偵知

第七話 偵知(一)

 スピカに先導される形で、ロスは城の通用門から外へ出た。扉を開ければすぐそこに水路がある。しかし正門のような厚い鉄扉はなく、代わりに向こうへ渡る鉄橋が架かっていた。鉄橋の両端の柵の上には、魚の彫刻が尻尾を立てて遊んでいる。


「ここから街へ行く道に繋がってるのかい?」

 慣れた様子ですたすたと前を歩いていくスピカに追いつきながら、ロスは尋ねた。

「ええ。いちいち正門を通ってたら仕事が進まないもの。荷車がいるような大きな荷物でも持っていない限り、あたし達下っ端はここを使う方が多いわ」

 スピカはどうやら快活な性格らしく、高い声でぺらぺらとよく喋った。背が低いわりに歩くのもかなりの速さで、背の高いロスでさえ早足になる。

「ここから出たら街までは割とすぐ。走って行ったらあっという間なの。抜け道もあるし」

「いいのかな、そんなことを外の国のヤツに話して。何を狙ってるかわからないぞ」

 スピカの話しやすい調子に、ロスはさっきまで苛立っていた気分も和らいで、ちょっと彼女をからかってみたくなった。スピカは足を止めずに、前に向いたままで答える。

「大丈夫よ。だってここ以外は城壁でしっかり固められちゃってるし、他にも色々と外の人を通さない仕掛けはあるもの。それに」

 くるりと首だけ振り返ったスピカは、悪戯っぽそうに口の端を上げた。

「あたしこれでも、王子様たちのことなら知ってるもん。しかも兄さんが大丈夫そう、って思ったならおにーさんとあの王子様は平気なんだと思うの!」

 前より一層明るい声は元気一杯で、今より少し幼い頃のシレアの王女を思い出させた。そのせいかもしれない。ロスの方でも、スピカに対する警戒心は大分薄れてしまっていた。横に並んで話を続ける。

「あの青年は君の兄さんなの?」

 と言っても、あまり似ていない。髪と瞳の色も、青年の方は栗色だがスピカはより黒に近い。瞳にはさらに濃紺が混じっている。——どこか、記憶の端に引っ掛かる色——やや違和感を感じたが、少なくとも口に出した疑問は、スピカの答えで氷解した。

「ううん、クルックス兄さんはあたしのほんとの兄さんじゃないよ。でもほんとの兄さんとほとんど同じだから兄さんって呼んでる」

「じゃ、君は一人っ子?」

「ふたりっ子。兄さんが一人。あたしの兄さん、今は仕事で城にいないの」


 ふっとスピカの視線が下に落ち、長い睫毛が頬に影を作った。庶民の若者世代、しかも男とあれば、専門職の修行や留学、出稼ぎなどで国外に出ることも珍しくはないが、やはり幼さゆえに妹には寂しいのだろうか。

 しかしスピカは、何かを振り切るようにすぐに勢いよく頭を上げた。

「クルックス兄さんが代わりに一緒に居てくれるし、あたしの兄さんは頭もいいし優しいし、強いからどこ行っても大丈夫なの! クルックス兄さんとは大の親友なのよ、おにーさんと王子様みたいに」

 誇らしそうに言う。そこにはつい今しがた見せた不安の色は無い。

 殿下は親友か? となかば複雑な気持ちに苦笑いしつつ、ロスはスピカに笑顔が戻ったのにほっとして、テハイザの気候や食べ物、秋に見える星の種類など、他愛もない話を続けた。


 ***


 橋を渡ってから道なりに進むと、間も無くして左右の木々が開け、スピカの言う通りすぐに街の一画に出た。坂の下から見上げると、傾斜の中、家々が段を作って立ち並ぶのがよく分かる。海の方面から射す夕焼けに照らされて、家屋の屋根がその色をさらに濃い紅に変える。首を回して振り返れば、背後に立つ城の白亜の壁やそこにはまった貝殻は、薄い橙の光を反射し、目に眩しい。

 穏やかに吹き寄せる海風がロスの髪を揺らす。湿気を含むそれは、シレアにはないものだ。

 坂の中腹辺りが繁華街よ、と小走りになるスピカを追って、緩く傾斜しながら蛇行する道を上っていく。道の左右では商店が店じまいの片付けにいそしみ、その一方で飲食店の軒先に下がったランプには次から次へと光が灯されていく。空の隅から徐々に夕闇が迫る中、あちらに、そしてこちらに、と蝋燭のあかりが数を増し、まるで街一帯が一枚の絵であるかのように、幻想的な光景が作り出されていく。


 しばらく上っていくと、民家らしき建物がなくなり、なるほど飲食店ばかりが並ぶ広い通りに出た。店と店の間には小道が通り、その奥にも小料理屋や飲み屋の看板が見える。どの店からも、魚や肉を火で炙る芳しい香りや薪の爆ぜる音、食器のぶつかる音、早々に飲み始めた客と店番の笑い合う声が漏れてくる。


「どこも悪くないけど……おススメはここかな」


 スピカが足を止めたのは、帆船の飾り看板を掛けた店の前だった。色ガラスの窓枠の向こうにランプが灯っている。開け放たれた扉から、長机や木のカウンター、そしてその向こうに調理場が見えた。

「あたしはまだお酒は飲めないけどね、兄さんたちは悪くないって言ってた。それにお料理は特別美味しいよ」

 店の中を覗いたロスは、もう既に二、三組の客がたむろしているのを確認すると、得意顔のスピカの頭をくしゃっと撫でた。

「うん、悪くない。ありがとな。俺はしばらくここで飲んでくけど、一人で帰れるか?」

「子供扱いしないでよ。だーいじょうぶですーぅ」

 スピカはさっとロスの手から自分の頭を逃し、膨れっ面をしてみせる。

「帰りはさっきの通用門を使ってね。またあたしが開けたげるから。あとね、美味しいの食べたかったらお店のお姉さんとかいつも来てるおじさんに聞くと間違いないよ」


 そう言うと、じゃね、とスピカは手を振って通りの向こうへ駆け出した。城と反対だが、いいのか……と少し怪訝に思いつつ、ロスも店の間口をくぐる。


 店の中を再度見回すと、長机に座る二組のうち一方は家族連れ。老夫婦と兄弟らしき若者だ。もう一方は恋人同士だろう。相席するにはあまり都合が良くない。却下だ。

 調理場に面した木のカウンターには、中年男性が一人でグラスを揺らしていた。身なりはそこそこで、靴は大分くたびれている。旅装としても合いそうな格好だ。椅子の背もたれには大きめの布袋。


 ロスはそこに楓の押し葉が埋め込まれた小さな木枠の飾りを認めた。シレアで商いをする者に与えられるしるしだ。


 目的が定まり、ロスは男の座るカウンター席へ近づいた。

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