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  • 第30話 2019年島津発祥祭りへの応援コメント

    小説としても楽しいですが、紀行文としても楽しく読ませてもらってます。文体が軽妙なのが素敵です

    作者からの返信

    貝沼軍鶏様ご愛読いつもありがとうございます。<(_ _)>😊
    この長編小説、最初は紀行文が多いので楽しんでいただき私もうれしいです。

    だんだん歴史やノンフィクション、現代の話題が増えてきますがちゃんぽんのようなつもりで楽しんでもらえたら幸いです。

    文章や1話当たりの字数を少なめに意識しているのでお褒めいただいて励みになります。😊

    長編ですがよかったらこれからもゆっくりお付き合いいただけたら幸いです。😄✨😉

  • 『歴史秘話ヒストリア』の最終回の総集編でも信長を取り上げていましたね。
    郭隗の馬の骨さんの名解説を思い出しながら観ていました。

    作者からの返信

    上月くるを様NHKの名番組を見ながら思い出していただき、しかもお褒めの言葉をいただいて恐縮です。<(_ _)>😊

    この手の話を書く時、特定のドラマや番組や書籍を見るとどうしてもそれに影響してしまい、コピーした感じになるのでWIKIなどの比較的簡潔かつ主観が入りにくい所からさらに大丈夫そうな情報を頭にいれ、それを再構築して書くようにしています。

    引用はしてもコピーにせず、かつオリジナルな話で突拍子のない形で紹介できればと思っています。
    重ねてありがとうございます。😊

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読ありがとうございます。
    <(_ _)>✨😊✨✨

    次のお越しも楽しみにお待ちしています。😊✨😄✨

  • まさに情けは人の為ならず…ですね。

    風が吹けば桶屋が儲かる。
    バタフライエフェクト。

    まわりまわって大きな影響を与えるかもしれません。

    ですが、そういったいわゆる利己主義的な利得の考えより、
    利他の心が尊く感じられますね(*´∀`*)b

    作者からの返信

    あっちゅまん様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    聖書は面白い本でして、雄弁は銀に勝り、沈黙は金に勝るという言葉もあります。
    これは沈黙がとても貴重であることを強調するとともに雄弁さも価値があることを示しています。

    まあ、愛にも神の愛(利他的な愛)、隣人愛、家族愛、男女愛といった形で表記しもっとも貴重なのは神の愛、つまり見返りを求めない愛と教えています。

    ここで強調したいのは自己犠牲的な愛が最重要であると同時に他の愛も価値があるという点です。

    この辺の考え方のバランスを間違えたりすると人に厳しい独断的、独善的な人間が誕生します。

    なので、私個人は利己的とも思える礼儀から始めても良いと考えています。
    そこから、鍛錬を経て狭く険しい道とそこに行き着く意味を見出していただけたらと願う次第です。😊

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    朝からのお越しに心から感謝しつつ次のお越しを楽しみにお待ちしています。😊

  • なるほど✨🤭✨✨

    権力が人を変えるのですね。

    また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読ありがとうございます。
    <(_ _)>😊✨

    人は権力を与えられたとき、同時に自分を制御する義務が発生するのだと思います。

    それが教育だったり良心だったりします。
    そして、もしそれが発動しない時、人は巨大な力をもった獣となるのだなと私自身は感じました。

    またのお越しを楽しみにしています。✨😊✨✨

  • 家康は上手いですよね。
    西本願寺と東本願寺。
    分断して統治せよ…の見本みたいです。

    この両派閥、21世紀に入っても仲が悪いそうですから、
    人間の業の深さを思い知らされます。

    作者からの返信

    白狐姫と白狐隊様大変興味深いコメントありがとうございます<(_ _)>😉

    母の実家が浄土真宗なので本来私もある程度か関りがあり、お寺に行ってお話も聞いているのですが、正直ほとんど全体像などは分かりません。

    もしかしたらキリスト教より知らないかも(笑)
    信長時代、いや戦国時代にあれだけ暴れ回った集団が徳川時代にはすっかり静かになったのは確かに家康の見事な政治手腕によるところ大ですね。

    今でも仲が悪そうなんですね。
    資料を読むと確かにあのエネルギーが外敵ではなく内輪に向かったような感じはしました。

    まこと、業が深い話だと思いました。

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもありがとうございます。<(_ _)>😊✨

    またのご愛読楽しみにしています。😄😉

  • 独眼竜政宗……懐かしい。勝さんの秀吉が見所だった。あの小田原城を眼下に収めて政宗に自慢威圧する姿は、圧巻でした……。いえ、大した話ではございませんでしたな。悪しからず。

    作者からの返信

    美ぃ助実見子様さん連続でのコメント本当にありがとうございます。<(_ _)>
    😊

    あの番組の秀吉は結構日常パートはコミカルな演技もしていたので怖い印象ばかりではないのですが、小田原城のあたりのお話は秀吉の天下人としての畏怖を感じる場面でしたね。

    残念ながら亡くなりましたが、津川雅彦さんが徳川家康をやったのもこのころですね。
    あの津川家康ですら、勝秀吉の前では大人しく霞んで見えるほどの勝さんの演技でした。

    あの世界の渡辺謙が演技を忘れて緊張する場面、まさに圧巻でしたね。😊✨

  • 確かに『黒田対島津という夢の戦い』を見て見たかったですね。
    戦いになっても、黒田側に立花がいましたから、ひょっとしたら戦は避けられていたのかも知れませんね。ただ、島津側も戦うのか、そう考えると疑問が浮かびますね。島津側も無駄な戦を避けたかった気がします。戦えば無駄な犠牲が増える一方。降伏勧告を受けたのかもしれません。色々と夢が広がります。

    作者からの返信

    美ぃ助実見子様連続してのご愛読とコメントありがとうございます。<(_ _)>
    😊

    敵が味方、味方が敵になる戦国時代、どういうことになったかは正直わかりません。
    仮に黒田側に資料が残っていても、君子豹変す、の言葉通り状況に応じて対応を変化させたと思います。

    こうしたことを考えるのも歴史を楽しむ一つの方法かもしれませんね。😊✨

  • 真田太平記、真田十勇士の言葉が懐かしいですね。
    確かに草刈さんの演技には、本当に魅了されましたね。その原点は、丹波哲郎さんだったんですね。思い浮かべれば、そんな気もします。

    作者からの返信

    美ぃ助実見子様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    今のベテラン俳優さん達にとって、かつての丹波さんをはじめ、銀幕のスター達の演技は魅力的でぜひ見習いたいものだったのかなと思います。

    こちらの方はコメントを聞いたわけではないですが、麒麟がくるで室町幕府の重要な悪人を演じた片岡鶴太郎さんの演技もかつての大河ドラマ、太平記のフランキー堺さんの演じた、北条家の内管領、長崎円喜を思い出しました。

    昔の役者さんは上手い下手という以前に「存在感」という物がありました。
    草刈さんの演技も上手いことはもちろんですが、存在感を感じさせた記憶に残る素晴らしい演技だったと思います。😊✨

  • 飲まず食わずで死んでいくのは、
    相当な拷問でしょう。



    また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様深夜の貴重な時間にご愛読いただきありがとうございます。<(_ _)>😊✨✨

    ご指摘の点全く同感で私もこの小説の後の方で一番苦しい死に方は餓死だと思うと書きました。

    状況を見るに誰も桓公を憎んでいたわけではなく、単にそれぞれの都合と無関心による結果だとは思いますが、歴史に名を残した名君の最後としてはあまりにむごいと思います。
    でも厳しい言い方ですが自業自得なんですよね。
    だからこそ多くの方に知ってほしいと思いました。

    またのお越しを楽しみにしています。✨😊✨✨

  • え!? ひぐらしにそんなシーンがあったんですか!?
    これはチェックしなくては!!

