第十九話(一)



 吾等われら眼前がんぜんにそそり立つ奇観きかんの巨城は絢爛けんらんたるよそおいなれど底気味そこきみ悪く、そのあやしかりたるは吾輩をして八万八千八百八十本の毛髪を一度に震わせたほどである。他の連中も御同様であった。神経性胃弱持ちのクシュンに至っては蒼白となって口唇くちびるに至っては白蝋はくろうごとくである。


 あし城内へと踏入ふみいれると不愉快ななま臭い空氣くうきがそろりと鼻先をよぎる。空氣そのものが悪くなりとうとう腐敗するとこんな臭いになるやも知れぬ。四人はたいらな顔の真中に鎮坐ちんざする鼻を袖で覆っておったが、不幸にして吾輩は服も着なければ器用な前足も持っておらん。いやはいやに相違そういないがどうする事もあたわず、なるべく呼吸を手短に済ませては先を急ぐ事にする。


 れも口を開かない。


 吾輩は首を巡らしトジュロー君の方を見て顔色をうかがう。悲しい事にこの先に控えし者の正体が判然とせんので落ち着きかねている。しかしこれしきの事で音を上げては面目めんもくに関わると思ってか、渋い顔色一つ見せずに口を真一文字に引き結んでいる。


 やがてじくじく湿った仄暗ほのくらき長い石回廊の先におぼろな揺らめきが見えてくると、一行の顔付かおつきはますますもって彫像の如き起伏を浮かび上がらせ、さながら精巧な影絵細工の様相をていした。吾輩の背中の毛が自然逆立つのが分る。いよいよだ。


「やって来おったな、おそれを知らぬたる人間共よ」


 静寂の薄氷を粉砕しての声は吾等の耳をろうさんばかりに響き渡った。


「御前が魔族を統べる魔王であろうか」一同を代表しトジュロー君が声を張り上げる。

「答えずともわかろう」


 だが見れども姿は無い。いずこなりやと右へひだりへ首を巡らせるも皆目見当がつかぬ。


「吾等は勇者一行なり。この世に災いを成す者よ、なんじは何を欲す?」

は全てなりは全てを欲す。全てを欲す者、其れは余、魔王ボッティヌス哉」

「なるものか。傲然ごうぜんたる魔王よ、貴様のたくらみは吾等が此処ここで見事断ち切って見せようぞ」


 魔王ボッティヌスは判然たる直線流の言葉使いをもって告白す。トジュロー君は少し気持を悪くしたと見えて、いつになく手障てざわりのあらい言葉を使う。それを魔王は一笑いっしょうした。


「ハハハなかなか自信が強い人間である、実に愉快哉」と魔王ボッティヌスは呵々かかと笑い嘲笑する。「それでなくては勇者勇者と無闇むやみに祭り上げられのこのこここまでやってははずだ。余の意志は堅く決して劣らんつもりだが、そうまで図太くは出来ん、まさに敬服のいたりである」


 トジュロー君はすぐには答えず、一行中飛抜とびぬけて眼の利くウインドにささやきかけた。


「どうだウインド、彼奴きゃつの姿は見えたか?」

「まだですね。声からしてかなり近い。近いは近いがどうにも見当たらんのです」

「魔法的力にるものやも知れません。私も魔法術で捜索してみましょう」


 一旦両人ふたりに任せ、トジュロー君は再び魔王を問質といただす。相手が見えぬでは手立てがない。


「魔王よ。この世の全てを手に入れ何とする、何を望む?」

「何も」魔王の返答はおどろくほど短い。ところをいささことば足らずと思ってかこう続けた。「それより他なる望み無し。ただこの手に世界の全てが手に入りさえすればい」

「それは無邪気で愉快でおおいに結構」トジュロー君は反撃に転ずる。「しかし其れは愚中の愚の極みと云うものだ。全てを手中に収めるも何事もせんと云うのは、まったくの無駄ばたらきではあるまいか。まるで無闇に欲しがる小供こどもかくのごとくだ。それを愚と云わずして何と云おう」

「何と!」姿なき魔王の声はいきどおりの色を増し、しばし不機嫌を大に吐き出す。




 不思議な事にはここまでトジュロー君の口から勇者猫たる吾輩の事は一言半句も出ない。吾輩の気付かぬ内に評判記はすんだものか、すでに落第と事が極って念頭にないものか、または最後の頼みとひそかに隠し通すつもりなのか、そのあたりは懸念もあるが仕方がない。何事も見逃さず聞き逃さず、おくれぬ先に、と正面へ気を巡らす。




 悪口あっこうの交換では到底トジュロー君の敵でないと自覚した魔王は、しばらく沈黙を守るのやむを得ざるに至らしめられていたが、ようやく思い付いたか口を開いた。


「貴様等はこの世の全てを収めたいとは思わんのか?」


 魔王のといにトジュロー君いきなり答えずそばに居並ぶ一同を一人一人見つめ視線を交わす。吾輩も含めてだ。充分に時間をかけてから公然と言い放つ。


「思わんさ」

「何故か」


 するとこうだ。




おそれながら。誰れしも全てをこの手に出来ぬゆえ、この世界は興味に溢れておるのです」


 これはコルドーである。




「僕はですな、やっぱり舞跳ぶ蝶を無邪気に追うのがい。やすやす手に入ってはつまらぬでしょう?」


 これはウインドである。




「この世は皆のものです。うばい合えば足りぬやも知れませぬが、分かち合えば丁度良いのです」


 これはクシュンである。




「僕はこの僕自身とおもう人ぎりで手一杯の有様でね。それを不幸とは思わん。むしろ幸福者さ」


 これはトジュロー君であった。




 そして最後に吾輩が、にゃあ、と一際高く鳴き上げる。

 こたえならそれだけで充分であろう。




「愚か哉小き者共よ、矮小わいしょうにして蒙昧もうまいなる人間共よ――」


 永き沈黙を引破って天地を揺るがせ魔王ボッティヌスは無感情に言い放つ。


戯言ざれごとしまいである。余の意に反するのであらば許難ゆるしがたし。この場で灰燼かいじんすが良い!」



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