいの闇が景色をあやしく変化せし頃になると、勇者様御一行を乗せた馬車は丘の上にぽつねんとそびえ立つ大木の下で停車した。旅慣れたコルドーウインドが手際好く一夜の仮宿をこしらえる。石榑いしくれかまど組上くみあげ火を起すのはクシュンである。トジュロー君はと云うとそばの林から薪木を拾集ひろいあつめてなたで割っておった。すこん、すこん、と小気味よい音が規則的に鳴り響く。今の吾輩の心の底を打つようなどこか悲しい音にも聞こえる。


 火を焚き飯炊女めしたきめとなりしクシュンの傍におると何だか温かいように思われた。時折ときおり灼々しゃくしゃくと燃盛る薪が弾け、そのたび吾輩のまぶたはぴくぴくと痙攣する。クシュンの撫でるてのひらほのかな熱を覚えつつ、吾輩は自然うつらうつらと微睡まどろんでおった。


 やがて夕餉ゆうげの時刻と相成あいなった。しばらくは食う事に集中していた吾等われらであるが、その内トジュロー君がそろりと口を開いた。


「城での宴の夜が懐かしまれるな。つい昨日の事だと云うのに」

「そうですね。当分は質素で済ませなければならないわね」とクシュンが笑って応じる。

「宴の夜と云えば君達、相当に楽しんでいた容子ようすじゃないか」

「ええ、まあ」とコルドーは言葉少なに云う。

「まあ何だね、吾が友。その様なっ切り棒な言草いいぐさはあるまいよ」

もとはと云えば君がくない。いやだいやだと云う私に歌なぞ歌わせるのだから」

「大層評判だったろう」とウインドがからかい出す。「令嬢もおおいに御笑いだった」

 コルドーはまるで相手にせず鉄鍋の中身をもう一すくいする。ところでウインドはまたもやいい加減な美学を振りかざして洋琵琶リュートを引っ掴むと矢鱈やたら節を付けてこう云った。




「うつせみの世を、うつつに住めば、

    住みうからまし、むかしも今も。


 うつくしき恋、うつす鏡に、

    色やうつろう、朝な夕なに」




「よしてくれ、みっともない」とコルドーはたちまち柳眉をひそめる。

「いやいや。朴念仁ぼくねんじんの君にしてはなかなかのものじゃないか。永年君の友を務める僕が思わず感心したくらいだぜ。君が風流をかいするとはおどろきだった、アハハハ」

 そこでトジュロー君、真正面から吶喊とっかんするとめた。

「結局御令嬢のおもいはどちらが射止めたのだね。当時秘密であったようだが、もう話してもかろう」


 途端コルドーとウインドは面喰った顔をして互いを見つめ合った。

 無言である。


出立しゅったつの前、ゴルトン王が君等の事を聞いて来た。なので一つうかがっておこうと思ったのだ」


 答のない両人ふたりに向けてトジュロー君が真面目に説明してやる。驚くか、嬉しがるか、恥ずかしがるかと両人の容子を窺って見ると別段の事もない。じき肩をすくめたのはウインドだった。


「もう御存じなのかと」

「判然としないものだから窺っている。さては君か、ウインド」


 それでもウインド貝の如く口を閉ざして答えない。




 トジュロー君が痺れを切らす前にようやっと口を開いたのはなんとコルドーであった。


御話おはなしをしても、私だけに関する事なら差支さしつかえないですが、先方の迷惑になる事ですから」

「それは……他言をしないと云う約束かね」

「ええ」とコルドーは黒羽色の外套ローブを締める紐をひねくる。

「ここには僕等しかおらんじゃないか。まだ駄目か」とトジュロー君なお一層す。

「余計な遠慮ならせんでくれよ、吾が友。このとおり僕なら気にもめておらんのだし」

 ウインドがいやに真面目腐った顔付で云うと、コルドーは深々と溜息を吐いた。

「何を聞きたいのです」

「特段何と云う事も無いが……」途端、トジュロー君はしどろもどろになる。よもや恋う両人を裂いてくれと鼻王より乞われたとも言いにくかろう。するとコルドー君、例の通り静かな調子で「どうか私に、あの娘を貰ってくれと云う依頼なんでしょう」と、また紐をひねくる。しかしトジュロー君はの問に答えることが遂に出来んかった。


 人間世界を通じて行われる愛の法則の第一条にはこうあるそうだ。――自己の利益になる間は、すべからく人を愛すべし。


 しかしこの愛たるすこぶる強い執着心で、もし一たび、おもう男女くっ付けようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅しても決して離れない。吾輩は淡泊を愛する茶人ちゃじん的猫である。こんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深い愛は大嫌だいきらいだ。たとい天下の美猫といえどもごめんこうむる。いわんや令嬢においてをやだ。


 少しは考えて見るがいい。といったところで人間共はなかなか考える気遣きづかいはない。こんな無分別な頓痴奇とんちきを相手にしては、いくら、むずむずしたって我慢するよりほかに致し方はあるまい。今において一工夫しておかんとしまいにはむずむず、ねちねちの結果病気にかかるかも知れない。




 ――やれやれ。


 吾輩はいささか愛の法則についてねじけたかんがえをしているようだと吾ながら厭気いやけが差す。



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