    作者からの返信

    甘粕冬夏【書籍化】通勤電車で会う女子高生様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    最新話でも確かエンディングテーマの真ん中位の所で神社名と島津久崇様のお名前が表示されていたと思います。

    ニコニコでコメント見ながら視聴していますが、ほとんど、いやまったく気づいてもらえない状況です。

    まあ脚本家だったかな?島津 裕行(しまづ ひろゆき)さんという有名な方がいるので(ちなみにこの方は調べた範囲では薩摩島津との関係があるという情報はないですね)
    あの、島津義弘公の御子孫とは思わないですよね。

    ツイッターもやっていますし、お父さんは関ヶ原でイベントがあるときにはゲストに出ていますのでよかったらご覧ください。(島津義秀の世界)😊


  • また遊びにきます😊

    作者からの返信

    かず斉入道様いつも遊びに来ていただいてありがとうございます。<(_ _)>😄

    次のお越しを楽しみにお待ちしています。😊

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読ありがとうございます。
    <(_ _)>😊

    またのお越しを楽しみにお待ちしています。😊✨✨😄

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもありがとうございます。
    <(_ _)>😊

    思うに大衆食堂がいきなり高級フランス料理店になるとお客さんがビックリして近寄らなくなる感じですかね。(ミステリー)

    まあ、創作物は当たりはずれがあって当たり前で、高橋留美子さんのようにはいきませんね。

    あの鳥山明さんでさえ外すことがありますから😊
    ミステリーも門外漢なので、こんなことしか言えなくてすいません。😅

  • また遊びにきます😊

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    また遊びに来てくださいね。😄

  • また遊びにきます😊

    作者からの返信

    かず斉入道ありがとうございます。<(_ _)>😊

    次も楽しみにお待ちしています。😊😄😉


  • 編集済

    テレビドラマに登場する僧兵集団が、なぜあんなに強気だったのか謎でしたが、そういう背景があったのですね。宗教という摩訶不思議な世界の一端を知り得た思いです。
    分かりやすい解説をありがとうございます。

    作者からの返信

    上月くるを様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    宗教、しかも現在も日本にある宗教の話なので解説しずらい面はあると思います。

    私自身もWIKIなどの資料を読んで、その後は私ならどう感じ捉えるかを考えて簡潔に書いた、そんな感じです。

    宗教は心の問題でその範囲はとても広いです。
    なので、大きな話題の一つの見解という感じで受け取ってもらえたらと思います。😊

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様朝早くからのご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    またのお越しを楽しみにすると共によい一日になりますよう願っています。😄

  • うーん、難しいですね。
    生き残ることが戦国の世の勝利ということなら、
    劉禅は勝利ですし…

    諸葛亮はやっぱり誠実だったと思いますね。
    だからこそ信頼されたんだろうなぁと。

    友達を見て、その人物を判断するということもありますね。

    作者からの返信

    あっちゅまん様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    最近のネットの風潮で劉禅名君論というのを時々聞きます。
    あまりにも評価の低い劉禅に対する再評価として気持ちとしては分からなくもないです。

    また、結果として生き残ったことを持って実は優れていたというのもわからなくもないです。

    しかし、私自身はその言い分を聞いたうえで後期劉禅は暗愚であったと評価しています。

    根拠としては当時の歴史家や知識人の中で劉禅を評価した人間が極めて少ないこと。
    中国のことわざになるほどの強い低評価が長年続いたこと。
    そして、明らかに残虐であった呉の孫晧も生き残ったことが理由です。

    運が良かったという評価であれば私も異論はありません。
    逆に言えば優秀でも運が悪くて歴史で減点された人物も沢山いますので。

    人生という採点では現代人の試験や科挙のように優秀な人間が勝つとは限らない、そんな感じです。😊😉😄😅

    諸葛亮は北伐においてかなりいい戦いをしていますが、最近の考察を見てもよくこんなに大変な出師をしながら、負けるどころか一定の戦果を挙げたのかと思うほどの奇跡的な軍隊運営をしています。

    本当にカリスマ性の高い人物で、そのカリスマとは誠実だったのかと思うとますますその偉大さを再認識する今日このごろです。

  • また遊びにきます😊

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    織田信長編はこれからしばらく続きますが引き続きよろしくお願いします。😄

  • 特定の民族や思想を名指ししないように注意を払いました。

    ↑配慮、大切ですよね。
    エッセイで世の中のことについても触れている僕も少しは見習わないと。
    それらに注意を払いつつ主張するのは本当に大変でしょうけど、信用を得て支持をもらうためには有効な努力かもしれませんね😊



    作者からの返信

    憮然野郎様大事な点をついたコメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    島津と直接関係がある話題ではないですが、幕末の諜報戦を見てもこうした点はとても重要だと思いました。

    あの西郷隆盛ですら活動中本名を明かさなかったため、今でも正しい本名について論争があります。

    どの考えかは明かしませんが気持ちは良く分かるという主張は確かに私にもあります。
    でも、味方を増やすよりも相手の罠に掛かって大損失をこうむったら意味がありません。

    この小説ではフウイが試行錯誤や大失敗をしながらも自分の主張が知られ、日本を良い方に進めようと奮闘しています。

    憮然野郎様は熱い心と冷静な判断力の両方をお持ちのようですからこれからも自らの主張を広め世の中を良くするために共に頑張りましょう。
    そして、手前味噌ですが良かったら本作品のネットでの経験を見て役立てていただけたら幸いです。😊😄😉✨✨✨

  • 薩摩、大隅、日向は豊かではない……

    今は美味しいものが沢山あるので、何だか不思議な感じです。おまけにあったかい場所なのに。
    火山灰の影響で作物が育たなかったとか? あるいは、平地が少なかった?

    作者からの返信

    肥前ロンズ様沢山ご愛読いただきありがとうございます。<(_ _)>😊

    ご指摘の通り、火山灰が多いために土地が米の栽培に適していないことと平地が少ない(台地が多い)というのが大きいようです。

    今はお茶の生産やさつまいも、畜産や海産物で美味しいものを安価でいただくことが出来ますが、戦国時代はそうしたものがほとんどありませんでした。(海産物ぐらい?)

    以前石高を国の大きさに反映させた日本地図を見ましたが、九州は頭でっかちのような形をしていて、下の部分に当たる薩摩、大隅、日向がとても小さくて不憫でした。

    甲斐の武田氏もそうですが、あまり土地にうまみがないと侵略するメリットがないので攻められにくくなるというメリットもあります。

    ご愛読重ねて感謝です。😊😉😄




  • 編集済

    豊臣秀吉といえば、佐賀では名護屋城ですねー。有田焼もある意味では秀吉がいなかったら成り立たなかった、な……

    私もこいつがあまり好きじゃありません。女好きだからです(笑)

    直茂の正室陽泰院さんは、秀吉に(そういう意味で)呼ばれた際、鬼のような化粧をしたそうな。
    それ以来、秀吉に呼ばれることは無かったそうです!! さすが我らが陽泰院さま!!!

    作者からの返信

    肥前ロンズ様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    直茂公の正室陽泰院様のお話初めて伺いました。
    実に見事なアイデアで危機を乗り越えたのですね。
    良し悪しは別にして、秀吉は女好きですが男色ではないというのは当時の武将としてはめずらしいタイプだったそうで。

    昔は陽気で人を集める人気者だったのですが、研究が進み時代が変わって嫌いな人が増えているのが私も分かります。

    人の評価は歴史と共に変化することがありますが、今まさに目の当たりにしている気がします。

    重ねて興味深い鍋島家のお話に感謝です😊


  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    近いうちに小泉さんも関わったプラスチックスプーンについて話題にする予定です。

    批判や悪口は書きませんが、際どい表現はあるかもしれません。
    もしよかったらご愛読いただけたら嬉しいです。😊😉😄

  • おっしゃる信長論だと信長=悪の様に見えてしまいます。
    何をするにせよ、この時代にに中立なんてあり得ないと思うのですが…。

    信長の政策によって、今の日本は完全な
    政教分離が実現できたと私は思います。
    この時代の宗教勢力って、宗教+軍事力の
    狂信的な集団ではないでしょうか?

    当時の宗教は教えに従わない者は皆殺し的な発想
    (行使するかどうかはおいて)ですから、
    信長の事を悪く言える様な集団ではありません。
    信長ではない、多分に妥協的な他の武将であれば、
    今の日本は宗教対立を引きずっている気がします。
    今の世界でも完全な政教分離が出来ている国家は
    稀です。

    その意味では織田信長がこの時代に存在した事、
    これは日本の幸運だと思います。

    作者からの返信

    白狐姫と白狐隊様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    白狐姫と白狐隊様のように感じる方がいることは自然なことかと思います。
    私としては、比較的客観的資料から信長の行動をお伝えし、それと同時になぜそれを行ったかを客観的かつ当事者となったらどうかという視点で書いてきました。

    もし、私が信長を悪人とするつもりなら最初の弟の戦死や最終局面での大量の親族戦死の話は入れません。

    むしろこうした経緯があったという紹介と別の宗派や戦場での扱いの違いも紹介することで事後対応であることを強調しています。

    今の時点で少し意外と感じるのは織田信長という単語を宗教あるいは一向宗と取り換えて私を批判するコメントがまだ来ていないことです。
    むしろそちらの方からくる可能性の方が高いと思っていました。

    私は一向宗や天台宗全体を極悪人と断じないようにする一方で問題点については資料を基に淡々と紹介していきました。
    そちらの批判が今後来たとしても同じスタンスでお話する予定です。

    なお、私が中立を意識している点、および信長のこの問題に関して悪意や恣意的な考えがないことを示す強力な証拠が一つあります。

    それは、一向宗を禁止した地域があるという一文です。
    もめると思いここでのみ記入しますが、それは他でもない薩摩の島津家です。

    明治の廃仏棄釈と似た感じですが、島津は江戸時代も一向宗に対し全国でもトップクラスの厳しい政策を行っています。
    私の小説が中立を目指しながらも島津を応援しているのは明らかだと思います。

