武田信虎は、信玄を持ち上げる為に
悪逆非道にされているだけですよ。
それを言ったら信玄も相当悪逆非道な人物です。
良く調べると、信虎という人は
大変な戦上手ですし、戦略においても
攻勢正面を限定し、非常に効率的な領土拡大策に
腐心している上に、国人衆の力を削ぐことにも
努力しています。
それが信玄の代になると、国人衆の
言いなりになり、四方八方に支離滅裂な
侵攻…要するに弱そうな相手を探して
それを叩くという近視眼的戦略になり、
領土の拡大は時間の割に上手く進んでいません。
信長の効率の良い戦略的侵攻に比べて、
信玄の戦略眼は非常に劣っています。
豊臣秀吉が信玄を評して、
【所詮、田舎大名だ】と言ったのは、
至極的を得ていると思いますよ。
作者からの返信
白狐姫と白狐隊様コメントいつもありがとうございます。<(_ _)>😊
実は白狐姫と白狐隊様のコメントはとても私にとってありがたいものでして。
理由はいくつかありますが、その中に私の頭にはあるが、文章にしない方が良いと判断した内容をこの場で書いていただいていることです。
とある架空小説の人物の言葉に正義は逆の方向にもある、みたいな表現がありますが、私も同感で、絶対というのはないと考えています。
また、歴史は程度の差こそあれ勝者が作ったものという意識もあります。
とはいえ、そのことをまともに書いたら大変なことになります。
なので、投稿するときにはこうした表現や資料、感想を書いています。
ここ最近で豊臣秀吉、武田信玄、織田信長を扱っていますが、この3人を比べるという視点で読んでいただくと私が今回いただいたコメントの見解をあまり否定していないことが読み取れると思います。
ざっくり言うと信玄はすごい、でもかなり無理をしていた、信長は信玄よりもっとすごい、そして秀吉は信長の劣化コピーでは決してない恐ろしい存在、そんな感じです。
ただ、私の目的は歴史、とりわけ戦国島津をより多くの人達に知ってもらうことなので、ここでは戦国大名総選挙やツイッターを見ている人達となるべく共感できる内容を書くことを目的としました。
言い換えれば、織田信長が武田信玄にかなり遠慮をしていた故事に倣ったような感じです。
武田信玄ファンにも読んでいただきたいと思いましたので。
下手な例えで恐縮ですが、武田の軍記物語を書いた人達と似た立ち位置だと思っていただけたらと思います。
もしよかったらこれからも教えをいただきたいと思います。
重ねてありがとうございます。<(_ _)>
編集済
わかりやすい文章に感服しながら楽しく拝読しています。
たしかに信濃は甲斐を欲しいと思わないかもです、現在も。
諏訪人にとって甲斐は東京への通過点に過ぎないので。(^_-)-☆
追記・仰せのとおり、諏訪人も甲斐が大好きです。ことに桃の花が咲く季節、特急あずさや中央道の車窓から眺める、薄桃色の森の美しさといったらありません。🌺
作者からの返信
上月くるを様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊
昔の記憶なので今は違うかもしれませんが、高速道路に乗っても山梨の景色は狭く感じ、長野に出ると開けた感じに思えます。
甲府にある産業も信玄より後に出来たものが多いような気がします。
山梨が武田信玄推しなのは、他に強烈に押せるものがないほど彼の影響が強かったからかもしれないかなと思いました。
ただ、一つ強調したいのはあくまで山梨は山が多く平野が少ないのであって、信濃と甲斐の国の優越とは関係ないということです。
それぞれの個性があることは大事かなとも思いました。😊
また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読ありがとうございます。
<(_ _)>😊
チェリーボーイ絶滅となると今の日本はかなり人口減るかもしれませんね。
毎日の投稿とても励まされます。
本作の方もこれからもよろしくお願いします。✨😊✨✨✨