応援コメント

第52話 伊東家と祭り之介」への応援コメント

  • いつもツィッターでお世話に成ってる五六三です。実はわたくしの先祖は、この伊東藩に使えた西都上野城の城主でした。鬼島津に城を落とされたのです(笑)。その時城主の後を追って自害した姫様の話はとてもドラマチックで泣けるので、ぜひとも大河ドラマに成ったらその話を入れて下さい。

    作者からの返信

    押見五六三様興味深いコメントありがとうございます。<(_ _)>😊
    昔は大河ドラマの主役というのは正義とか立派な人物という描写が多かったですが、最近の傾向としては味方も敵もそれぞれの立場があったという描写が多いです。

    ご提案にあるようなお話ももし私に発言権があれば賛成したいですね。
    実は後々の話を見てもらうとご理解いただけると思いますが、島津大河主役を1年やって終わりではなく、伊東、立花、大友、竜造寺、など九州の他の勢力にも大河ドラマの主役になってもらい、九州全体の活性化や歴史教育の充実を望んでます。

    それが叶えば、例え一時期悪役を仰せつかっても長い目で見れば島津ファンと島津ゆかりの地域の活性化と豊かさにつながると信じているからです。
    伊東家と島津家の間にいろいろ難しい感情の問題があると思いますが、大局的、あるいは長い目で見た判断で協力が出来たら素敵な事だと思います。

  • 歴史的な確執や先入観から、はなから対立するのではなくて、
    対等なライバル関係として協力する。
    素晴らしいですね😊

    作者からの返信

    憮然野郎様重ねてコメントをありがとうございます。<(_ _)>😊

    かなり後の戦国大名総選挙武田信玄編、および上杉謙信編でも書いたのですが、
    長野県と山梨県、そして新潟県はこの点で一定の緊張感がありながらもうまく協力しています。

    そして、大河ドラマ最盛期の時には観光などで多大な貢献がありました。
    宮崎県もそうした例に倣って長い目で見て協力してもらえたらきっと良い未来がある、そう信じています。😊

  • 歴史は繋がっていると感じた瞬間かもしれません。
    因縁のあった両家が繋がる……これはすごい事です!

    少年使節団の伊東マンショのことも知りませんでした。
    いやもう、本当に面白いです!

    作者からの返信

    森嶋 あまみ様重ねてご愛読いただきありがとうございます。
    コメントも驚きがあって私もうれしいです。

    歴史の話をすると面倒なもめごともたまにはありますが、互いに敬意と信頼が育まれればそうした問題を解決することもできる、そんな希望のお話が出来たらと思います。

  • おお、敵も味方に……😆🎶✨



    また読ませて戴きます✨😌✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもありがとうございます。
    九州勢の強みでしょうか、恨みつらみがあまりないというのはありがたいことです。

    お互いなにがあったか知った上でのことですのでとてもありがたいことですね。

    こうして、コメントを残してくださりありがとうございます。
    またのお越しをお待ちしています。

  • 伊東マンショ。たしか日南線かと思うんですけど、とある駅前に伊東マンショの像が建っているみたいですね。それで、伊東マンショが宮崎の一門の出身だということを知った記憶があります。

    作者からの返信

    あまり知られていない情報をありがとうございます。
    もしかしたら、宮崎の伊東家は知らなくても伊東マンショをご存じの方は多いかもしれませんね。
    彼も戦国時代の数奇な運命に翻弄された人物で、彼の父は島津に責められて戦死したそうです。
    その後キリシタン大名大友宗麟の元に身を寄せ、その時の縁でクリスチャンになったとか。
    こうしてみると宮崎は意外と歴史的な出来事に関わる人物がいて面白い地と言えるかもしれませんね。

  • インフルエンサー

    私、アホですね。
    ありがとうございます。
    あのお方でしたね。

    どげんしなきゃって。

    昨年、実は、あるプールであの方の元奥様とエレベーターでぶつかったことがあります。

    とても綺麗な方でした。

    作者からの返信

    いえいえ、当時はツイッターさんといろいろあったので、先方にご迷惑にならないようにわざと濁して書いていました。
    なので気づかない方が私としてもありがたいことだったのです。
    今はツイッターがなくても他の方法でメッセージは伝えられるので、ゲームの縛りプレイのつもりで楽しくやっています。
    ぶつかって分かるくらい印象深い人だったのですね。
    いつもありがとうございます。

  • 伊東家もまた、源氏でしたな。祖は将門の乱に功名があり、伊豆の伊東から日向に至っている点も、島津に近い家柄だったと思います。古き良き武者ぶりの家として、島津家と対比して描くと(義弘は地元に、祐兵は中央政界に活路を見いだしていく)、とても味のあるライバルキャラになる気がします。

    作者からの返信

    とても良くご存じの様で勉強になります。確かに足利と新田のように敵同士でありながらよく似ているまさにライバルといった感じですね。
    島津を紹介するものとして自戒を込めていいますと、島津スゲー、伊東ダセーみたいな紹介はしないように心がけています。
    最近のニュースでも静岡では徳川よりも今川の再評価が広まっていると記事にありました。
    島津の強さに隠れがちですが、伊東もまた戦国時代の宮崎に小京都を誕生させた文化的功績があり、その点では島津は及ばない点もあるかもしれません。
    南九州の戦国時代、そのいろんな側面が私も含め多くの人に知られるといいなあと思います。
    ありがとうございます。
    もし、またアイデアがありましたらよろしくお願いします。

  • 伊東家……勉強不足でしたな! 調べたいと思います。

    作者からの返信

    いつも応援ありがとうございます。私自身も勉強不足で宮崎の伊東家に詳しい方のツイッターや島津の子孫の方の文章を見つけては紹介している状態ですので詳しいことは知らないというのが正直なところです。伊東家はとても文化的な家風なようで戦国時代でなければ恐らく繁栄したのではと思います。もし、機会があればさらに伊東家についてお知らせできればと思います。

  • 若き日の島津義弘にとって、伊東家は好敵手だったでしょうね。
    結婚し子供をもうけ、日向に城を領して伊東と戦った時期は、九州全土に飛翔する前の青年時代として、魅力的に描けるんじゃないかと思います。

    作者からの返信

    ありがとうございます。とても素敵なことに島津の教えには敵に見習ったり、あるいは敵味方区別なく葬るようにといったリスペクトの精神がありますのでとても面白く書けると思います。いま、わたしのほうは手が空きませんがもしかしたらこのやり取りをみて面白そうと思う人が出てくるかもしれません。いっそ逆に伊東家の再興を小説にしても面白いと思います。もうあるかもしれませんが(笑)久里 琳さんにはいつも励まされています。良い新年のスタートをお祈り申し上げます。