第十一話 始動(ニ)

 扉を軽く叩いて返事も待たずに入ってきたロスは、入り口から一番近い布張りの椅子に音を立てて腰を降ろし、さも疲れたように膝に肘をついて頭をその手の上に預けた。

「どうだった」

 行ってきたんだろう、とカエルムが向き直って尋ねると、ロスは頭を上げ、口の端だけ笑みの形にする。

「なかなか美味かったですよ、鹿の炙りとか。山栗とか。秋ですね」

「何だ、魚介じゃないのか」

「いや、魚介もありました。特に出始めの牡蠣がそのまま何もつけずなのに絶品。新鮮度合いが違いますよね。シレアには薫製しか入ってこないし」

「さすが海洋国だな。解けない氷でもあれば輸入も出来るが、無理か。そんなものがあったら、うちのあの料理長が歓喜しそうなのに」

「あ、それは見たい。あの親爺の渋面が笑うのは見てみたい。うん、食べ物もなかなかでしたけど、しかもそれらが今年出来た樽からの地酒に絶妙に合う。今まで飲んだことのない珍しい発泡酒でしたよ」

「ああ、それはありがとう」

「は?」

 掌を上にして出された手に、ロスは心底、怪訝な顔をした。その呆けた表情に、カエルムは口を尖らす。

「なんだ、土産に持ってきてくれたんじゃないのか」

 ずるいな、一人だけ、と真顔で言われて、ロスはカエルムが座っている椅子の横の円卓に置かれた酒杯を指差して抗議した。

「最高級の酒と食事を前におっしゃる人間の台詞じゃないですね」

「街中で賑やかに歓談しながら飲む酒の数倍不味まずい」

「だからって普段、軽々しく夜遊びしないでください」

 ロスは一国を統べる身である主人の常日頃の行いをここぞとばかりに指摘するが、カエルムはそれは聞かなかったことにして空の杯に酒を注ぎ、ロスに手渡した。軽く礼を述べてロスが受け取ると、酒が揺れる杯の端に自分のそれをぶつける。

「ともあれ、ロスが街の方に行ってくれて助かったよ。帰りもまた通用門から入ったのだろう? 先の娘が開けたのだと思うが」

 言葉を切ると、カエルムは眼を細めた。

「——で、あの娘は」

 果たして信頼に足りそうな人物なのか。

「ええ、城に着いたと同時にすぐに中に入れてくれましたよ」

「街でお前と別れて、彼女はすぐに戻ったということか」

 そうカエルムが言うと、ロスは口元に手を当てて、笑い混じりに答える。

「なかなか、先の不安な娘さんですね。でも隠れんぼはどうも苦手なようだ」

 カエルムは眼を丸くした。

「店の外にずっと張っていたのか」

「いや、ずっとではないですよ。確かに一度離れました。でもねぇ……帰り道は……」

 そこでさも耐えられないと、小さく吹き出す。

「向こうは気付かれてないつもりでしたけどね。まだまだ甘いな。でも末にはどうなるか。うちの姫様に似てますよ」

「それは将来有望だな」

 笑いをこらえようとして堪えられないロスの様子にカエルムも安堵する。この話しぶりからすれば、スピカにも邪心は無さそう、ということだ。あの青年と同じように。

 飴色に光る酒杯を傾け、一口、喉を潤すと、カエルムは冗談を終えて居を正した。

「それで、肝心の件は」

 その問いに、ロスも真顔に戻る。

「最悪の事態は免れたようです。鐘楼の時計については漏れていないと見ていいでしょう」

「事の次第は」

「店で聞いた商人の話です。さっきシレアから帰ったらしい」

 ロスは商人から聞いた話を繰り返した。いつも通りの商いの最中さなか、まだ市場閉場の時間になる前に突然閉場を申し渡されたこと。加えて外国人の逗留は無いよう、帰国を促されたということ。

