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ええっと……信濃が出て来るかな、出て来るかなと思っていたら、やっぱりでしたね。(^_^.)
隣国から侵入して滅茶苦茶に駆けまわられた感がある信濃では(国境に近い城では、石垣の上に敵の首級約3,000を並べて戦意を喪失させようとしたとか)、現代に至ってもなお信玄への感情はビミョーなようで、カラオケで「武田節」を歌ったら、し~んとされました。(^.^)/~~~
♪ おのおの馬は 飼いたるや 妻子に つつが あらざるや あらざるや……の歌詞が大好きなのですが。
作者からの返信
上月くるを様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊
戦国の勝者であった島津ですら、敵対国であった宮崎の伊東家圏内の人達からはかなり厳しい目で見られています。
まして、散々蹂躙した後、歴史的には敗者となった武田家に対してしこりがないというのはまああり得ない話ですよね。
それでも武田信玄を落とすために大河ドラマに反対したりせず、したたかに今に至る長野の皆さまの振る舞いや方法を宮崎や他の九州の皆さまに知ってもらいたく、今回話題にしてみました。
この空気は実際に長野に行ったことがないと伝わらないですね。
長野県については、諏訪姫や諏訪四郎勝頼、そして真田幸綱(幸隆)といった、信州勢にもウェイトが置かれていた、というのもあると思います。
あと、何だかんだ言って川中島古戦場は長野県だから、今でいう聖地巡礼となると、やはり長野県にも利のある展開だったのではと思います。
また、武田信玄のドラマについては、やはり孫子、風林火山のインパクトも大きかったと思います。いわゆるビジネス書、サラリーマンの仕事の方法について、孫子が尊ばれる風潮が、この頃から目立ってきたと思うのです。で、それを実践した戦国武将である信玄を見て学ぼう、という空気もあったのかな、と思います。
興味深かったです。
ではでは。
作者からの返信
四谷軒様、さすが駿河と相模の小説をお書きになるほどの博識、ありがとうございます。<(_ _)>😊
この章は本文には書きませんでしたが、とりわけ宮崎の皆さまを意識して書きました。
ご指摘の通り沢山の人物や出来事が長野に関わっていますが、それでも役柄としては敗者が多いので、そこをあえて大河誘致や観光で頑張っている長野の手本としたたかさとしてお伝えしたいと思いました。
実はこの後6エピソード今の時点でスペックがありますが、孫子、ビジネスマン、バブル期の日本という視点から似たような内容をしたためています。
びっくりするくらい四谷軒様の指摘と似た表現となっていますが盗作ではないのでどうか心安らかにご愛読願えればと思います。<(_ _)>😊
また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつも本作を追いかけてご覧いただきありがとうございます。<(_ _)>😊🍀
次回もどうぞよろしくお願いします。✨😄🎶🎵🍀