第173話 劉禅と斉の桓公といろはの「よ」

善き悪しき 人の上にて 身を磨け 友は鏡と なるものぞかし


現代語訳

他人の言行の良し悪しをみて反省し、自分を磨くことです。

特に友だちというのは、自分を映し出してくれる鏡のようなものと思いましょう。


実はこの「劉禅」と「斉の桓公」、以前の章で紹介した、諸葛亮、管仲と鮑叔の時の主君であり、話題が重なるので他の歴史上の人物を探そうかとも思ったのですが、あまりに今回のテーマに合致するのであえて紹介することにしました。


まず、劉禅ですがこの人物は今から約1800年前の中国、三国志の時代の蜀という国の皇帝です。


彼の人生の前半は諸葛亮のおかげでとても評判の良い政治を行っていました。

彼について三国志の陳寿撰者は、「白い糸は染められるままに何色にも変ずる」と述べ、白く染めれば、白く染まり、黒く染めれば黒くなる糸に例えました。


諸葛亮はその性質を知っていたのでしょう。

「出師の表」という劉禅にあてた手紙の中で、自分が推薦した優秀な人物を大事に使うように教えた後、くだらない人間を使えば国が衰退することを警告しました。


しかし諸葛亮が死に、彼の周りには「くだらない人間」が集まります。

具体的には「黄 皓」、(こうこう)という宦官や占い師、巫女といったメンツです。(彼らの占いにより蜀は不意をつかれ滅びました)


黄 皓は邪悪で陰険な人物とされ、国を亡ぼす提言をした挙句、自分は敵に賄賂を贈り生き残るという人生を歩みます。


劉禅は蜀滅亡時は生き残り65才で亡くなりますが、彼の歴史上の評価はまるで鏡のように諸葛亮のような立派な人物と交わるときは輝き、黄 皓のような人物を重用したときは曇ってしまいました。


さて、次は斉の桓公ですが、この人物はある意味劉禅よりも付き合った人の変化によって人生が変わった人物です。

以前の章で触れたように管仲、鮑叔といった国を思う立派な人物たちに囲まれ、「最初の覇者」として歴史にその名を残しました。


しかし、彼の人生には続きがありました。

管仲が亡くなるときに、彼は桓公に遺言を残しました。

それは、引き立ててはいけない人物として、易牙・豎刁・公子開方の、まとめて「三貴」と呼ばれた佞臣たちでした。


しかし、桓公は管仲の言葉を無視して彼らを起用しました。

その結果国政は乱れました。

桓公の最後は悲惨でした。


桓公が病床に就くと、桓公は三貴によって病室に閉じ込められ、そのまま紀元前643年10月8日に息を引き取った(食料すら与えられず餓死したといわれる)。


その後の公子達の後継者争いの中でその遺体は放置され、翌紀元前642年8月に太子昭が孝公として位につくまで67日の間、納棺・埋葬される事もなく、そのため遂には扉からウジが這い出してきたという。斉はこの後もたびたび後継者争いが起こり、覇権は晋、楚へ移った。


人が苦しむ死に方は多くありますが、個人的には孤独な餓死というのは最高度の拷問だと思います。


いろは歌の「よ」、他人の言行の良し悪しをみて反省し、自分を磨くことです。

特に友だちというのは、自分を映し出してくれる鏡のようなものと思いましょう。

この言葉は人生全体に影響を及ぼすことを厳密に表していると思います。


皆様はどのような感想をお持ちになったでしょうか。








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