凶兆
第二十八話 凶兆(一)
カエルムは本を閉じ、無言のまま蘇芳色の瞳で表紙を見つめた。まだ確認せねばならないことがいくつかある。一つはロスの報告だが、それを待つ間に自分の方で見ておくべきものの目星はついた。
「ご覧になりたいところは終わりましたか。何か別の本を出しましょうか」
こちらの仕草に気が付いたのか、クルックスが自分の読んでいた書から顔を上げた。
「いえ、もう十分です。欲を言えばこの書庫全ての本を読みたいくらいですが、差し当たり興味のあるものは読めた気がします」
もともと並んでいたところはどこかと、カエルムが『国事史』を手に本棚の方へ足を向ける。するとクルックスがすぐに立ち上がってカエルムの手から書を受け取った。そのまま本棚に立て掛けられた梯子を昇り、迷うことなく上段へ手を伸ばす。段の一部に空間が空いて書物が斜めになっており、クルックスはそれらの間に『国事史』を押し込んだ。
動作の一部始終を見ていたカエルムは、クルックスが降りてくるのを待って口を開いた。
「もう一つ、お願いがあるのですが」
「何でしょうか?」
「昨日見せていただいた、歴代の王の肖像画の部屋をもう一度見せていただいてもよろしいですか」
予想外の依頼だったのだろう。クルックスは疑問の浮かぶ眼でカエルムを見返した。当然の反応だ。想定はしていた。カエルムは表向き他意なく聞こえるよう朗らかに理由を述べる。
「歴史書や伝説を読んでいたら昔の王のことも書いてあったでしょう。改めて、どの王かなと気になりまして」
「ああ」
表情を緩めたところを見ると、クルックスの疑念は氷解したようだ。閲覧用の照明や綿入れを片付けながら、快く客人の頼みを受け容れる。
「もちろん構いませんよ。カエルム様のお部屋の近くでもありますし、お戻りになるのもちょうど良いでしょう」
窓の外で嵐の風が吹き荒れ、城に打ち付ける。
***
肖像画の部屋には窓が無い。昼間であっても扉を開ければ中は暗闇であり、廊下の明かりだけが入り口の床を僅かに白くするだけで、奥の壁は認識できない。そのため、入り口の側には常に燭台が置かれているらしい。クルックスは火のついた廊下の燭台を取ってくると、部屋の扉の傍にあった燭台に火をつけ、それを片手に部屋の中へカエルムを先導した。
「今、他のもつけます」
部屋の四隅に立つ燭台に手早く炎を移す。すると四方の壁が色を取り戻し、並んだ顔が照らし出された。
歴代の王たち。皆同じ碧地の装束に身を包み、玉虫色に変わる装飾が衣を飾る。そしてそれぞれの表情は様々なのに対し、皆に一様な濃紺の瞳と金の髪。
昨晩も見たものであり、まさか変わったりはしていない。ただ、今カエルムが見ているのは全く別のところ、肖像画の下方、額縁すれすれのところだった。
こうした類の絵には珍しく、どの王も必ず片手が描かれている。そしてそこに握り締められているものは、全ての絵に共通なのだ。
「また、質問をしても?」
「はい? 自分にわかることであれば」
「王が皆、手に持っているものは何です?」
カエルムは一番近い壁にある三代目の王の手元を指差した。その手には、細長く指の大きさほどしかない棒のようなものが握られている。鉄色のそれを、肖像画の全ての王が握っているのだ。
「あれ、ですか」
クルックスは見上げた頭をぐるりと回し、カエルムに向き直った。
「神器、です。僕も実物は遠目でしか見たことがありません」
「神器?」
シレアにも神器はある。祭の時に用いる鈴と鼓で、不思議なことに王族しか触ることのできないものだ。ただシレアの神器の用途は目にも確かであるのに対し、テハイザ王の手にするものはただの鉄片にしか見えない。
カエルムの疑問を察してか、クルックスは苦笑した。
「ついこの前に初めて見ました。即位式の時にしか公には出されませんので。聞いた話によると、滑らかで割と軽めの石だとか」
「石?」
「ええ」
先代の肖像画の方を向き、青年は目を細めた。
「『古来より国を定めし、船乗りを支え、子孫へと伝わる国の宝を拝領して新たな王の誕生とする』」
遠くを見つめるように、クルックスが詠唱した。
「
「そうですか」
カエルムは四方の壁を見回し、再度王の相貌、そして神器を網膜に焼き付ける。それらが頭の中で確かな像として固まってから、クルックスに満足を告げて部屋を出た。
燭台の火が消えた廊下は、そろそろ肌寒くなってきた。太陽が出ていれば日没の頃か。
朝と比べ薄暗くなった中、クルックスの案内に導かれながら部屋へ向かう途中のことだった。血相を変えたロスと出くわしたのは。
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