    しかし、日本には、あるいは薩摩にも一向宗は大勢います。
    彼らの視点を考慮すればこのあたりの表現が限界かと私は判断しました。

    最後に戦国三傑は宗教政策で多少の違いはありますが、概ね同じ流れだったかと思います。

    信長はキリスト教に甘く、一向宗などに厳正、秀吉はキリスト教に厳しく、一向宗には信長よりは甘目、そして家康が信教についてある程度の生存権を認めつつ政治に対する関与に制限を加えたこと、このリレーのおかげで日本は変な宗教に過度に害されることのない比較的健全な国家となった点をこの場で確認したいと思います。

  • また遊びにきます😊

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    次のお越しも楽しみにお待ちしています。😄😊😉

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    次も楽しみにお待ちしています。😄😀

  • そうですね。ここから六大魔王になったようです。

    そうでなければ天下は取れないと先が見えたのでしょうね。

    作者からの返信

    雨 杜和orアメたぬき様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    おっしゃる通り私も信長はこれしか方法がないと悟った、あるいは諦めて決断したのだと思います。

    普通、合理的行動と残虐的行動は違いますが、この長島一向衆との経験はそれが同一になるのだと信長に学習させたのかもしれません。

    この後説明しますが、機械的にすべて根切りをしたわけではないですが信長軍の戦術の中に残虐な見せしめ的な戦いがちらほら見受けられるようになりました。

  • 二宮金次郎の銅像を自分の小説に出したばかりで、新鮮に感じました^_^

    たしかに勉強は自分への投資ですね〜

    作者からの返信

    あっちゅまん様コメントありがとうございます。<(_ _)>😄

    最近あまり出番のない二宮金次郎の銅像、小説に登場させるとはすばらしいですね。
    基本、歴史を伝える方を応援したいと思うので嬉しく思います。

    勉強は自分への投資、とても良い言葉ですね。😊

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様連続でのご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    またのお越しをお待ちしています。😊😀😄

  • 織田信長の野望やりましたね^^
    また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    今はゲームがすさまじい進化を遂げましたが、昔は素朴でしかも知的ゲームとして売られていました。

    ストライク世代にとっては莫大な時間を捧げた存在かと思います。

    またのお越しを楽しみにお待ちしています。😊😄😀

  • 銀河英雄伝説? 全く分からないので、三話だけYouTubeで見てきました。
    オールで見ないとやはり語れないほど、深そうです。絵がきれいでした。笑

    飢え死に、火攻め、残酷な殺し方はいつの時代も、どの国も同じですね。怖
    古代ローマ軍の攻め方だなと思います。いっそ、残虐なアッシリアの方が親切。
    って、ごめんなさい。話がそれました。

    信長の戦術、恐るべしです。:(;゙゚'ω゚'):

    作者からの返信

    星都ハナス様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    そしてすいません。
    銀英伝は1990年代に人気のあった小説で実は私、バイト時代にある若い女性から紹介されたんです。

    間違いなく大人気小説でアニメ化も2回目なんですが、内容が凄く濃いんです。
    良く人気が出たなというくらい固い政治的、歴史的な内容です。

    作者が歴史、特に中国史に詳しいため歴史好きにはたまらない作品であり、一方1回目のアニメでは銀河声優伝説といわれるほど沢山の有名声優が出演し、しかもヤマト世代直撃の宇宙艦隊戦とキャストがされていました。

    日本の歴史では比較的皆殺しというのは少ない(族滅は除く)感じです。
    理由は国土が狭いので皆殺しは後々自分達にかえってくるからかなと思います。

    秀吉編でも触れましたが、ローマ軍と似ているというのは同感です。
    アッシリアについては聖書にある通り残虐ですね。

    歴史は繰り返す、という点では古代世界史も信長の時代も、そして架空小説銀英伝が歴史をモチーフにした作品であることを鑑みると確かにそうだなあと同意しました。




  • 作者さんが私の学校に講演に来て、「あのタイミングでああしたのは、やっぱり惜しかったなぁ」と言っていたのが懐かしいです。赤毛さんがいなくなったので、その後の展開を考えるのに苦労したということを述べていました。
    「いやいやいやいや……じゃあ、やるなよ」と聞いていた当時の私は(心の中で)突っ込んだものです^^;
    まあ、でも、ああしないとあの作品は、ここまで盛り上がらなかったと思いますけどね。今では。

    あまり関係ない話ですみません。

    面白かったです。

    作者からの返信

    四谷軒様貴重なコメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    十分関係のあるお話ですよ。
    ガイエ先生が直に講演に来たというのはうらやましいですね。

    今でこそ虚淵先生が有名ですが、当時は田中先生も皆ごろしの異名を誇っていましたね。

    田中先生の得意分野は中国史なので、恐らく中国の歴史のどこかからインスピレーションが湧いたかなと思いますが、私の知る限りでは思い当たらないですね。

    ご指摘の通り、ただでさえパワーバランスが帝国側に傾いていたのでのっぽさんが生きていたらつまらない話になったかも。

    金髪さんも魔術師にのっぽさんが生きていたら死んだ卿と対面していたといってましたしね。

    歴史と銀英伝の両方に詳しい四谷軒様にこの話を面白いと評価していただきとてもうれしいです。😊

  • 第52話 伊東家と祭り之介への応援コメント

    歴史的な確執や先入観から、はなから対立するのではなくて、
    対等なライバル関係として協力する。
    素晴らしいですね😊

    作者からの返信

    憮然野郎様重ねてコメントをありがとうございます。<(_ _)>😊

    かなり後の戦国大名総選挙武田信玄編、および上杉謙信編でも書いたのですが、
    長野県と山梨県、そして新潟県はこの点で一定の緊張感がありながらもうまく協力しています。

    そして、大河ドラマ最盛期の時には観光などで多大な貢献がありました。
    宮崎県もそうした例に倣って長い目で見て協力してもらえたらきっと良い未来がある、そう信じています。😊

  • 外国資本も外国資本ですが、

    問題が多い地域は

    官僚が愛郷心がなくグローバリズムのもと無警戒で外国人を入れている状態


    ほんと、そんな官僚信じられないですよね😫
    地元住人の生活を守ろうと動けないなら、
    なんのために官僚やってるんでしょうか?
    住人達はみんな日々の暮らしで一生懸命頑張ってるのに。
    そんな生半可な姿勢で官僚なんて役所つかないで欲しいですよね。




    作者からの返信

    憮然野郎様、お怒りのコメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    実はこの問題は凄く根深いのです。
    どういう意味かと言いますと、仮にある地域でたまたま決断力のある首長が現れてこうした官僚を追い出したとしても、すぐに同じ状態に戻ってしまうことです。

    一部が腐っているのではなく全国にネットワークが張られていて正直悲嘆にくれるほどシステムがそういう風に構築されています。

    これを変えるには外部からの干渉を排除すると同時に内側をしっかりした状態にしてシステムそのものに打ち勝つ必要があります。

    遠回りに感じるかもしれませんが主権者たる日本国民が歴史を通して愛郷心の大切さを理解し、守るための行動をとるよう促すのが最善の方法だと私はこの話を書いたときも、そして今も信じています。

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読いただきありがとうございます。<(_ _)>😀😄😊

    次のお越しも楽しみにしています。😊✨✨

  • いつまでも過去に拘るのは愚の骨頂。
    そんなふうにも思います。
    未来志向で行きたいものです(*´∀`*)b

    作者からの返信

    あっちゅまん様コメントありがとうございます。<(_ _)>😀

    これは日本語の奥ゆかしい点だと思いますが、マンデラさんもニミッツさんも過去の実績から当時の関係者の目に留まり偉業を成し遂げました。

    今回紹介した二人は積み重ねによって舞台に上がった人物です。

    恐らくあっちゅまん様の発言は特定の分野、勢力に関して過去をほじくり返すのは愚であるという感想かと思います。

    彼らの歴史を見ると実はすごく薄っぺらいんです。
    年数も実績もです。

    それを傲慢な精神と膨らんだ自尊心でさも過去であるかのようにふるまっているにすぎません。

    もしかしたら、それを過去というのは過去に対して失礼かもしれませんね(笑)

