誘惑

第三十一話 誘惑(一)

 天球儀が置かれた部屋では、城の中でまだ見たことのなかった男が二人ずつ左右に並び、大臣の訪れを腰を折って迎えた。中年から老年に近い相貌で、どの者も眼光鋭く、好意のかけらもない冷えた視線をカエルムとロスに投げて寄越す。


 それとは別に、部屋の中央にも人影があった。


 蝋燭の揺らめきを映し出す神秘的な球体の横に、長身の男が感情の無い目で球面に刻印された星図を眺めていた。居並ぶ者たちと比べると年下か。しかしまったく若輩という雰囲気は無く、黙っていても厳かで風格がある。服の上からでも骨格の分かるがっしりした体躯は鍛えられた者のそれであり、琥珀色に光る長い髪は全て後ろに流され、きつく一つに束ねられている。


 二人が部屋に入ったのに気付くと、男はテハイザの紋章である北極星と帆船が刺繍された長衣を翻し、来訪者を迎えた。


「長らくお待たせしたようだ。若きシレアの皇子」


 テハイザの先代は先頃崩御し、新王も即位から間も無い。姿は外に知れずとも、年齢はまだ若いと聞いていた。ところが目の前の人物は、耳にしていた評判から想像するよりもずっと年長だと思わせる、やや太く低い声である。

 カエルムとロスは王室正式の礼を取り、城の主へ最上級の敬意を示す。その二人の所作を目にしても、相手は微動だにせず、球を前に佇むだけである。

 沈黙を破ったのはカエルムの方だった。


「陛下にはもう、私がお送りした書面と、貴国の使者に託しました言葉との両方をもって、こちらの用件はお伝えしてある通りです。先代の御世には交易の制限や国境に広がる森林の狩猟権で随分と議論も難航し、実り少ない結果に終わったようです。だが私はあまり剣呑とした水面下の闘争は好きではない」

「正面切って我が国に引け、と言いにいらしたと?」

「いえ、そういった要求では無い。むしろ双方により自由な条件で、国交の見直しが出来ないかと。互いに牽制し合いながらな緊張関係にあって益するところはない。逆に国の産業文化が促進するよう協調関係を取りながら、発展の道を試みては如何か、と」

「なるほど……言い分は聞いた」


 王は悠然と部屋の隅に置かれた椅子に座り、天球儀を示した。


「しかし貴殿もご存知の通り、今のテハイザにはこの不可解な問題が残っている。海洋国としてこの問題を解決しないことには、外交の方を進める余裕は無い。まず自国のことを片付けるべきである。一国を治める身である貴殿であれば、この考えを愚考とは言うまい?」


 氷のような王の口調は昨日の大臣と似たものがある。冷徹に退室を言い渡されるかとロスは身構えた。


「我々がこの城に居ても意味はない、したがって、貴国の問題が解決したら貴殿が改めてご寛容にも御招待くださると?」


 挑発めいた笑みを浮かべ、カエルムが問うた。それを聞いても王は憤りもせず、長衣を揺らして立ち上がると、カエルム達に背を向け窓辺に近付いた。外は闇深い夜が広がり、遠くで稲妻が光る。

 振り返りもせず発せられた言葉は高圧的で、僅かに嘲笑が混じっている。しかしその内容は意外なものだった。


「この未知の事態の成り行きを見守ってみれば心変わりすることもあるかも分からぬよ、シレアの王子。解決まで待つというのも、一つの手だ。何を生き急ぐことがある。貴殿も遠路はるばるお疲れだろう。ならば二、三日くらい、ここで羽根を休められてはいかがかな」


 王の紫がかった瞳が一瞬、カエルムの方を見て光る。


「それで何か動くか共に見ても良かろう。貴殿とあまり話す時間も余裕も残念ながらこちらには無いだろうが、歓待はさせていただこうではないか。若い時分にそうそう、政治に縛られることもあるまい」


 滔々と述べた王の口が閉じるのと同時に、カエルムの声が凛と響いた。


「御厚意には感謝致しますが、今日お話になれないならばこちらも明日までは待ちましょう。しかし先ほども大臣殿にお伝えした通り、こちらにも国での用向きが有ります。貴殿貴国の誠意に信を置きまして、明日中に、改めて。これをお断りになると仰るなら、我が国もその他の国も、当代のテハイザ国王殿下は如何なさったのかと驚嘆するところでしょう」


 振り返った王の視線をカエルムの蘇芳の瞳が捕らえる。


「もしこれすら御了承頂けないのならば、国際会議にて第三国の力を借りることになります。誉れ高い貴国がそのような場に出るとなれば、それこそ問題でしょう。よく、お考えの上で御返答なされよ」


 ******

「何ですかねあれ。年寄り染みたこと言う王様ですな。その上、歓待とはあの大臣の言動とは大違いだ」


 特にもてなしもなかった昨日とは打って変わって、広い応接室の一つで夕食をとりながらロスがこぼした。その場での冷徹な対応と矛盾して、二人の遇され方は明らかに昨日より良くなっている。今とっている食事も、美食美酒を一級の食器に食べ切れないほど盛り付けた豪華なものだ。


「もう少し若そうなのを想像していましたよ」

 ロスが酒を注ぎ足しながら付け加えた。

「さして私と歳は変わらないと聞いていたからか」

「殿下はあんな老けた王にならないでくださいね」

「……部下次第、とでも返事するか」

「聞き捨てなりませんね。こっちは殿下の心配で髪が白くなりそうなのに。まあでも、明日の会談の約束は取り付けましたし」


 さらに数日の滞在を、という王の提案は、さっさと帰れと言わんばかりのテハイザ側の当初の態度とは真逆である。それを断固たる態度で拒否したカエルムの態度には、相手もこれ以上は無駄と察知したようだった。渋々ながらの感はあれど、明日の会談を認め、二人を退出させたのだった。

「あとは明日、どう首尾よく会談を進められるか、ですか。どう運ぶと思います、殿下…………殿下?」

「……ん?」


 自分の話にカエルムが全く反応しないのに気が付き、ロスは主人を思考から呼び戻した。

「聞いてました?」

「あ、すまない。なんとなくは」

「どうかしましたか」

 カエルムが周囲に気を回すのを忘れるなど普段には無いことで、ロスの問いかけは心底から案じたものだった。それを察してか、カエルムは従者の心配を払拭するように顔の前で手を振る。

「いや、なんでも無い。ちょっと、考え事だ」

「……考えすぎるな、も、何考えてんですか、も意味がないと解っていますが、向こうがああ出てますし、今日のところは早めにお休みになっては」

「そうだな、すまない。そうするよ」


 気付けばもう、夜も相当に更けた頃だ。心配の色が浮かぶロスに努めて明るい声で答える。ロスにも今夜はよく休むよう命じ、カエルムは応接室を後にした。


 ——意図が読めないな。


 夜の城の廊下に人気は無い。見張りの存在も感じられないのは、気配を消すのが実にうまいのか、それとも本当にいないのか。


 ——狙いは何だ? しかし、あの王は……。


 まだ判然としない相手の思惑に頭を巡らせつつ、自分に充てがわれた客間のある廊に出る。すると、廊下の先にあるカエルムの部屋の中から薄明かりが漏れていた。


 ——王か、大臣か。


 そう思って扉を開けたが、彼を待っていたのは、意外な人物だった。


「カエルム様ですわね」


 蠱惑的な音が、艶めかしい唇から吐息混じりに漏れる。


 カエルムは、後ろ手に扉を閉じた。

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