「では、国に国外者は残っていないはず、ということか」

「そのようです。ですから時計台のことに気付かれる危険も防がれました。市門の名簿で全員が出たか確認も怠りないでしょう」

「して、閉場の理由付けは」

 当然の質問に、ロスは肩を竦めた。

「参ったことに、その商人の店は市の端でよく分からなかったとか。しらせを確認してくれてたら良かったんですけどね。店じまいしたらさっさと帰ってきてしまったみたいです」

「そうか……妹からの続報を待つしかないな。しかし然るべき理由を出したとしても、そんな急な閉場ではその商人も憤慨していたのではないか」

 眉根を寄せるカエルムに、いやいや、とロスは掌を左右に振る。

「姫様、良策を出しましたよ。豊穣祭ほうじょうのまつりへの出店許可です」

 豊穣祭は、一年に一度、収穫を感謝し、新たな季節の巡りを祈って行なわれるシレア一番の盛大な祭りである。商人はここぞとばかりに自慢の品、秋の名品を売り出す。ただし、その規模の大きさと常にない売上高ゆえ、国外の珍品を持ち込める他国の商人が、過剰な利上げで自国利益を脅かす危険性があった。そのため豊穣祭だけは例外的に、国内商人のみが出店可能となっている。

 それを国外商人も可、とすれば、市場臨時閉場を埋め合わせるだけの利益収入が見込める。

「なるほど。さすが妹、いい手を打つ。豊穣祭の利上げを考えれば、一回だけ他国の商人が出店したところでシレアが傾くほど経済的打撃を受けるわけでもないな」

「はい。今年は即位式で祝祭も増えますから、挽回も容易でしょう」

「妹に国を任せて出られるのは恵まれているよ。下手に年齢だけ重ねた政治家よりもよっぽど頭が回る」

 カエルムは眼を細めて笑みをこぼした。ロスも頷いてその意見に同意するが、ただ……と頭を掻きながら口を濁す。

「万事解決というわけでもなく……少しよろしくない状況です」

「簡潔に言うと?」

「何が何でも三日後までには帰る必要があります」

 その数字を耳にし、カエルムは斜めにしていた姿勢をロスの方へ向けて正面に直した。ロスも背筋を正し、先を続ける。

「商人が話すには、閉場は今日の夕方から、明日明後日の休場を跨いで休み明け一日目まで。その翌日には仕事再開と言っていましたからね。そして閉場の理由です。はっきりはしていないですが、『王族の何やかやの行事』だというから」

「つまり、早急に私もシレアにいる必要が生じた、ということか」

「その可能性が高いでしょう」

 無骨な掌に顔を埋めると、ロスは聞こえるくらい大きな溜息を吐いた。

「こっちの面会の雲行きが面倒臭いことになってる時にシレアでも問題とは参りましたよ……」

「十中八九、その日程はこちらの旅程を計算しての判断だ。妥当と言うところだろう」

 もともと、カエルムの外遊はこの連休にテハイザ王との謁見を終えて帰国という日程だった。それをも汲んで、王女は閉場期間を設定したのだろう。主君が全く動揺を見せないのを感じて、ロスは控えめに抗議する。

「冷静に仰いますけど、それはあくまでも予定通り謁見が進んでの話でしょう。今はそうじゃない。おかげでさっさかテハイザここの問題を済ませて帰らなきゃいけなくなったわけです」

「いいじゃないか、自分は街で楽しく一杯やってきたんだし。私なんて一人酒だぞ?」

 あんたが行けって言ったんだろ、そういう問題か、そう相手が口を開きかけたところで、カエルムは眼の光を鋭くして続けた。

「明日、何とか動きを掴まなければな。妹の手紙ももう一度来るだろう。今日のところはここまでだ」

 窓の外の闇夜を見やると、漆黒の中に細く光る月が刃のように鋭い。波の音が静か過ぎて、異常など何もないかのようだ。

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