    正しく道理にかなった過去を見ることが出来るからこそ、不幸で悲しく非生産的な過去にこだわらず、未来志向に行けるかと思います。

    こればかりは片方だけではなく両方がそう考えない限り問題は解決しないので難しいですね。😀

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもありがとうございます。<(_ _)>😊

    またのお越しを楽しみにしています。😊😄😀


  • 編集済

    立花宗茂、鎮西一の強者と謳われた戦国大名。
    全国にその名を響き渡らせ、関ヶ原の合戦の折に、東軍は、戦況を覆す存在である宗茂その人を危惧して参陣を恐れたと言います。大津城を攻めていた宗茂が参陣する前に決着を付けようと、東軍の動きを加速させ、開戦時間を早めたとさえ言います。戦場にいなくても影響力を与え、家康を悩ませる存在であり、恐ろしい存在であった。関ヶ原で西軍が負けた折には、大阪城に籠って最後まで戦う籠城戦を画策していたようですが、無残に終わりましたが。
    正しく、天下無双、智勇兼備の武将ですね。
    戦後は改易され、浪人の様な生活を送っていましたが、宗茂を慕う家臣が付き従い苦労を共にして支えたと言います。必ず、大名に戻る。そう言って励ましたとも言います。
    部下にも愛される宗茂は、逆境に負けず、信義を持ち続けた。その後、見事に旧領を回復して華麗に大名に返り咲きました。
    正しく英雄であり、九州の誉だと私は感じています。
    宗茂は嫡子に恵まれずに養子を取ることで後世に家名を残しました。
    子孫は、宗茂の領地であった、柳川に居を構えています。立派な日本庭園を兼ね備えた結婚式場を営んでいますが、コロナ禍が席巻する昨今、客足が途絶え途絶えで経営が逼迫していると知りました。
    何とか、持ち直して欲しいと切に願います。
    その為には、やっぱり客を呼び込む大きな起爆剤が必要ですね。
    立花宗成の名で大河ドラマを作る。それは面白そうではありますが、やっぱり島津なのでしょうね。私もそう思います。
    島津大河が実現できれば、九州を揺るがす一大イベントみたいなものになりそうですね。
    そんな活発的な九州を見てみたいものです……。
    熊本地震、九州豪雨、コロナ騒動、家畜の疫病とまあ、ひっきりなしに災厄が訪れましたからね。
    九州人の私は心憂うばかりです……。
    美ぃ助。

    作者からの返信

    美ぃ助実見子様熱いコメントをありがとうございます。<(_ _)>😊

    私個人は20年計画という形で見た場合島津を先にやったほうが効率が良いという意見です。

    しかし、客観的に地元の誘致活動の優越で見ると立花宗茂を熱心に応援する柳川、あるいは福岡の方が可能性が高いのではないかと見ています。

    なので、先に立花宗茂が大河ドラマ化されることも十分想定して今後のことを考えています。

    ご存じの通り、主人公としての立花宗茂は申し分がありません。
    また、実子がいないというのは歴史で人気を高める点で有利なこともあります。

    子孫がいるとどうしても脚本などで遠慮が出て作風の幅が狭まるからです。
    そうした点でも立花宗茂は人気が出る素質があります。

    それと福岡と佐賀には応援団として素晴らしいポテンシャルがあるのでそうした点でも実現して欲しいと私も熱望しています。

    とにかく九州の戦国大河を一度ぜひ放映して大成功して欲しいですね。😊

  • こんにちは。
    長島一向一揆は凄まじかったらしいですね。
    信長は見る角度を変えると違った解釈がどんどん出てきて、それもまた魅力のような気がします。

    話は変わりますが、私の猫のお話をお読みいただき、☆もいただいて、ありがとうございました!

    作者からの返信

    久里 琳様コメントありがとうございます。<(_ _)>😀🐱

    猫が出る話は基本応援させていただいております。(笑)

    私どうしようもない猫好きでして。😊

    いろんな信長像が世の中に出ていきましたが、案外等身大の信長の立場に立った見解というのは少ない気がします。

    どうしても天才、革命児にしたい衝動が作家さんや読者さんにあるのかなと。
    ちなみに信長だけではなく一向宗の信者も見る角度を変えると違った解釈が出てきます。

    これからそのあたりを話に出来たらと思います。
    どうぞよろしくお願いします。😊🐱😄

  • 一向衆の執念凄まじいです。
    信長のメンタルって強いのか、戦国時代でそうなったのか
    ほんと、色々と考えさせられますね。

    作者からの返信

    星都ハナス様コメントありがとうございます。<(_ _)>😄

    理性と我慢の人信長から魔王信長に変化しましたが、そのいきさつを見るとやはり受け身というか、相手の対応を見て対処している感じです。

    良し悪しは別にして、一向宗が魔王信長を作り育て上げた感はぬぐえないと私は感じました。

    一方の一向衆も恐らく素朴な信者がほとんどであくまで成り行きで戦い、追い詰められ、必死に戦った結果信長の逆鱗に触れたという感じです。

    お言葉の通りいろいろ考えさせられますね。

  • 今更かもですが

    とある島津家好きの歴女がいない筈の島津四兄弟の妹に転生した。
    そしてサツマレンジャーだとか言って未来知識駆使して天下統一してしまう・・・・・・

    って、どっかにありそうですね。

    作者からの返信

    仁志隆生様興味深いコメントをありがとうございます。<(_ _)>😊

    基本的には島津がらみの作品などありましたら、ツイッターなどで応援するようにしていますが、見落としている名作もあるかもしれませんね。

    戦国島津は異世界転先としては面白い所なので島津好きの方であれば楽しく書けるような気がします。

    ドリフの逆バージョンということでもし人気が出たらコラボできますね。😊
    問題はどうしても付きまとう薩摩=ダサい田舎のイメージですね。
    これを何とか出来れば化ける気がします。😊

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読感謝です。<(_ _)>😊

    次のお越しを楽しみにしています。😊✨✨

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもありがとうございます。<(_ _)>😊

    次も楽しみにしています。😊😉😃

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様コメントありがとうございます。
    <(_ _)>😊

    次のお越しも心から楽しみにしています。
    😊😉😄✨✨

  • また遊びにきます😊

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    次もよろしくお願いします。😄

  • そうなんですよね
    私も調査してわかったのですが、これ、信長側を攻める論調が多いですが、随分と彼は我慢してる気がします。

    宗教って、怖いところがありますよね。

    作者からの返信

    雨 杜和orアメたぬき様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    私は信長は専門外(どれも専門外ですが)なのでこうして調べた方のご意見と方向性が同じなのはとてもうれしく安心させていただきました。

    確かに実行したことだけを並べると魔王として批判されるのは分かります。
    でも、こうして経緯を見ていくと人間やめてるほどおかしい、あるいは狂った事はしてない感じなんですよね。

    ネタバレになりますが、今の時点では信長が怒りと復讐心で殺したのか、それとも(人道的にはともかく)合理的判断でしたのか、私も決めかねています。

    また、宗教についても確かに狂信的な面がある記述があるのは確かですが、顕如の行動や信長たちの処遇を見ると比較的穏やかですし、一向宗も一枚岩ではない点も見えてきます。

    そうした点も含めて怖い存在と当時の信長や各大名、領主は危機感をもったのかもと思いました。

  • 「影武者徳川家康」だと、一揆側に本多正信がいて(宗旨の問題で、徳川家から出奔中だった)、そのせいで織田軍はやられた、という話が出てきました。
    フィクションの話ですが、だからこそ、あの織田軍がやられたのだ、本多正信の知謀おそるべし、という展開にもってくるのは流石だな、と思いました。

    しかし、これは「影武者徳川家康」の出版当時、「一揆=単なる庶民の集まり」という認識が一般的だったからこそ成立する話であって、今回の郭隗の馬の骨さんの話を知ると、本多正信がいてもいなくても……となりますね^^;

    面白かったです。

    作者からの返信

    四谷軒様興味深いコメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    創作小説の困ったところはどこまでが史実でどこからが作者の創作か分からない点にあります。

    しかも、歴史の資料そのものも解釈や信憑性が変わるので今の正解が将来違うことも度々です。

    ただ、当時の下剋上の戦国時代、構造上兄弟が争うのは当たり前の時代だったので、敵の敵は味方というわけでどこの一向一揆であれ、武士階級やプロ的な僧兵がその中にいてもまったく不思議はない状態だったと思います。

    一方で戦闘技術は武士が教えていても、指導者は武士とは限らないので統率の取れていない軍もあったでしょう。

    教科書などで学ぶと均一的な一向宗ですが、こうして見ると複雑だとあらためて感じました。

  • また遊びにきます😊

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    毎日、力になります。

    次もだのしみにお待ちしています。😊😉😄

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様深夜の貴重なお時間をありがとうございます。<(_ _)>😊

    次もぜひよろしくお願いします。😊😉😄

  • それなら、信者は増えますし、全国的な規模になりますね。人間本来の願いが信仰の基盤になっているんですね。

    それにどう立ち向かうのか、信長との関係が明かされるんですね。楽しみです。(^^)

    ここで失礼致します。ダビデにお星さまありがとうございました。いつもありがとうございます。ペコリ

    作者からの返信

    星都ハナス様忙しい所コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    信長という人気者と現存する宗教の話なのでどちらにも肩入れせずに話を紹介できたらと思います。

