難しい問題ですねぇ……🤔💦
アメリカも戦争よりも今はコロナを
なんとかしないと……
また読ませて戴きます✨🤗✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様コメントありがとうございます。
コロナに対してどう反応するのか、コロナをまずなんとかしないと、と取るか、
それともコロナに注意を奪われないように戦争で民衆を誘導するか、昔のアメリカなら戦争を選択したような気がします。
かつて第一次大戦のときスペイン風邪が蔓延したように今回も戦争と合わせて大災厄となる可能性も。
ただ、トランプさんは意外なことに大規模戦争は嫌いなタイプのようですし次期大統領とされる人物も戦争を望むタイプには見えません。
何が起きるか分からないのでこのように書きましたが平穏であることを願っています。
またのお越しを楽しみにしています。
日本の立場から考えれば、ここは熟考が必要ですし、中国につく選択は難しいかと。
作者からの返信
貴重なご意見ありがとうございます。
当時の島津は豊臣の意向に逆らうことが出来ませんでした。
少なくとも京、大坂に在住していた義弘はそうでした。
一方で義久は中立を貫きましたが、主な理由は国元で反乱が起きていたからです。
日本がアメリカから離れるには米軍基地の問題、経済的、資本的問題、領空の問題などがあり現実的ではありません。
その点、徳川方につくことが出来なかった島津とよく似ています。
一方でアメリカは今、ニューヨークやカリフォルニアをはじめとして、国が二分しています。
もし、これが豊臣の東軍、西軍のように別れ、内戦となれば関ケ原コースです。
しかし、とりあえず挙国一致が出来るのであれば、第二次大戦のアメリカコースになります。
今の日本の選択肢は狭く、地政学的に苦しい場所にありますが情報を収集して目まぐるしく変わる世界情勢を見極めなければなりません。
長くなりましたが、アメリッシュ様の考えと私の考えは同じと言っていいと思います。
蛇足ですが、どこかの幹事長が中国の厚意の元、臓器を妻に移植され、その為に中国の言いなりになっているという噂が出ています。
冗談とは思いますが、もしそんな理由で国の行く末を決められたとしたら、目も当てられないですね。
難しい政治分野での御意見ありがとうございます。
編集済
>当時の日本人が戦争で勝つことを簡単に考えたのもこうしてみると
無理からぬことでした。
→1941年当時の日本はアメリカと戦って勝てるなどと思っていません。
国力に10倍近くの差があり、技術的に劣っている事も理解しています。
戦いを決める御前会議での一節…
【戦うも亡国、戦わざるも亡国ならば…】からもこれは読み取れます。
日本が血であがなった満州等、全ての利権をアメリカに手渡せという
ハルノートの内容をそのまま履行すると、大量の失業者が生まれ、
国家として破産する…それが当時の日本の状況でした。
アメリカはむしろ日本が戦争をしかけざるを得ない状況を作って
いたのです。
戦後の極東軍事裁判で、インドのラダビノード・パール判事が、
ハルノートについて、『こんな内容を突きつけられたら、
ネパールだって宣戦する!日本人は全員無罪!』と言ったのは
有名な話です。
戦っても亡国、戦わずも亡国ならば、あえて戦ってその魂を
後世に残す…。それが当時の日本の考えだったと思います。
作者からの返信
白狐姫と白狐隊様度々コメントありがとうございます。<(_ _)>
まず最初にお伝えしたいのはここで書いた日本は日本国民全体の空気と解釈していただけたらと思う点です。
あえて極論を言いますと、天皇陛下、東条首相、陸軍参謀総長梅津 美治郎、海軍三羽烏、総力研、その他、が米国との戦争に反対、またはそれを避けるべく努力し、戦争前から絶望的な展望を持っていたという事実があるとしても日本人全体の空気は戦争で勝つと思い生活していたのは事実かと思います。
例えば、日露戦争でも伊藤博文は一兵卒になっても戦うという絶望的な決意を持っていたと伝わっています。
そして、ご存じと思いますが日露戦争はあくまで日本のギリギリ時間切れによる判定勝ちが最大限の贔屓目で見た表現で大勝ではありませんでした。
しかし、日本国民は大勝利をしたとメディアなどから教えられ、日本は神国で決して負けないという信念を培ってきました。
これを扇動したのは他でもない政府と当時の知識人達でしたが、彼ら自身はこの戦争が薄氷の勝利だと認識していました。
そして、この認識の乖離が第二次大戦で大きな問題を起こします。
短期決戦による優位な情勢での講和という目標、つまり日清、日露での日本の必勝パターンが成り行き上不可能となりました。
ここで日本は希望を絶たれ、自らが主導権を取れない、いわば未知の敗北の道に入りこみました。
ご存じと思いますが、天皇陛下とその近臣達はかなり早い時期から敗戦による講和を模索していましたが、それは世論の動向を慎重に見ながら秘密裡に行われました。
敗戦間際の時期でさえ、天皇陛下も含め命の危険や革命を危惧して工作は秘密裡に行われています。
戦争の早期終結という結論は早めに出ていたのですが、国内世論を考えると受け入れる体制を作るのに時間をかけざるを得なかったというのが本音かと思います。
もちろん、戦艦大和の乗組員の遺書や絶望的な戦いの中で未来に希望を託した沢山の人々の記録も多く残っていますがやはり天皇陛下の玉音放送とその後の政府の声明を聞くまでは日本は負けないと思った人はかなりの数いたと思います。
長くなりましたが、歴史を見る時には当時の歴史、現代に伝わる歴史という二つの歴史があり、当時の人が正解が見えていたとしても確信は出来ず手探りで行動する。
一方では過去の勝利体験から経験として行動する、あるいは教育によって最後には奇跡で勝利すると信じる、そうした現象を踏まえて、今後どうしたらよいかをそれぞれが考える機会になればと思います。
蛇足ですが、真珠湾の奇襲によって米国民は日本を卑怯者とレッテルを張り、それが米国の戦争意欲の源泉の一つになったのは有名な歴史的事実です
。
でもその前に米国が日本の潜水艦を攻撃した事実は歴史の流れにほとんど影響しませんでした。
またご指摘のハルノートや禁輸措置についても後にあのマッカーサーですら日本の立場を擁護しましたが今でも日本の敗戦は蛮行として欧米はもちろん、最近では本来無関係の中国のある党や元併合地に批判され続けています。
良し悪し、善悪はともかくこれが今、伝わる歴史として強く影響していることを指摘してお話を閉じたいと思います。