第八話 偵知(二)


「ここ、いいですか」

 木の台に肘をついていた男の隣の椅子を指差し、ロスは尋ねた。男はすでにいくらか酒が入っているらしい。やや朱の差した顔を上げると、物珍しそうにロスを頭から足先まで眺め回した。

「えらいいい身なりしてるけど……兄ちゃん、旅の人かね」

「ええ、まあ。この店が美味うまいって聞いたので」

「そうかそうか、そりゃいい店教えてもらったもんだ」

 そう言って破顔すると、男は背もたれにかけた布袋をロスの反対側へ移し、椅子を引いてパンパンと座席を叩いた。

「ほれ座んな座んな。何飲む?」

「ありがとうございます。えーっと……お薦めのものを」

「オススメったって全部美味うまいわ。じゃな、おーいこの兄ちゃんに今年の新酒一杯な!」

 厨房の奥から「はーい!」と元気の良い返事が聞こえると、すぐに若い女性が出てきてロスの前に背の高い杯を置いた。

「はいっ、いらっしゃいねー。うちの酒蔵の新酒。今年は出来がいいよ」

 杯から香る葡萄の甘い香りは強く、しゅわしゅわと立ち上る泡が《ガラス》の壁に模様を作る。

「一杯目はまずこれでなくちゃな、ほら兄ちゃん」

 男は自分の杯を上げて乾杯を促す。ロスもそれを受け、カツン、と二つの杯が音を立てた。白葡萄色の液を一口含むと、ほのかな酒の刺激とともに、口の中で泡が弾ける。

「うわ、何ですかこれ、初めて飲みます」

「そうだろ、これは新酒の中でもまだ発酵途中のヤツだよ。一年のうちこの時期しか飲めないし、この葡萄品種はテハイザだけだ。兄ちゃん、運がいいな」

「へぇ、輸出とかしてないんですか」

「瓶を揺らせないからねぇ、馬車はまず避けたいね。そりゃ売りに出したら利益は上がりそうだが、輸送の時の危険性と合わせて儲かるかね。俺だったら外に出すのは他のもんにして、国に来て飲んでもらうかね」

「なかなか専門的意見ですね。もしかして商人の方ですか。ほら、その袋も、商売の帰りとか」

 上手いこと話に乗ってくれたのに安堵しながら、ロスは白々しく男の荷物を顎で指した。

「ああそうさぁ、今日はシレアに行ってきたんだが、えらい参った。早く帰る羽目になっちまって。ま、おかげで飲みに来れたんだけども」

 陽気な声を上げて男は笑う。言葉ぶりとは逆に、特に悪いとも思っていなさそうな様子だ。それはいいのだが、ロスには男の言葉に引っ掛かるものがある。

「早く帰るになった、というのは?」

「お、聞くかい、旅の人」

「ええ是非に」

 ロスは手を上げて給仕の女性を呼び止め、お任せで旬のつまみのものを、と頼んだ。一度奥に引っ込んだ女性はすぐに皿を手に戻り、二人の前にそれを置いた。

「どうぞ。珍しい話の御礼にでも。聞かせてくださいよ」

「お、これは悪いな」

 黒土を焼いた陶器の皿の上には、鮮やかな黄色の蒸し山栗に冷やし固めた羊乳の脂、鹿肉のいぶり焼き、それに銀杏と木の子が添えてある。男はまだ湯気の立つ山栗に手を伸ばし、気も良く話し始めた。

「いや、なんでもね。今日は週末だし、今週も仕事は終わりだってんで普段通りに張り切ってたんだけどな、昼も過ぎて……どのくらいだったかね、突然定刻より前に市場を閉めるって知らされてさ」

 市場を閉める? ロスは眉根を寄せた。これだけでは王女の意図がわからない。自分も銀杏をつまんで、男に先を促す。

「俺みたいに国外から店を出してるやつは、今日は全員、一旦帰れってな。まぁ明日は休みだし帰った方が損しないから、泊まってくなんてやつぁ、そんないないとは思うけど」

「なんでまた突然、そんなことになったんです? なかなか不都合でしょう」

「うん? まぁ退っ引きならない理由だったみたいだけどもさ」

「王都シューザリーンに何か起こったとか?」

「そんなことは特に耳にしなかったけどもなぁ……ああ、なんか王族のなんやかやの行事がどうのこうのとか言ってたか」

 その言葉にロスは内心、安堵した。どうやらここまで聞くところでは、時計台の停止について商人たちに露呈したわけではなさそうだ。ただ市を閉める以上、他に色々と問題がある。肉を切り分けながら、ロスはやきもきしつつ耳を傾けた。

「俺の店は市場の端っこだから、真ん中の方で報せが来たって騒いでるのはよく見えないんだよ。まぁ、なーに、正式には後からしらせが来るからってよ。今焦ったり何か言ったってどうしようもないだろ、はっはっはっ」

 だめだこの男。もう結構、出来上がってしまっている。これでは王女の策がはっきり分からない。他に少しでも様子を聞き出そうと、ロスは質問を変えた。

「でも当日その日に言われて、急に店を閉じる羽目になったら商売に影響が出ませんか? 生鮮食品とかなんて特に。損するかもしれないじゃないですか」

 普通に考えれば、勝手だ、権力濫用だと非難されても仕方のないところだ。何か見返りもなしに男がここまで機嫌がいいのは不自然だ。

「おお、それがむしろ得する方向だぞ」

 不安を感じたロスには意外な返事が返ってきた。男は酒をもう一杯と、料理を一品追加し、ロスに勧める。

「閉場の見返りっていうなら、この秋は随分と実入りが良くなりそうな見返りだ。俺達、外のもんも、豊穣祭ほうじょうのまつりに店出していいってよ」

 ——豊穣祭——シレアの秋最大の祭りだ。——なるほど——男が上機嫌でいるのも合点がいった。どうやら王女は対外的に文句無しの対応に出たようだ。国外の者に時計台の情報やシレアに対する不満がないのなら、差し当たり急を要する問題は無いだろう。じきに王女から来るだろう続報を待てばいい。

 取り敢えず用向きが済んだので、ロスも促されるままに運ばれた料理を頂戴し、酒の杯を傾けた。それなりに商人の男の世間話に付き合ったところで、すっかり打ち解けた気分の男にいとまを告げると、卓に代金を置いて店を出る。

 ——ん?

 店員が見送る声を背中に受けながら店の扉を閉じたところで、ロスはすっかり夜の空気が降りた街路の向こうに眼をやった。その正体に少しばかり驚きを覚えつつ、思わずくすりと笑みが溢れる。

 地上は民家や飲食店の蝋燭の暖かい灯りに包まれ、空には星々が瞬く下で、ロスは城の方へ足を向けた。

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