    星都ハナス様の現代感覚での聖書紹介これからも楽しみにしています。😊😉😄

  • 一向宗の実態について初めて知りました。
    わかりやすい解説をありがとうございます。

    作者からの返信

    上月くるを様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    歴史全般に言えるのですが、今の見解が必ずしも正しいとは限りません。

    一応WIKIで私なりに問題がなさそうな所を見て説明しましたが現存の宗教ということもあり、恐らく詳しい方だと別の見解があると思います。

    私自身もそうですが、まあ初心者向けだと思っていただけたら幸いです。😊😉😄

  • 『はたらく魔王さま!』懐かしい!
    数年前に一気読みした記憶が蘇ります。
    大河誘致の考察と歴史ものについてのお話ですので、それらに詳しくない人には敷居が高いお話のように一見思われますが、知っている作品が出てくるとそれだけで親近感が湧きますね。
    また、三人の立場や考え方が異なっていて、別々の視点からお話が進んでいくのもおもしろいです。

    作者からの返信

    丹生壬月様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    「島津」というのはなじみが薄く、かといって外国でもないのでなかなか注目されにくい面があります。

    本作品はそうした皆様にどうやったら関心を持ってもらうかをテーマの一つにしています。

    なので、こうしたコメントは本当にうれしく励みに思います。

    ちなみに笹塚という「地方」を扱うのはパタリロという漫画の手法を少し取り入れています。

    登場人物を少なくしているのも分かりやすさと島津を意識してもらうのにいいかなと思ってのことで決して作者の発想の貧困さや手抜きでは・・・。

    良かったらこれからもよろしくお願いします。<(_ _)>😊😉😄

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読ありがとうございます。
    <(_ _)>😊

    次もぜひ、よろしくおねがいします。😊😉😄

  • また遊びにきます^^

    作者からの返信

    かず斉入道様連続でコメントをいただきありがとうございます。<(_ _)>😊

    武田信玄は大河ドラマ化されているので、脚本という観点から見ても興味深いコンテンツだと思います。

    またのお越しをお待ちしてます。😊😉😄

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    またのお越しをお待ちしています。😊😉😃

  • 一度だけ行ったことがありますが…… きれいに、見事に避けられて悲しかった記憶。

    作者からの返信

    長倉冬青様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    猫は見事に好き嫌いが表に出ます。
    本当にツンデレです。(笑)

    この後に猫と仲良くなるための提案がいくつかあるので、もしまだチャレンジ精神が残っていましたら試してみてください。

    飼い主さんやお店の方の許可が必要ですが、もしチュールをあげることことが出来れば大抵の猫は仲良くなれます。

    うん、でも避けられると悲しいですよね。
    私もどうしてもなつかなかった猫が何匹かいましたよ。😅😊😉


  • 編集済

    いつも拙作をご愛読と応援いただきありがとうございます!

    >娘もほしがっているいるけど~
    お公家さんというとやはり京都の方。ああ何という京都的婉曲表現。やはり独特の文化ですね。

    作者からの返信

    長倉冬青様こちらこそお越しいただきコメントをありがとうございます。
    <(_ _)>😊

    資料にはこのように説明されていましたけど、原文と説明のつながりがいまいち私には分かりません。

    おっしゃる通り京都の表現は難しいです。(笑)
    近衛家は朝廷で宮廷闘争ど真中の歴史が残っていますが、このようなほのぼのとした手紙が残っているのが面白い所だなと思いました。

  • フレンドリーでハートフルな信長にとったら、神道はウェエルカムだったんですね。
    一向宗は浄土真宗でしたかしら? 領主や大名システムを認めない宗派だったんですね。信長が嫌うのも分かります。実は今日まで、一向一揆と米騒動がぐちゃぐちゃになって、年貢を減らせ運動する宗派だと思っていました。笑
    勉強になります。(^^)

    作者からの返信

    星都ハナス様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    資料は毎度の如く比較的信用が出来、かつ間違っていても言い訳がしやすいWIKIを主に使っていますが(笑)どうも宗教関係は問題が微妙なせいもあって分かりずらい感じです。

    一応浄土真宗と説明されていますが、詳しい人や関係者の中には見解の異なる人もいるかもしれませんね。

    多分、大筋としては合ってるとは思うのですが。
    宗教というのは心の問題、あるいは感性の問題です。

    織田信長も若いころから熱田には行っていた可能性が高いのでまあなじんでいたでしょうし、人並みの安心感はあったかもしれないですね。

    米騒動については視界の外なのでアレですが、もしかしたら関係あるかもしれないですね。どうかなあ?

    一向宗は確かに独立心が強い団体でしたが、天皇の調停に従ったり時には大名や領主と手を組むなど時々変異します。

    ただ、元の教えがかなり大らかというかおおざっぱなので本願寺の意向が末端まで伝わらないことも多く、穏健派と強硬派がそれぞれ好き勝手やっていたようなので、無政府主義者とも微妙に違うみたいです。

    ただ、信長との相性が悪いのは間違いないので最後の敵扱いされました。


  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様夜中の貴重な時間にご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    またのお越しを心よりお待ちしています。😊😃😄

  • 義昭に関しては信長、我慢してますよね。
    本当にそう思います。

    作者からの返信

    雨 杜和orアメたぬき様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    実は今宗教というか一向一揆編を書いていますが、そこを調べるとまるで別人のような変わりようです。

    もちろんいきさつがあってのことなのですが、比べて見ると本当に我慢したのが良く分かります。

  • こんにちは。
    のび太とドラえもん説、面白いですね。
    ドラえもんの道具でぬくぬくしていたのび太は大抵最後は痛い目に遭って、懲りたりするものですが、足利のび太は最後まで真摯に反省することがなかったのかもしれませんね。。

    作者からの返信

    久里 琳様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    足利義昭自体は決して能力的にはダメというわけではないし、当時の状況を考えると足利幕府の体制が厳しかったのは確かなのですが・・・

    それにしてもダメダメ感を資料を読みながら感じました。
    信長視点で見るとこんな風に映ったのかなあと感じた次第です。😊

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読ありがとうございます。
    <(_ _)>😊
    今回挙げた三人はとても名声の高い質の良い英雄です。
    ストレスなく気持ちよく読める内容かと思います。

    またのお越しも楽しみにお待ちしていますね。😊😉😄

  • 制度疲労を迎えていた室町幕府の終焉ですね。
    信長としては「もういいよ……」という心境だったのでは、と類推します。
    義昭を変に殺して、名実共に倒幕の立役者とかにもなりたくなかったんだろうなぁ、とも。
    そんなことより、天下布武というか天下の立て直しがヤバいんだよ、と思ってたのかもしれません。

    面白かったです。
    あと、拙作「朝の信濃に、雷、走る。」ならびに「聖王の侵略」への応援、ありがとうございました。

    作者からの返信

    四谷軒様興味深いコメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    私も似たような感触でして、幕府及び将軍に対して、感情的な熱をあまり感じないんですよね。

    家臣や従属した部下に対しては裏切りや失望に対して感情的な行動に出る信長ですが、冷めた対応をしているのが印象的でした。

    秀吉は案外簡単な感じで天下を取りましたが、信長時代はギリギリまで四方が敵だったので焦っていた感はありますね。

    武田勝頼が片付いてやっと安定期に入ったと思ったら、あの事件、分からないものですね。

    それと、微力の応援に対して丁寧なお言葉を賜り恐縮です。
    以前も書いた通り、日本の歴史の夜明けはもう見えています。
    お互いこの流れに乗って言葉を多くの方に届けたいですね。😊😉😄

  • ニミッツを抜擢したのは、合衆国艦隊司令長官の
    アーネスト・キングです。
    ニミッツは非常に品行方正なジェントルマンですが、
    ニミッツの上司のアーネスト・キングは、
    海軍士官の奥さんや娘に手を出す女癖の悪い人物で、
    戦争が始まるまで閑職に飛ばされていました。
    なので、個人的にはキングを抜擢したのが
    アメリカの凄い所だと思います。

    しかも戦争が終わるとキングはすぐに
    閑職に飛ばされます。戦争屋は戦争が終わったら
    お呼びでない…。
    ニミッツやスプールアンスは戦後栄達していますから、
    この割り切りの凄さがアメリカですね…。

    作者からの返信

    白狐姫と白狐隊様連続してのコメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    キングは性格は悪く評判が悪いですね。
    彼はニミッツと違い日本を心底嫌っていたようですが、それだけに彼の性格も相まって日本を研究し尽くしていたようですね。

