おっしゃる信長論だと信長=悪の様に見えてしまいます。
何をするにせよ、この時代にに中立なんてあり得ないと思うのですが…。
信長の政策によって、今の日本は完全な
政教分離が実現できたと私は思います。
この時代の宗教勢力って、宗教+軍事力の
狂信的な集団ではないでしょうか?
当時の宗教は教えに従わない者は皆殺し的な発想
(行使するかどうかはおいて)ですから、
信長の事を悪く言える様な集団ではありません。
信長ではない、多分に妥協的な他の武将であれば、
今の日本は宗教対立を引きずっている気がします。
今の世界でも完全な政教分離が出来ている国家は
稀です。
その意味では織田信長がこの時代に存在した事、
これは日本の幸運だと思います。
作者からの返信
白狐姫と白狐隊様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊
白狐姫と白狐隊様のように感じる方がいることは自然なことかと思います。
私としては、比較的客観的資料から信長の行動をお伝えし、それと同時になぜそれを行ったかを客観的かつ当事者となったらどうかという視点で書いてきました。
もし、私が信長を悪人とするつもりなら最初の弟の戦死や最終局面での大量の親族戦死の話は入れません。
むしろこうした経緯があったという紹介と別の宗派や戦場での扱いの違いも紹介することで事後対応であることを強調しています。
今の時点で少し意外と感じるのは織田信長という単語を宗教あるいは一向宗と取り換えて私を批判するコメントがまだ来ていないことです。
むしろそちらの方からくる可能性の方が高いと思っていました。
私は一向宗や天台宗全体を極悪人と断じないようにする一方で問題点については資料を基に淡々と紹介していきました。
そちらの批判が今後来たとしても同じスタンスでお話する予定です。
なお、私が中立を意識している点、および信長のこの問題に関して悪意や恣意的な考えがないことを示す強力な証拠が一つあります。
それは、一向宗を禁止した地域があるという一文です。
もめると思いここでのみ記入しますが、それは他でもない薩摩の島津家です。
明治の廃仏棄釈と似た感じですが、島津は江戸時代も一向宗に対し全国でもトップクラスの厳しい政策を行っています。
私の小説が中立を目指しながらも島津を応援しているのは明らかだと思います。
しかし、日本には、あるいは薩摩にも一向宗は大勢います。
彼らの視点を考慮すればこのあたりの表現が限界かと私は判断しました。
最後に戦国三傑は宗教政策で多少の違いはありますが、概ね同じ流れだったかと思います。
信長はキリスト教に甘く、一向宗などに厳正、秀吉はキリスト教に厳しく、一向宗には信長よりは甘目、そして家康が信教についてある程度の生存権を認めつつ政治に対する関与に制限を加えたこと、このリレーのおかげで日本は変な宗教に過度に害されることのない比較的健全な国家となった点をこの場で確認したいと思います。
また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様ご愛読いつもありがとうございます。
<(_ _)>😊
次回のお話もどうぞよろしくお願いします。✨😄🌟🎶🌈