第124話 関ケ原の戦いから今を見る

読者の皆様の中には今の混沌とした世界情勢を見て(とりわけアメリカの暴動など)日本は平和でいいなあと思う方も多いと思います。

私自身もこのまま争いもなくすめばそれは望ましいと思います。


ですが、関ケ原の戦いを考慮し、前章の考察をすると日本もボーっとしていたら争いに巻き込まれる可能性が高いと考えます。

なぜそう言えるのか、これから考えていきましよう。


日本人の多くの人々が持っている理想、「争いをしない」ですがこの発想を持って関ケ原に臨んだ勢力があります。

それは「小早川秀秋」です。


彼は関ケ原の戦いの寸前までどちらにもいい顔をしようとしていました。

戦いが始まってもしばらくは戦闘に参加しませんでした。

もし、彼の望むようにおとなしくしていればことがすめば無駄な争いをせずにすんだといえるでしょう。


しかし、実際の歴史はそうではありませんでした、西軍の石田方からは何度も使者を送られてせっつかれました。

もっとひどいことに東軍の徳川家康からは鉄砲を撃ちかけられました。

中立は許さないという強い意志表現でした。


結局、戦わずにおいしいところを得ようとした小早川は東軍につき、この後戦う羽目に陥りました。


それだけではなく、関ケ原の戦いが終わったのちも石田三成の居城佐和山城攻略を命じられ、手駒の如くこき使われることになります。


さて、現代に当てはめてみましょう。

現在の日本が仮に不戦を心掛けたとしましょう。

もしアメリカなり中国なりが徳川家康の如く鉄砲を撃ちかけたら日本はどうするのでしょうか。


不戦を貫くという人もいるでしょう。

中には自らの信念、信仰、生き様のために命を捨てる覚悟を決める人もいるかもしれません。


それはとても立派で私個人としては尊敬に値する尊い生き方だと思います。

ですが、そのような信念もなく安楽な選択の結果不戦をとった人たちは目の前に鉄砲を突き付けられたらどうなるでしょうか。


馬車馬の如くみじめにこき使われ、より多くの血を流す結果になる、少なくとも関ケ原ではそのようになりました。

きれいごとを唱え平和を語るも終わってみれば裏切り者の汚名と多くの流血が残るのみというのではあまりに悲惨なことではないでしょうか。


ここでアメリカにつくか中国につくか、あるいは他の選択があるかについてはあえて論じません。

この当時の島津の動きを見るととても複雑で現代に当てはめると簡単には結論を出せないからです。


ただ、次の章で関ケ原の島津の動きを追ってみて、皆様の判断材料にしていただければと思います。

※小早川の不戦はあくまで面倒な争いに巻き込まれないという弱い信念によるもので関ケ原の前から戦闘は行っています。


また、他の大名のなかで関ケ原時点で中立だった大名や勢力の多くが取り潰しの憂き目にあっていることも触れておきたいと思います。

結論として不戦というのはとても難しいもので相当な覚悟と場合によっては犠牲を伴うものであるということです。



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