津本陽先生の「下天は夢か」では、朝廷とはちがう暦を定め、そっちを採用しろ=朝廷よりこちらが上だ、という信長を描いています(たしかそうだったような記憶が……)。
この作品が上梓された頃は、日本が盛り上がっている時期だったから、そういう感じに持って行ったのかなぁ、と今さらながら思いました。
司馬遼太郎先生の「国盗り物語」では、こういうのを見なかったと思います。そのため、作品が上梓されたころの空気を反映するという意味でも、やはり信長は「時代の寵児」だな、と感じました(^^;
面白かったです。
作者からの返信
四谷軒様興味深いコメントをありがとうございます。<(_ _)>😊
昔の大河ドラマや小説は当時の作家さんや歴史家の推測がかなり大らかに受け入れられた時代でした。
もっといえば、資料の裏付けがなかったり、信憑性の薄い資料でもそれをうけいれ、さらに当時の世相や作者の考えや出版社や放送局の思惑が繁栄しやすい時代でした。
そして、それを見た人々もそれが歴史の一部だと認識し、互いに語りあう、そんな時代でしたね。😊
歴史に味付けが許されてた時代、その中でも信長は最も旬で幅の広い味付けが出来る素材だった。
そういう意味で「時代の寵児」だったのかもしれませんね。
そして、これからも歴史学の進歩や人々の認識の変化に伴い新しい信長像が構築されていくとすれば永遠の時代の寵児となるでしょう。😊
また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様朝からのご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😄
次のお話もどうぞよろしくお願いします。🎶😊🌈🎵🌟