また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様ご愛読いつもありがとうございます。
<(_ _)>😊
次回のお話もどうぞよろしくお願いします。🌟😄✨🌟✨
あれほど強固な団結を誇っていた一向宗が、このころでは秀吉の顔色を伺っていたのですね。
なんというか、言葉がありません。
作者からの返信
雨 杜和orアメたぬき様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊
正直言いますと、この当たりのお話はそうとう奥深く、また調べ始めたら資料も多く選別も大変そうなので、まあ間違いなさそうな所を選んで簡単に紹介した感じです。
それにしても全国で存在感を発揮し、家康、謙信、信長、島津など名だたる将達を苦しめた彼らが秀吉の時代に静かになったのはすごく不思議な感じです。
信長の虐殺とかなり徹底した粛清という工程、道筋があったからこそこうなったと思えば、避けて通れない運命だったのかもしれませんね。
信長と多くの一向宗門徒たちは相性が極めて悪かった、でも顕如に関しては運と相性の関係で生き残った、私見ですがそんな感想を持ちました。
家康は上手いですよね。
西本願寺と東本願寺。
分断して統治せよ…の見本みたいです。
この両派閥、21世紀に入っても仲が悪いそうですから、
人間の業の深さを思い知らされます。
作者からの返信
白狐姫と白狐隊様大変興味深いコメントありがとうございます<(_ _)>😉
母の実家が浄土真宗なので本来私もある程度か関りがあり、お寺に行ってお話も聞いているのですが、正直ほとんど全体像などは分かりません。
もしかしたらキリスト教より知らないかも(笑)
信長時代、いや戦国時代にあれだけ暴れ回った集団が徳川時代にはすっかり静かになったのは確かに家康の見事な政治手腕によるところ大ですね。
今でも仲が悪そうなんですね。
資料を読むと確かにあのエネルギーが外敵ではなく内輪に向かったような感じはしました。
まこと、業が深い話だと思いました。
そっか、本願寺が、東本願寺と西本願寺に分かれているのは、そうゆう歴史的経緯なのですね。
作者からの返信
隠井 迅様ご愛読ありがとうございます。<(_ _)>😄
この話は奇遇にも三傑と本願寺のやり取りを説明する形になりました。
一向宗は三傑とそれぞれ政戦両略の付き合いでしたが、一番苛烈なのは表面的には信長です。
でも、一番使役したのは秀吉でした。
家康は力を削ぎつつ和平に向かう、そんな感じでしょうか。
家康の分断工作が出来たのも先の二人との因縁があったからで、それぞれの角度で相手を見るといろいろ面白いことが見つかるかもしれませんね。🍀😊