応援コメント

第124話 関ケ原の戦いから今を見る」への応援コメント


  • 編集済

    関ケ原の戦いは当時の一次資料の読込だけで
    純粋に見ると、通説とはかなり違いますね。

    小早川秀秋は最初大垣城に石田三成と一緒に籠城して
    いたという記述があるし、少なくとも合戦前日の
    9月14日には明確に東軍に鞍替えしている事が
    当時の関係者の書状からわかります。

    大谷吉継の関ケ原着陣も決戦前日の14日です。
    14日に松尾山を占拠した小早川軍の裏切りが明白になり、
    大谷隊が危機的状況になった為、大垣籠城の西軍主力が
    関ケ原…山中方面に陣替えしたと吉川広家は書状に
    書いています。

    9月15日早朝、決戦の火ぶたは大谷隊と東軍先遣隊との
    ぶつかりで始まり、小早川勢が後方から大谷隊を
    突いた…これが島津の記録から推測できます。

    決戦時、小早川勢は逡巡などまったくしておらず、
    決戦前には既に松尾山を下り、大谷隊の後方の
    丘に陣取り、東軍先遣隊と大谷隊がぶつかった直後、
    迷わず大谷隊を攻撃しています。

    関ケ原の戦いは、決戦というより東軍による一方的な
    西軍の追撃、殲滅戦だった様で、西軍は良い所なく、
    一方的に殲滅されています。ぶつかった瞬間に
    崩れたという記録がある程です。

    これではドラマにならないので、江戸時代に色々脚色され、
    さらに陸軍が作った関ケ原決戦の図等が事実として蔓延った為、
    一次資料が意図的に無視されている感があります。
    ゆえに小早川が意思の弱さで選択した…というのは
    誤りだと思いますよ…。初めから東軍として参戦していますし、
    家康もその戦いぶりを褒めて感状を出しています。

    追伸。
    鈴音先生の不思議授業で、いずれ関ケ原戦の詳細を書いて
    みようと思います。一次資料の根拠もなるだけ公開しますので、
    少々お待ち下さりませ。

    作者からの返信

    白狐姫と白狐隊様コメントありがとうございます<(_ _)>😊

    小早川秀秋が関ヶ原到着時にすでに調略され東軍となったという話については私もこの話を書いた時点で頭には入れていました。

    ただ、この点についてはまだ異論も残っているようなので議論の分かれる所ではないかと思います。

    一方で関ヶ原合戦時に敵味方双方に対して明確に意志表示をしていなかったという点で揺らいでいたように見えたというのはやはりあったのではないかと思います。

    この見えた、という事実をもって意志の弱さで選択したと世間に映ったというのがこの話の要点です。

    簡単に言えば上(小早川と徳川)の間で話があらかじめまとまっていたとしても世間がそう見ておらず結果としてブラブラしたと思われることがまずいという意味でここを表現しました。

    実の所いいずらいのですが、島津の場合、義弘は明らかに西軍三成側に立って戦っていましたが、戦後は徳川につくつもりがやむを得ず西軍についたと弁解しています。

    これは恐らく小早川と逆の意味で歴史が後世に伝わった例かと思います。
    今の日本に当てはめた時にこうした汚名を着ることがないようにしなければならないという意味でもこうした事実と世間との評価が誤って伝わっているという事実を知り、今後の糧としてもらえればと思いました。

    最後に蛇足ですが、家康は小早川秀秋にとても感謝していたでしょうが、一方でこうした風聞を幕府側が良しとして利用していたというのはあったと思います。

    あの、石田三成ですら水戸藩などでは忠臣説を提唱されたのに、小早川に対する風聞がこれほど悪くても今日まで続いているというのは誤りであったとしても恐ろしいことだと思います。

    結論としては今日まで続いている意思の弱さというイメージの歴史という事実という視点と捉えていただけたらと思います。

  • なるほど……
    難しいですねぇ。

    しかし戦争で、命の危険があるのは
    若い人たちなので、
    どこかの政治家のように戦争して北○領土を取り返せとか、言われても……🙄💦




    また読ませて戴きます。

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様コメントありがとうございます。

    これ難しい問題でして、孫子曰く必死は殺され必生は虜にされるといいます。

    ナチスにしても現代の○○にしても譲歩するとお替りが来るんですよね。

    もちろん戦争で○○○○を取り返せなんて言うのはナンセンスだと思います。

    そんな金と覚悟と若い人材があるなら国内の開発や投資に回すべきというのが私の意見です。

    ちなみに関ヶ原の島津の主将義弘は65歳でした。
    今の政治家と違い最前線で戦っています。
    明治のころはあの元勲伊藤博文でさえ一兵卒で戦う覚悟がありました。

    今の日本で命を懸けて守る存在があるのかとか、ホント難しい問題だと思います。

    敵が現れて邪悪な欲望をこの国に向けないことを願うのみです。
    またのお越し楽しみにしています。

  • いくら不戦を掲げたも、相手側が戦う気満々なら争いは避けられないんですよね。

    ただ日本はもう二度と戦争しないという約束をしたので、相手側がどんなに鉄砲を打ったとしても、こちらから相手側に打つということはできないでしょう。まあ、防衛のために飛んで来る鉄砲玉を打ち落とすことはしますでしょうが

    作者からの返信

    現実にそくしたコメントありがとうございます。
    かつて、第一次大戦でドイツが負けた後、軍備は縮小され、国防軍となりました。
    しかし、ナチスが政権を握り国防軍は侵略軍に変化しました。
    意外に知られていませんが、日本には国連軍の基地があります。
    そして、世界の認識では国連軍と連合軍はイコールです。
    日本がもし侵略された場合、恐らく短時間で外国を攻める軍隊を編成することになると思います。
    連合軍のアメリカ、イギリスが日本の専守防衛を許さないからです。
    でも、もし日本に吉田茂のような肝の据わった政治家が現れれば、日本の専守防衛を貫くことが出来るかもしれません。
    ちなみに中国は四方を敵に囲まれているので、日本だけを集中して攻撃するのはとても大変です。
    そう考えて、日本に手を出さないことを願っています。

  • たしかに、中立を保つには最強の軍事力がないとちょっと難しそうですね。河井継之助の例をみても。いま、世界で唯一中立を保てるのはアメリカ合衆国くらいなものでしょうか?

    作者からの返信

    貴重なコメントありがとうございます。
    河井継之助の例などは痛ましいくらい中立を守ることの厳しさと、相手に弱いととられ、攻め込まれることの悲劇を痛感させられますね。
    長岡藩の石高があと五倍あれば中立や奥羽列藩同盟と薩長との橋渡し役も可能だったかもしれませんが、ないものねだりですね。
    残念ですが、国同士の話し合いでもその国の国力が最後はものを言います。
    日本もそのことに早く気づいて欲しいとは思います。
    アメリカが中立になったら今の日本は目も当てられませんね。(白目)
    しかし、アメリカは良くも悪くもNO1を目指す国なので簡単には中国には覇権は渡さないでしょう。
    もっともいつまでも1番ではなくいずれ英国の様に没落すると思います。
    長くなりましたが、いつもご愛読いただきありがとうございます。
    これからもよろしくお願いします。