第九話(二)



 トジュロー君出し抜けに声を張上げこう云った。


「昔しある所に一疋いっぴきの猫がありました。ある夜いつものように高い台に登って、一心に星を見ていますと、空に美しい天女が現れ、この世では聞かれぬほどの微妙な音楽を奏しておごそかに託宣を下されたのです。猫は身に沁む寒さも忘れて聞き惚れてしまいました。朝見ると霜が真白に降った大地に一振りの剣が刺さっておったのです。しかして猫の身なれば抜くことも引くことも出来ず。ほとほと困り果てておりますと、通りすがりの賢者が猫を憐み人の姿へと変えました。そうして人となった猫は剣を抜き払い彼の長き旅路を護る守護者となったのでございます。これぞ彼の偉大なるメッツナーと英雄マダナイの出逢いの御話しでござい――」

 矢鱈やたら節を付けてうものだから、周りの連中が面白がってやんやとはやし立てる。次は無いのかの一声にトジュロー君は調子に乗ってこう続けた。

「よべのとまりの十六夜いざよい月夜、空にゃ天女の舞踊り、定めを成せと託宣聞くも、猫のこの身じゃなるものか」


 それを聞きつけてか、トジュロー君の前に両人ふたりの男が近づいて来る。


「うまいですね、感心します、話せるじゃありませんか」

「話せますかな」

「ええこれなら洋琵琶リュートに乗りますよ」

「洋琵琶に乗りゃ本望ですね。こりゃ有難い」


 気さくに話しかけてきた男は金色の髪をした男か女か判じ得ない様相をしておった。手に今しがた口にしたばかりの洋琵琶を掻きいだきどこもかしこも鶯色うぐいすいろの小洒落た服を着ておる。到底この店におる野蛮な連中とは相容れない出立いでたちではあるものの何処か油断のない立振舞である。


「おい、御婦人連れに無粋な真似をするんじゃないウインド。お邪魔だろうが」

「おっと、こいつは失礼」

「いえいえ、構いませんとも。もしや貴方たちも冒険者なのですか」

「いかにも」


 答えた二人目の男はの身を包む黒羽色の外套コートを取り去ると、折目正しく会釈をする。


「私はコルドーと申す者。魔術師なぞをやっております。こっちはウインド。見ての通りの吟遊詩人でして。冒険者とは云いますれど一人前には程遠く、何しろこの通り妙な組合せですからね、世間へ対して肩身が狭くてたまりません」

「たしかにそうあまりない組合せですなぁ」とトジュロー君。

「とは云えわれらは幼き頃からの腐れ縁。これまで何をするにも共に過ごしておりましたゆえ、今更別の道を歩むのも少々具合が悪いのです。ですがそう手軽にも行きません……参りました」

「あらまあ」クシュンが相の手を入れた。「こちらも小供こども時分からの仲なのですよ」

「ほう奇遇ですな」

「私はクシュンと申す神官です。こちらは鍛冶師で剣士のトジュロー。幼馴染で魔法学校にも共に通いし付合いでございます」

「魔法学校と云いますと」

「エピクタス、御存知?」

「これはこれは。ひょっとすると私の先輩に当るのではないでしょうか」

「十七期ね」

「十九期です。これは参った失礼致しました」

 生真面目なコルドー某は額の汗を拭ぐい不安の容子ようすをする。トジュロー君は意にも介せず笑い立てた。

いさ、失礼な事なぞあるものか。あまり何事も四角四面に受取るのはくないと思うぞ。仮令たとい知っていたとしても、こんな事くらいで上に下にとやるのは無粋者のやることさ。なあクシュン、今度あの子が来たらなるべくどうか邪魔をしないようにしてくれたまえ。――いえ君の事じゃない、あのラビリスの事さ。あの偉ぶった口にかかると到底助かりっこないんだから」と、噂をすればかげたとえに洩れずラビリス嬢例のごとく冒険者宿の玄関口から飄然ひょうぜんと春風に乗じて舞い込んで来る。

「いやー珍客じゃないかね。私のような狎客こうきゃくになると君はとかく粗略にしたがっていかん。クシュンのうちへは十年に一遍いっぺんくらい通うに限るな。おっと、この蜂蜜酒ミードは上等じゃないか」

 と立机の上の蜂蜜酒の持主を明かにせぬまま無雑作にあおる。トジュロー君は居心地悪そげにもじもじしている。クシュンは苦笑している。ラビリス嬢は口を湿らせ活き活きしている。吾輩はこの瞬時の光景を一同の中心から拝見して無言劇と云うものは優に成立し得ると思った。禅家で無言の問答をやるのが以心伝心であるなら、この無言の芝居も明かに以心伝心の幕である。すこぶる短かいけれどもすこぶる鋭どい幕である。

「君は一生穴掘土竜もぐらかと思ってたら、いつの間にか舞い戻ったね。長生はしたいもんだな。どんな僥倖ぎょうこうめぐり合わんとも限らんからね」とラビリス嬢はトジュロー君に対してもクシュンに対するごとくごうも遠慮と云う事を知らぬ。いかに旧知の仲間でも十年も逢わなければ、何となく気のおけるものだがラビリス嬢に限って、そんな素振そぶりも見えぬのは、えらいのだか馬鹿なのかちょっと見当がつかぬ。

「どうしてここに来たのだい、ラビリス」

「なあに虫の報せと云う奴だ。有体ありていに云えばクシュンの奴が何やら朝早くからそわそわ浮かれて出掛けて行くのを見つけたもので、ちょいとあとを付けて見たら面白かろうと思ったまでさ」

「浮かれてなんかいませんよ、もう!」クシュンは怒っている容子である。

「君ら勇者猫様の事について聞いたかね」ラビリス嬢は突然コルドーに対して奇問を発する。

「いやまだですが――この猫が勇者猫様なのですか?」

「馬鹿にしたもんじゃないぜ。私も御活躍を拝見しに同行したい所だが、惜しい事に魔法書研究に追い立てられてしまって暇がなくってね。もう少し早くトジュローがナインスから戻ってくれば、参加する所だったが惜しい事をした」

 ラビリス嬢が今盗聞きした内容から掻いつまんで述べると、トジュロー君はこれは迷惑だと云う顔付をしてしきりにクシュンに目くばせをするが、クシュンは不導体のごとく一向電気に感染しない。

「そうだ君らだって聞く所に寄れば冒険者なんだろう。私の代わりに同行して見定めてくるというのはどうだろうか。トジュローの戦士たる腕前はぬかりのない当世の才だが、そこへ行くとクシュンは実に頼りないものだ。君らが行くんなら彼らも固辞はせんだろうさ。どうかね」

 とまた蜂蜜酒をあおってトジュロー君の方を見ると、トジュロー君もラビリス嬢の食い気が伝染して自ずから蜂蜜酒の方へ手が出る。世の中では万事積極的のものが人から真似らるる権利を有しているらしい。



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