応援コメント

第173話 劉禅と斉の桓公といろはの「よ」」への応援コメント

  • 国を思う立派な人々が、いつまでも側にいてくれれば良いですけど、いなくなった時に、彼らの忠告を守らなくなると必ず滅びる結果になっていますね💦

    作者からの返信

    @momoyo-oki様ご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😊

    ご指摘の通り、忠臣がそばにいる間は君主自身の能力に関係なく国家は機能するものですが、いなくなるとがらりと変わることがあります。

    劉禅は暗愚なことで有名ですが、桓公は長い中国の戦国時代で五覇と称えられる人物でしたのでコントラストの強さで紹介しました。

    大鳥のまさに死なんとするやその声は悲し、人がまさに死なんとするときその言や良し、といいます。
    忠臣の忠告は千金にも値するもの、新しい考えを取り入れつつも大事な芯は守っていきたいですね。🍀😊

  • 飲まず食わずで死んでいくのは、
    相当な拷問でしょう。



    また読ませて戴きます✨🤗✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様深夜の貴重な時間にご愛読いただきありがとうございます。<(_ _)>😊✨✨

    ご指摘の点全く同感で私もこの小説の後の方で一番苦しい死に方は餓死だと思うと書きました。

    状況を見るに誰も桓公を憎んでいたわけではなく、単にそれぞれの都合と無関心による結果だとは思いますが、歴史に名を残した名君の最後としてはあまりにむごいと思います。
    でも厳しい言い方ですが自業自得なんですよね。
    だからこそ多くの方に知ってほしいと思いました。

    またのお越しを楽しみにしています。✨😊✨✨

  • うーん、難しいですね。
    生き残ることが戦国の世の勝利ということなら、
    劉禅は勝利ですし…

    諸葛亮はやっぱり誠実だったと思いますね。
    だからこそ信頼されたんだろうなぁと。

    友達を見て、その人物を判断するということもありますね。

    作者からの返信

    あっちゅまん様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊

    最近のネットの風潮で劉禅名君論というのを時々聞きます。
    あまりにも評価の低い劉禅に対する再評価として気持ちとしては分からなくもないです。

    また、結果として生き残ったことを持って実は優れていたというのもわからなくもないです。

    しかし、私自身はその言い分を聞いたうえで後期劉禅は暗愚であったと評価しています。

    根拠としては当時の歴史家や知識人の中で劉禅を評価した人間が極めて少ないこと。
    中国のことわざになるほどの強い低評価が長年続いたこと。
    そして、明らかに残虐であった呉の孫晧も生き残ったことが理由です。

    運が良かったという評価であれば私も異論はありません。
    逆に言えば優秀でも運が悪くて歴史で減点された人物も沢山いますので。

    人生という採点では現代人の試験や科挙のように優秀な人間が勝つとは限らない、そんな感じです。😊😉😄😅

    諸葛亮は北伐においてかなりいい戦いをしていますが、最近の考察を見てもよくこんなに大変な出師をしながら、負けるどころか一定の戦果を挙げたのかと思うほどの奇跡的な軍隊運営をしています。

    本当にカリスマ性の高い人物で、そのカリスマとは誠実だったのかと思うとますますその偉大さを再認識する今日このごろです。

  • また読みにきます

    作者からの返信

    いつもありがとうございます。
    またのお越しをお待ちしています。
    夏の暑さももう少し、お互い体調には気をつけたいものですね。


  • 編集済

    世間的に、劉禅への評価はかなり悪いですね。

    でも、「実際にわざとそうしたのではないか」「それは本物の知恵ではないか」という考えも、最近出ました。

    客観的に、蜀は一番弱い国でした。その負ける運命はほぼ決まったものです。その愚かさを装って、蜀の滅びの後でも、劉禅は脅威ではないと思われ、公の地位が与えられました。お陰で、彼の運命は多くの人より全然良かった。

    そして家臣の諸葛亮の権力が大きすぎましたね。多分魏の司馬家よりも。王として喜ばしいことではありませんね。宦官を使ったのも、権力の制御などの考えがあるかもしれません。中国の歴史によくあることです。

    まあ、これはただの一言ですね。でも文学作品的にそう書いたら多分面白くないので、今のことになったかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    わたしもニコニコなどで劉禅名君説、あるいは暗君のふりをしたという話は何度か拝見しています。
    ただ、正史三国志では彼の治世について細かいところまで記載がありますが、それを見るとやはり彼は単に歴史の流れによって生かされた、別の言い方をすれば無能ゆえに脅威とされなかったと私は考えます。
    例えば、蜀滅亡の決定打となった漢中の増援依頼を無視したことは明らかに占いによる影響ですが、その後の各要衝にたいする防備については部下にまかせています。
    もし被害を最小限に食い止めるためであるならこのようなちぐはぐなことはしません。
    やはり、三国志の第一人者陳寿の絹糸のように交わる相手によって何色にも変化するというのがより真実に近い評価な気がします。
    ちなみに暗君として劉禅以上に無駄な血を呉の統治中に流した孫晧も降伏して劉禅と同じような待遇を受けています。
    魏の曹丕が漢の皇帝を安楽公に報じたように降伏すれば生かされる可能性はある程度ありました。
    その点を考慮しても英断という評価は過大ではないかと思います。
    このシリーズを扱い、日本の北条高時も含め暗君とされる人を調べましたが、多くの場合政から逃げて趣味に走ったり、佞臣や占い師や私腹を肥やす宦官に決定権を委ねたりしています。
    (ちなみに宦官については後漢に忠義の士が複数おり、曹操の祖父をはじめ、歴史に良い意味で名を残した人も多く輩出しているので、必ずしも宦官=悪とは考えていません)
    歴史には様々な見方があり、いろんな角度で見るのは大切なことだと思います。
    一方、今までと違う新説のセンセーショナルな影響に惑わされ、全体像がゆがむ事例も数多くあります。
    私は歴史は事実を基に今と将来の私たちの道しるべの参考にするのが大事なことと考えていますので、より客観的な視野で勉強したいと思います。
    まあ、わたしの見解も素人の一考察に過ぎませんのであくまで参考として気に留めていただければと思います。
    追加です。
    阿斗という言葉があるくらい悪いイメージが定着していると思っていた中国でそのような見解が見られるというのは意外でもあり、新鮮でもありました。
    もし、またそうしたお話がありましたら教えてください。
    勉強になります。

    編集済
  • 諸葛亮
    いい人間と関われ、確かにそうですね。いいな彼。

    作者からの返信

    諸葛亮は厳しい人物だったようですが、蜀のほとんどの人々に信頼された人物でもあります。
    人と人の出会いは運と努力の両方の要素があるので大変ですが、今の時代にももしかしたら諸葛亮のような人物がいるかもしれませんね。
    コメントとご愛読をいただき、とても感謝しています。
    どうか、これからもよろしくお願いします。