    イギリスのチャーチルもそうなんですが欧米の指導者や司令官の任命能力と使い捨てのタイミングは見事だと思います。

    中国の狡兎死して走狗烹らるを民主制でやってのけるのが欧米の真の恐ろしさかと私も思います。

  • >伝え聞くところによると彼は作曲をするとき自己流でバイオリンを扱い、
    >先生から作曲家としての才能がないと言われたそうです。

    ベートーベンは本人が
    【ピアノを使わないで作曲する事が大事である】と
    言っている通り、楽器を使わないで作曲する事を重視した人です。
    散歩しながらひらめいた断片を作曲帳に書き込んで、
    それを元に構想を膨らませていました。
    多い日は1日8時間も散歩したとか。

    有名な音楽家や偉大なミュージシャンは作曲を心の中、
    頭の中で行うので、実は楽器の存在はあまり関係ないのです。
    私も音楽家の端くれなので、これは良くわかります。
    ピアニストとしては10代で成功していますので、
    楽器のプレイヤーとしても一流でした。




    作者からの返信

    白狐姫と白狐隊様とても参考になるご意見ありがとうございます。<(_ _)>😊

    私は片耳失聴で小学生のころエレクトーンを習いながらも肌に合わずリタイヤしたタイプなので、こうした一流の感性というのには到底届かず挫折しました。

    自転車の補助輪や水泳のビート版のように最初は道具を利用しても、後に必要なくなるものは沢山あるのかもしれませんね。

    機械言語も人間に通じる言語から、機械に伝わる簡潔な表現に変わったことを考えるとそちらの方が本筋なのかもしれません。

    私は凡人なので説明されて、そうなのかなあ、位の理解ですが恐らく音楽に詳しい方々であれば共通言語のように共感されるお話かと思いました。

    私も含め多くの読者が素人だと思うので、こうした発想や経緯があったことを紹介するのは良いことかと思います。

  • 光秀かな?

    楽しみにしています

    作者からの返信

    雨 杜和orアメたぬき様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    今考えればその方が面白い内容だったと後悔しています。(笑)

    あまり、麒麟がくるに影響されず戦国大名総選挙の流れに従って書いていたのでその発想はありませんでした。

    さすが視点が鋭いと脱帽しました。

    というわけで良かったらがっかりせずに続きをご覧いただけたら嬉しいです。

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様いつも応援ありがとうございます。<(_ _)>😊

    またのお越しをお待ちしていますね。😊

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもおこしいただきありがとうございます。<(_ _)>😊

    教養書として島津いろは歌は折り紙付きですのでこれからもご愛読のほどよろしくお願いします。😊😉😄

  • 武田信虎は、信玄を持ち上げる為に
    悪逆非道にされているだけですよ。
    それを言ったら信玄も相当悪逆非道な人物です。

    良く調べると、信虎という人は
    大変な戦上手ですし、戦略においても
    攻勢正面を限定し、非常に効率的な領土拡大策に
    腐心している上に、国人衆の力を削ぐことにも
    努力しています。

    それが信玄の代になると、国人衆の
    言いなりになり、四方八方に支離滅裂な
    侵攻…要するに弱そうな相手を探して
    それを叩くという近視眼的戦略になり、
    領土の拡大は時間の割に上手く進んでいません。

    信長の効率の良い戦略的侵攻に比べて、
    信玄の戦略眼は非常に劣っています。
    豊臣秀吉が信玄を評して、
    【所詮、田舎大名だ】と言ったのは、
    至極的を得ていると思いますよ。


    作者からの返信

    白狐姫と白狐隊様コメントいつもありがとうございます。<(_ _)>😊

    実は白狐姫と白狐隊様のコメントはとても私にとってありがたいものでして。

    理由はいくつかありますが、その中に私の頭にはあるが、文章にしない方が良いと判断した内容をこの場で書いていただいていることです。

    とある架空小説の人物の言葉に正義は逆の方向にもある、みたいな表現がありますが、私も同感で、絶対というのはないと考えています。

    また、歴史は程度の差こそあれ勝者が作ったものという意識もあります。
    とはいえ、そのことをまともに書いたら大変なことになります。

    なので、投稿するときにはこうした表現や資料、感想を書いています。
    ここ最近で豊臣秀吉、武田信玄、織田信長を扱っていますが、この3人を比べるという視点で読んでいただくと私が今回いただいたコメントの見解をあまり否定していないことが読み取れると思います。

    ざっくり言うと信玄はすごい、でもかなり無理をしていた、信長は信玄よりもっとすごい、そして秀吉は信長の劣化コピーでは決してない恐ろしい存在、そんな感じです。

    ただ、私の目的は歴史、とりわけ戦国島津をより多くの人達に知ってもらうことなので、ここでは戦国大名総選挙やツイッターを見ている人達となるべく共感できる内容を書くことを目的としました。

    言い換えれば、織田信長が武田信玄にかなり遠慮をしていた故事に倣ったような感じです。
    武田信玄ファンにも読んでいただきたいと思いましたので。

    下手な例えで恐縮ですが、武田の軍記物語を書いた人達と似た立ち位置だと思っていただけたらと思います。

    もしよかったらこれからも教えをいただきたいと思います。
    重ねてありがとうございます。<(_ _)>

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    またのお越しをお待ちしています。😊

  • うん。おっしゃる通りですね。私のイメージとも重なります。

    作者からの返信

    雨 杜和orアメたぬき様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    私の見解もネットにおける最新の多くの人が見ている資料に基づいた物なので、今後変わることもあるかもしれません。

    でも、今の時点ではこのあたりがスッキリするなあという感じで書いています。
    人はどの時代でも今の情報に基づいて思考し判断します。

    そのプロセスの一環になればと思います。

  • のび太とドラえもんの例え、分かりやすいです。
    現代もこういう関係ってありますね。

    作者からの返信

    星都ハナス様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    信長に限ったことではないのですが、どうもこの足利義昭という人物は味方にすると手のかかるタイプだったような気がします。

    どの大名家も来るまでは歓迎するのですが、実際に来るとなんか熱が冷めていく感じがするんですよね。

    暴君ではないのでしょうが、なんか変な感じです。
    信長は能力的にはドラえもんに近かったのである程度何とか出来ましたが、したらしたで調子に乗って失敗する所がこんな感じかなと。

    漫画、アニメだから許されていますがシビアな現実だとこうなるのはまあ自然かなと思います。

  • 所領分けの専門家ではなかった将軍……面白い発想ですね。
    考えてみれば、現代の人事も同じようなものかもしれません。
    曖昧な人間が曖昧な人間を視るのですから、なかなか……。

    作者からの返信

    上月くるを様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    所領分けは難しい問題で、特に下剋上の時代になると親兄弟はもちろん一族入り乱れてのことで多かれ少なかれ問題は起きたと思います。

    ただ、評判が悪く信長が出張らないといけないほどとなると将軍義昭の裁定はダメだったのかなと思います。

    どうもかなり恣意的な感じで利権を要求していたような話もあるので人徳のない政治で味方が見限っていったのが致命的だったかなと思います。

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもありがとうございます。
    <(_ _)>😊

    次もどうかよろしくお願いします。😊😉😄

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもありがとうございます。<(_ _)>😊

    またのお越しをお待ちしていますね。😊😉😄

  • 信長が兵農分離を行ったというのは誤りです。
    兵農分離というより、傭兵を他家より巧に利用した…。
    これが正解です。

    この時代の農村には既に百姓衆/軍役衆という区分あり、
    織田家もそれを利用していただけです。
    城下に住んでいるのは重臣とか身近な家臣達ですが、
    これは他の戦国大名もやっていますね。

    主城を戦略的要点に随時移していくという所は
    彼の優れている所ですが…。

    作者からの返信

    白狐姫と白狐隊様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    一応他の章で補足したのですが、傭兵という形で兵を集め、百姓主体の編成にしないという点はご指摘の通りだと思います。

    また、兵農分離が織田信長の発案ではなく、あくまで利用していたのもその通りかと思います。

    その点は楽市楽座の歴史的解釈の変遷とよく似ていると思います。
    説明不足で申し訳ないですが、信長がこれを発明したというのではなく、彼がこの制度を大々的に取り入れその長所を最大限に発揮したというのがより正確な表現かも知れませんね。

    この点も本書の鉄砲と同じ感覚で解釈していただけると助かります。
    鉄砲は種子島から来たもので、上杉、武田も強い関心を持って導入しましたが、この兵器を最大限生かせるようにしたのが織田軍団である。

    このくらいの感触で受け取っていただけたらと思います。
    最近の歴史解釈を見ると織田軍団の機動力によって事態が大きく変化する出来事が多くみられるのでその説明として従来より親しまれてきた兵農分離という言葉を使わせていただきました。

    農業に拘束されない大規模な軍団と捉えていただけるとありがたいです。


  • 編集済

    >当時の日本人が戦争で勝つことを簡単に考えたのもこうしてみると
    無理からぬことでした。

    →1941年当時の日本はアメリカと戦って勝てるなどと思っていません。
    国力に10倍近くの差があり、技術的に劣っている事も理解しています。
    戦いを決める御前会議での一節…
    【戦うも亡国、戦わざるも亡国ならば…】からもこれは読み取れます。

