始動

第十話 始動(一)

 突然灯った階下の明かりが頭に引っ掛かり、後ろ髪を引かれながらも、カエルムは青年に急かされる形で仕方なく廊に戻った。青年は風で閉まらぬよう自分の胴で扉を押さえ、客人を中に入れるや否や、取手を強く引いて扉を閉めた。そして後ろ手に錠をかけ、大きく首を振って顔を上げると、何事もないかのように声の調子を一段高くしてカエルムに訊いた。

「まだロス様がお戻りになるには時間がありそうです。お食事が用意できるまでにもしばらくかかりそうですし、他に何か、ご覧になりたいものなどは」

 こちらの気を逸らそうとしているのが明らかだが、ここで追究しても利はないだろう。そう判断したカエルムは、どう返答するものか思案した。この袋小路のような状態で、まず見ておくべきものは何か。

 足りない情報を掻き集めて取捨選択し、一つに絞り込む。そしてもう一つ。果たしてこの青年がどのような立ち位置に立つ者か、見極める方策を巡らした。

「もちろん、拝見したいものは山ほどありますとも。しかしまさか、いま全てを見せていただくわけにもいかないでしょうし……いや、この場所へのご案内は……貴方あなたにそれを御願いしても、貴方の不都合には?」

 あやふやな問いを向けられて青年は返答に詰まったが、それも一瞬だった。

「カエルム様のお望みのものが、王の意に反さないと思われますなら」

「もし私の要求がテハイザ王にとって害たるとしたら、私は刃を向けられるのでしょうか?」

 その瞬間に、青年の瞳に光が走る。

「我が主君への忠心を誓う者として、何を憚ることがありましょう」

 爽やかで柔和そうな初めの印象からは想像し難い険しさが、青年の全身を包んだ。答えた声と眼光は鋭利な刃物のよう。そこから感じられる意思の強さは、カエルムに自身の妹と同じ年頃の城の青年を思わせた。

 カエルムは瞼を一度閉じてひと呼吸し、こちらに敵意が無いことを相手に示す。そしてそれを見た青年の瞳が和らぐのを待ってから提案した。

「歴代国王の肖像画が並ぶ部屋があったかと思います。まだ先代の御代みよの頃に父とこの国に来たことがあり、その時に見せていただいたと思うのですが……何せ子供の頃でしてね。恥ずかしながら、覚えていなくて」

 苦笑しながらカエルムが言うと、青年も先の物腰柔らかな調子に戻った。

「あの部屋ですね。殿下のお休みになられるお部屋の近くにございます。お部屋の方へ戻るにもちょうどいいですから、喜んでご案内しましょう」

 そうして青年は促すように廊の先を示した。カエルムが露台の方へ出る扉をちらと振り返ると、先ほどの闇を照らす黄味がかった光はもう見えない。階下の部屋の明かりが消されたのだろう。城の内部の正確な構造が掴めないため、何の部屋の明かりが点いたのか分からない。特に気にすることではないのかもしれない。しかし、なぜか頭に残る。

 とはいえ青年が早く参りましょう、と促すので、カエルムは大人しくその後に従った。再び二人で肩を並べて元来た道筋を戻り、先ほどの白木の扉が並ぶ廊を通り過ぎる。城が広大で通った道の全ては覚えていなかったが、しばらく歩くと壁の装飾が記憶に濃く残る場所へ出た。充てがわれた居室のある一角だ。

 青年はカエルムの客室を通り過ぎた。そしてさらに角を曲がって三つ目の扉の前で止まり、金の嵌め込まれた重い扉を開くと、どうぞ、とカエルムを中へ通した。

 そこは縦に長い間であった。最も奥まった柱の天井近くに、帆船と南十字星の星座を合わせたテハイザ王家の紋章がかけられている。そして装飾の一切ない砂のような白壁一面に、細い金縁の額に入った肖像画が並んでいた。

 部屋の中に家具は何もない。何十もの顔が、部屋に入った者を見るのみ。

 歴代の主君らの面持ちはそれぞれ異なり、とりわけ眼光に各々の性格の違いがうかがえる。それらを克明に描き分ける絵師の技量は見事としか言いようがない。しかしながら、血筋であろう。星の輝きのような明るい金髪と海の深さを思わせる濃紺の瞳の色は一様だった。そして身にまとう衣装は皆、カエルムの記憶にもある礼装。珊瑚礁の海と同じ碧地に玉虫色に光る貝と同じ美しい色彩の装飾が施された長衣。

 年代ごとに並ぶ主君達の一番端に、見覚えのある顔を見つけた。

「ああ、思い出しました。あちらが先代の陛下でしたね」

「ええ、先頃崩御なされ、この部屋に並ぶところとなりました」

 肖像画の列は先王が最後で、その隣の壁は空白だ。

「現王の肖像画はこの部屋には入らないことになっております。ここは歴史を記録し、回顧する場所ですから」

「なるほど」

 ひと通りの顔を確認したカエルムは、青年に礼を言って部屋を辞した。正直なところ他にも気にかかる場所——先の水面を含めて——はあったのだが、自室の近くまで来てしまった以上、何か理由をつけて再び広い城内へ繰り出すのも難しかった。そして直感的に、青年を連れまわすことが彼の身にとってあまり良くはないのではないか、という気がしたのだ。

「もうこの辺で今日は休ませていただきます。我儘にお付き合いいただき、御礼申し上げます」

 自室の扉まで来たところでそう申し出て、青年に就寝の挨拶を述べる。

 部屋に入りしばらくすると女官が食事を運んできたが、感情なく挨拶を述べて卓に食事の準備をすると、こちらから何か話を切り出す隙も見せず、すぐに辞していった。

 時間が経つほど、城の中に静けさが満ちていく感覚に包まれる。その静寂は、自分達と語ろうとしないテハイザ王とその廷臣に重なった。

 窓の外、深まった闇の中に線のごとく光る月を眺めつつ考えをめぐらせていたところ、大手を挙げては歓迎できない情報を手にロスが帰ってきた頃には、もう夜もかなり更けていた。

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