テレビ放映戦国大名総選挙その33 武田信玄

当時戦国に生きた武田信玄にとって政治の安定は重要な要素でした。

いくら、戦争で富や人員を略奪して領民の支持を得るにせよ限度がありました。


例えば、今川義元や北条氏康といった強敵には戦をして勝つとは限りませんし、もし負けたら甲斐の心激しい家臣や領民がすぐに信玄を裏切ることになります。


なので、信玄は内政に力を入れました。

一つは農民のために堤防を作り、洪水による被害を防ぎつつ多くの田畑を広げることでした。


そして、領民全体のために法律を制定しました。

さらには山が多いというハンデを逆手に取り金山の開発を行いました。

ちなみに経済的な視点で見るとこうなります。


戦争をして、敵地から人員を集める。

鉱山に人員を導入する。


ここで取れた金などを元手に堤防や軍事費を調達する。

法律を整備して経済的な流れをスムーズにする。


戦争して人員を集める。

以下ループ。


というわけで、現代的視点で見て侵略戦争や奴隷に近いといった点はありますが、当時の感覚で考えるとかなり合理的な政策をとっていました。


そうして、強力な敵がいないと信玄が見込んだ信濃の国はあらかた武田家の領土となりました。


今風に言えば弱いものいじめという感じもしますが、戦国時代では当たり前のことでしたし、武田信玄が孫子の愛好家であることを考えると戦い、勝ちやすきを勝つのは自然な選択でした。


しかし、いつまでも弱い相手がいるわけではありません。

信濃の国を取りつくそうとした時、信濃の豪族たちは越後の上杉謙信に助けを求めて生きました。


越後は信濃と違い、上杉謙信のもとで国がほぼ一つにまとまっていました。

今までの勝ちやすい小勢力ではなく戦力的にも互角の相手と戦うことになりました。


こうして、上杉謙信との川中島の戦いが始まります。

最初の戦いは勝敗が付きませんでした。

でもこれは信玄にとっては厳しい結果でした。


なぜなら彼の国家運営は自転車操業のようなもので、一度侵略が止まると今までの予定や経済のサイクルまで狂ってしまいます。

なので、何としても上杉に勝たなければなりません。


ここで、信玄は孫子に倣いある行動にでることになります。

それは次回のお話で紹介したいと思います。







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