    日本が血であがなった満州等、全ての利権をアメリカに手渡せという
    ハルノートの内容をそのまま履行すると、大量の失業者が生まれ、
    国家として破産する…それが当時の日本の状況でした。
    アメリカはむしろ日本が戦争をしかけざるを得ない状況を作って
    いたのです。

    戦後の極東軍事裁判で、インドのラダビノード・パール判事が、
    ハルノートについて、『こんな内容を突きつけられたら、
    ネパールだって宣戦する!日本人は全員無罪!』と言ったのは
    有名な話です。

    戦っても亡国、戦わずも亡国ならば、あえて戦ってその魂を
    後世に残す…。それが当時の日本の考えだったと思います。

    作者からの返信

    白狐姫と白狐隊様度々コメントありがとうございます。<(_ _)>

    まず最初にお伝えしたいのはここで書いた日本は日本国民全体の空気と解釈していただけたらと思う点です。

    あえて極論を言いますと、天皇陛下、東条首相、陸軍参謀総長梅津 美治郎、海軍三羽烏、総力研、その他、が米国との戦争に反対、またはそれを避けるべく努力し、戦争前から絶望的な展望を持っていたという事実があるとしても日本人全体の空気は戦争で勝つと思い生活していたのは事実かと思います。

    例えば、日露戦争でも伊藤博文は一兵卒になっても戦うという絶望的な決意を持っていたと伝わっています。

    そして、ご存じと思いますが日露戦争はあくまで日本のギリギリ時間切れによる判定勝ちが最大限の贔屓目で見た表現で大勝ではありませんでした。

    しかし、日本国民は大勝利をしたとメディアなどから教えられ、日本は神国で決して負けないという信念を培ってきました。

    これを扇動したのは他でもない政府と当時の知識人達でしたが、彼ら自身はこの戦争が薄氷の勝利だと認識していました。

    そして、この認識の乖離が第二次大戦で大きな問題を起こします。
    短期決戦による優位な情勢での講和という目標、つまり日清、日露での日本の必勝パターンが成り行き上不可能となりました。

    ここで日本は希望を絶たれ、自らが主導権を取れない、いわば未知の敗北の道に入りこみました。

    ご存じと思いますが、天皇陛下とその近臣達はかなり早い時期から敗戦による講和を模索していましたが、それは世論の動向を慎重に見ながら秘密裡に行われました。

    敗戦間際の時期でさえ、天皇陛下も含め命の危険や革命を危惧して工作は秘密裡に行われています。

    戦争の早期終結という結論は早めに出ていたのですが、国内世論を考えると受け入れる体制を作るのに時間をかけざるを得なかったというのが本音かと思います。

    もちろん、戦艦大和の乗組員の遺書や絶望的な戦いの中で未来に希望を託した沢山の人々の記録も多く残っていますがやはり天皇陛下の玉音放送とその後の政府の声明を聞くまでは日本は負けないと思った人はかなりの数いたと思います。

    長くなりましたが、歴史を見る時には当時の歴史、現代に伝わる歴史という二つの歴史があり、当時の人が正解が見えていたとしても確信は出来ず手探りで行動する。

    一方では過去の勝利体験から経験として行動する、あるいは教育によって最後には奇跡で勝利すると信じる、そうした現象を踏まえて、今後どうしたらよいかをそれぞれが考える機会になればと思います。

    蛇足ですが、真珠湾の奇襲によって米国民は日本を卑怯者とレッテルを張り、それが米国の戦争意欲の源泉の一つになったのは有名な歴史的事実です


    でもその前に米国が日本の潜水艦を攻撃した事実は歴史の流れにほとんど影響しませんでした。

    またご指摘のハルノートや禁輸措置についても後にあのマッカーサーですら日本の立場を擁護しましたが今でも日本の敗戦は蛮行として欧米はもちろん、最近では本来無関係の中国のある党や元併合地に批判され続けています。

    良し悪し、善悪はともかくこれが今、伝わる歴史として強く影響していることを指摘してお話を閉じたいと思います。


  • 信長の生涯をみていると、すごく合理的な男だったと思います。
    大蛇が出ると言われた池に裸で潜って確認しにいくような、そういう理系男だと私は思っているのです。

    理系男の典型なタイプです。
    興味のあることに夢中だけど、世俗的な名誉とかどうでもいいというか。

    作者からの返信

    アメリッシュ様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    私も同感です。

    と同時に意外というかバランスもとれた人物で、迷信を一切否定しているかというとそうでもないご指摘のとおり確かめるタイプだと思いました。

    当時としては革新的だったでしょうが今の視点で見ると理性的な人間に見えるなあと思いました。😊


  • 編集済

    関ケ原の戦いは当時の一次資料の読込だけで
    純粋に見ると、通説とはかなり違いますね。

    小早川秀秋は最初大垣城に石田三成と一緒に籠城して
    いたという記述があるし、少なくとも合戦前日の
    9月14日には明確に東軍に鞍替えしている事が
    当時の関係者の書状からわかります。

    大谷吉継の関ケ原着陣も決戦前日の14日です。
    14日に松尾山を占拠した小早川軍の裏切りが明白になり、
    大谷隊が危機的状況になった為、大垣籠城の西軍主力が
    関ケ原…山中方面に陣替えしたと吉川広家は書状に
    書いています。

    9月15日早朝、決戦の火ぶたは大谷隊と東軍先遣隊との
    ぶつかりで始まり、小早川勢が後方から大谷隊を
    突いた…これが島津の記録から推測できます。

    決戦時、小早川勢は逡巡などまったくしておらず、
    決戦前には既に松尾山を下り、大谷隊の後方の
    丘に陣取り、東軍先遣隊と大谷隊がぶつかった直後、
    迷わず大谷隊を攻撃しています。

    関ケ原の戦いは、決戦というより東軍による一方的な
    西軍の追撃、殲滅戦だった様で、西軍は良い所なく、
    一方的に殲滅されています。ぶつかった瞬間に
    崩れたという記録がある程です。

    これではドラマにならないので、江戸時代に色々脚色され、
    さらに陸軍が作った関ケ原決戦の図等が事実として蔓延った為、
    一次資料が意図的に無視されている感があります。
    ゆえに小早川が意思の弱さで選択した…というのは
    誤りだと思いますよ…。初めから東軍として参戦していますし、
    家康もその戦いぶりを褒めて感状を出しています。

    追伸。
    鈴音先生の不思議授業で、いずれ関ケ原戦の詳細を書いて
    みようと思います。一次資料の根拠もなるだけ公開しますので、
    少々お待ち下さりませ。

    作者からの返信

    白狐姫と白狐隊様コメントありがとうございます<(_ _)>😊

    小早川秀秋が関ヶ原到着時にすでに調略され東軍となったという話については私もこの話を書いた時点で頭には入れていました。

    ただ、この点についてはまだ異論も残っているようなので議論の分かれる所ではないかと思います。

    一方で関ヶ原合戦時に敵味方双方に対して明確に意志表示をしていなかったという点で揺らいでいたように見えたというのはやはりあったのではないかと思います。

    この見えた、という事実をもって意志の弱さで選択したと世間に映ったというのがこの話の要点です。

    簡単に言えば上(小早川と徳川)の間で話があらかじめまとまっていたとしても世間がそう見ておらず結果としてブラブラしたと思われることがまずいという意味でここを表現しました。

    実の所いいずらいのですが、島津の場合、義弘は明らかに西軍三成側に立って戦っていましたが、戦後は徳川につくつもりがやむを得ず西軍についたと弁解しています。

    これは恐らく小早川と逆の意味で歴史が後世に伝わった例かと思います。
    今の日本に当てはめた時にこうした汚名を着ることがないようにしなければならないという意味でもこうした事実と世間との評価が誤って伝わっているという事実を知り、今後の糧としてもらえればと思いました。

    最後に蛇足ですが、家康は小早川秀秋にとても感謝していたでしょうが、一方でこうした風聞を幕府側が良しとして利用していたというのはあったと思います。

    あの、石田三成ですら水戸藩などでは忠臣説を提唱されたのに、小早川に対する風聞がこれほど悪くても今日まで続いているというのは誤りであったとしても恐ろしいことだと思います。

    結論としては今日まで続いている意思の弱さというイメージの歴史という事実という視点と捉えていただけたらと思います。

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもごあいどくありがとうございます。<(_ _)>😊

    次もよろしくお願いします😊😉😄

  • また遊びにきます😊

    作者からの返信

    かず斉入道様長編の本作をいつもご愛読いただきありがとうございます。
    <(_ _)>😊

    またのお越しをお待ちしています。😉😉😊

  • 信長、みなが侮っていたからこそ勝てたところもあったように思えます

    作者からの返信

    アメリッシュ様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    ご指摘の点はごもっともと思います。

