テレビ放映戦国大名総選挙その32 武田信玄

武田信玄にとってある意味最大の敵となった父信虎との謀略戦、20歳をすぎたまだ若い時に決着がつきました。


信虎は隣の駿河に預かりの身となり、信玄が武田家の当主となります。

この戦いは大きな戦や内乱を引き起こすことなく成功しました。


この一事だけ見ても信玄という人物の非凡さが際立っています。

大名当主の代替わりには、ただでさえ混乱することが多く有力な家臣に実権を乗っ取られるのは当たり前の時代でした。


しかし、信玄は家臣を見事にまとめています。

どうして、うまくいったのか?

彼が魅力的な人物だったことはもちろんですが、もう一つ重要な要素があります。


それはこの交代劇の1年後に隣の国信濃の国人領主・諏訪氏を滅ぼしたことです。

つまり、国をまとめるために他所の国を攻め、しかも成果を上げる、これが彼の求心力を上げる極めて有効な手段でした。


その後も彼は信濃国を攻め続けます。

以前話した通り信玄の領地甲斐の国は貧しい土地です。

でもこれは戦国時代においてはある意味都合が良かったのです。


なぜなら、侵略しようとする勢力はゲームのように領土を広げるのが目的ではありません。


そこにある財産や土地、あるいは人そのものが欲しいという欲望と経済的打算に基づいて行動します。


甲斐の国は基本的には信濃と今川氏の治める駿河に隣接していますが、どちらも甲斐が欲しいという理由がありません。


逆に貧しい甲斐の人々から見れば信濃は魅力的であり、敵としても弱く与しやすかったので戦い、奪うという点で俄然やる気が出るというわけです。


戦国時代というのはこういう時代でした。

特に室町幕府は北条得宗家が全国支配した鎌倉幕府や後の徳川幕府と違い基盤が弱かったのです。


しかも、戦国時代に入り幕府の権威はさらに落ちました。

これは国同士が争いをした場合、仲介者や法によって処罰する存在がいないことを意味します。


簡単に言えば、警察も裁判官もいない状態です。

こうなると自分を守るのは力だけですし、相手も力を行使するしかありません。

しかも武田信玄は戦上手で家臣にも大変気を使いました。


こうして彼は勢力を拡大し、隣国を侵略することを生涯の業として引き受けることになりました。


しかし、彼が行ったのは侵略だけではありません。

その点について次の章でお話したいと思います。




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