    信長以前にも足利将軍を擁して戦った勢力はありましたが、対抗勢力が現れてつぶれていきました。

    当時の京の人たちの認識ではまたなんか来た位の認識だったかもしれませんね。

    これは出自コンプレックスの秀吉と真逆で信長はあまり官位に執着がなかったようです。

    その理由がもし目立たず相手を油断させるためだとすればなるほどとなりますね。
    (補足ですが信長は家臣には官職を与えることを良しとしていたとも言います。)

  • 石高は事業の資本金のようなもの。
    資産の急増は大きな力をもたらせたでしょうね。

    作者からの返信

    上月くるを様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    資本金とは巧みな表現ですね。

    特に注目すべきは短期間に急拡大したにもかかわらず、齟齬を生じないようにあらかじめ軍制や統治の指針がされてたことです。

    これが、他の勢力が将軍を持て余し、信長の急拡大の起爆剤になった。

    やはり信長は特別という従来の結論に帰結するわけです。

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読感謝です<(_ _)>😊

    またのお越しを楽しみにしていますね。😊😉😄

  • やっちまったですか……
    何事も不測の事態というものはあるわけで、同様に大損をした投資家は多かったでしょうね。

    作者からの返信

    長倉冬青様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    結構マニアックな話題なので、知ってる人にとっては興味深い話かと思い紹介しました。

  • うちの地元でもめっきりお祭りが減って……
    元気出るといいですね祭り之介さん。
    しかし処方に10分とは羨ましい薬局さんです。私の通ってるところなどその2~3倍は待つのです。

    作者からの返信

    長倉冬青様連続でのコメントとてもうれしいです。😊

    祭り之介の住む街は医者も多く総合的に見ても優秀な医者が多いようなので恵まれているかも。

    あと、患者さんも都会の方に比べると軽症で手間があまりかからないということも大きいかもしれません。😊😉😄

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもありがとうございます<(_ _)>😊

    またのお越しとご愛読、よろしくお願いします。😊😉😄

  • 心を盗まれる…って現代ではいい意味に聞こえますよね(*´ω`*)

    だんだん自分の良心が盗まれている…なるほど。

    スマホゲームやギャンブル、あるいはお酒に飲まれてしまう…

    といったことなんかもそうなのかもしれないですね~

    気をつけなきゃです(*´ω`*)b

    作者からの返信

    あっちゅまん様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    元々「盗む」という言葉は悪い意味で使われることがほとんどでした。

    ところが小説や恋愛漫画などで心を盗まれるという表現からだんだん悪いイメージが薄れました。

    そしてご存じのようにルパン三世が見事にこの言葉を肯定的な物に変えていきましたね。

    言葉の意味が時代と共に変化していくのは決して珍しいことではないので、この点に関する論評は控えたいと思います。(笑)

    とはいえ、盗むが悪いことというのは日本的な価値観だと思いますので、この解釈は大事に守っていけたらと私個人は考えています。


  • 義昭と信長の関係。
    最初は良好でしたけど、徐々に変化するのは、やはり必定かと。
    私は少し信長に同情的な感想をもっております。

    作者からの返信

    アメリッシュ様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    織田信長はいつも革新的、能動的、先が見える人物、という評価が長年の間多くの歴史家や作家やファンによって構築されてきましたが、比較的安定した資料をみるとそうでもないような気がします。

    私は歴史の素人ですが、先入観抜きで資料だけを見ると信長の苦労人としての一面がかなりはっきり見えてきました。

    そこから出発して後日の史実に基づく荒れた信長を見るとすごくしっくりくるんです。

    なぜ、晩年にあのような行動に出たのか、同じ行動をとるかは別として気持ちは良くわかる、そんな感じです。

    前から私と同じ方向性の信長を紹介した方はいると思いますが、個人的には新鮮な感じがしたのでこの方向性で今後も紹介していきたいと思います。😊

  • 島津の退き口を300風にザックスナイダーに撮って欲しい

    作者からの返信

    貝沼軍鶏様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    島津の退き口は攻撃力もそうですが機動力の迫力もありそうですね。

    映像化したらさぞド迫力でかっこいいでしょうね。😊

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもありがとうございます。<(_ _)>😊😄😃

    次もよろしくお願いします。😊

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読ありがとうございます。
    <(_ _)>😊

    歴史学の進捗によって上杉家もまた、一つの確固とした義を掲げる集団としてだけではなく、戦国時代に生きた現実の存在であるという点がクローズアップさててきました。

    この章では昔からの伝統に基づく上杉家を紹介しましたが、歴史学的には別の視点もあるようです。

    歴史学から見た視点と、上杉縁の人々が大切に伝えてきた歴史、どちらも現代に伝わった歴史として見た場合、それぞれが魅力があるかと思いました。

    またのお越しを楽しみにお待ちしています。😊

  • 津本陽先生の「下天は夢か」では、朝廷とはちがう暦を定め、そっちを採用しろ=朝廷よりこちらが上だ、という信長を描いています(たしかそうだったような記憶が……)。
    この作品が上梓された頃は、日本が盛り上がっている時期だったから、そういう感じに持って行ったのかなぁ、と今さらながら思いました。
    司馬遼太郎先生の「国盗り物語」では、こういうのを見なかったと思います。そのため、作品が上梓されたころの空気を反映するという意味でも、やはり信長は「時代の寵児」だな、と感じました(^^;

    面白かったです。

    作者からの返信

    四谷軒様興味深いコメントをありがとうございます。<(_ _)>😊

    昔の大河ドラマや小説は当時の作家さんや歴史家の推測がかなり大らかに受け入れられた時代でした。

    もっといえば、資料の裏付けがなかったり、信憑性の薄い資料でもそれをうけいれ、さらに当時の世相や作者の考えや出版社や放送局の思惑が繁栄しやすい時代でした。

    そして、それを見た人々もそれが歴史の一部だと認識し、互いに語りあう、そんな時代でしたね。😊

    歴史に味付けが許されてた時代、その中でも信長は最も旬で幅の広い味付けが出来る素材だった。
    そういう意味で「時代の寵児」だったのかもしれませんね。

    そして、これからも歴史学の進歩や人々の認識の変化に伴い新しい信長像が構築されていくとすれば永遠の時代の寵児となるでしょう。😊


  • 編集済

    いろは歌編おつかれさまでした!ありがとうございました!
    いろは歌には古くより現代でも通用する教えがつまっている事を知り感慨深いものがあります。大河誘致に成功すればこれらの教えもきっと大々的に広がるでしょうね! 夢も広がります~。

    作者からの返信

    長倉冬青様、長いいろは歌におつきあいただきありがとうございます。<(_ _)>
    私の小説をご愛読いただいた方々には面白かった、という以外に人生の何かに役に立つ知識や知恵をお伝えしたいと常々思っています。

    歴史の価値、アップグレードする意味、そして未来にどう役立てるか、こうした思考やアイデアの源泉あるいはお手伝いになれば幸いだと思っています。

    今までの応援を感謝するとともにここで費やした時間と知恵が人生のお役に立つことを心より願っています。

    それとまだこの作品は終わっていないので(笑)良かったら今後もお付き合いをお願いします。<(_ _)>😊

  • 第13話 佐土原の島津豊久への応援コメント

    コメント失礼いたします。
    私もドリフターズが大好きで何度か鹿児島へは行きました。
    佐土原は菜の花のイメージがあります。
    騒動が収束したら遊びに行きたいです。
    これからも少しずつですが作品を拝読させていただきます。

    作者からの返信

    真田真実様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊
    また夜遅くの貴重な時間を割いてご愛読いただき本当にうれしい限りです。
    鹿児島や宮崎という遠い地に何度も足をお運びいただいて頭の下がる思いです。

    きっとその地に住む人々も喜びを持って迎えたい気持ちを持っていると思います。
    佐土原は真田様のような方々のおかげでドリフターズおよび島津豊久の聖地となりました。

    この小説はとても長いのですが、それでも戦国島津の専門書のような堅苦しいものではなく、島津の魅力やためになる知識や知恵、そこから現代でためになるような情報を紹介しています。

    無理をすると大変なので、もしご愛読いただけるならご自身にとって爽快なペースでお付き合いいただけたら嬉しいです。

    それと、順番通りに読んでいただいてもうれしいですし、タイトルを見て面白そうなところを拾ってもらってもOKです。
    最後に真田様のカクヨムライフに幸あることを願っています。😊

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様夜中の貴重な時間にありがとうございます。<(_ _)>😊

    またのお越しを楽しみにしています。😊😉😄

  • また遊びにきます

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもありがとうございます。<(_ _)>😊😉

    またのお越しを楽しみにお待ちしていますね。😄😊😁