思惑

第十三話 思惑(一)

 カエルムが差し出した書状を受け取ると、スピカはもう二歩、カエルムに近づき、少し声の大きさを落として囁いた。

「安心して大丈夫。決まりだから開けてはいないです。夜のうちについていたみたい。朝、大きな鳥がいるのに気がつきました。多分向こうを飛んだのは夕方だと思うの」

 よく訓練された伝書鳩なら、鷹をも超えるかなりの速度で飛べる。だがシレアの鳩は残念ながらそこまで高速の飛翔を誇るほどではなく、速度を競わせたら鷹の方が上になる。妹王女から自分宛ての書状にも鷹を使ったか。

 カエルムは紅葉色の紐が完全に隠れるようにして書状を懐へしまうと、スピカに礼を言った。

「ありがとうございます。貴女あなたが受け取ってくださったのは助かりました」

「そうかもしれないですね」

 スピカはあっさりと肯定した。そして少し目を泳がせてから瞬きを繰り返し、これまでカエルムが見てきた彼女には似合わず、そろそろと口を開く。

「……王子様、あたしみたいな身分相手に、そんなに丁寧にならなくても……いいですよ?」

 遠慮がちに上目遣いでカエルムを見ると、スピカはぽつりと呟いた。居心地悪そうに小さな身体を揺らす様子が微笑ましく、こちらの張り詰めた気持ちも癒される。カエルムはその目の高さが自分と平行になるように腰を落とし、まっすぐにスピカの目を見て説明する。

「何かの巡り合わせで私はシレアでは王の子です。それでも、他の国民と同じように私もシレアの一国民です。国の責を負い国を守るという仕事をしておりますが、それはなにも私だけではない。城にいる官吏も国防団も皆、同じようにシレアを守っている者です。それに実際に国を成り立たせているのは、城の外、国の中で、ひょっとすれば国の外で、農工商に携わっている人達です」

 カエルムは、幼少の頃より父と母から事あるごとに聞かされた言葉を繰り返した。王族といえども、他の民より上位にいると思うのは誤りだ。おごりは民の信頼を損ない、やがて国を傾ける。果たさねばならぬ責務で心に留めておかなければならないことは、それとは別だ。

「まぁ、そうは言ってもシレアでは国を統率し、国を代表するという立場にあり、それはある意味では、他の者とは別格です。このことはどちらが偉いとかいう問題ではないけれど、上に立つ者がいるという秩序があってこそうまくいくこともある」

 じっと目を動かさずにこちらの瞳を見つめて聞き入るスピカに、カエルムも目線を離さず続けた。

「でも私はテハイザ国の王子ではありません。テハイザ国の方々の上に立つ者ではない。だから、貴女とも対等ですよ」

 真面目な顔をした少女に、にこりと微笑みかける。頭を撫でたりはしない。彼女は歳下ではあれ、対等なのだから。

 スピカは唇を一文字に引き結び、カエルムが言葉を切ってもしばらくじっと見つめたまま動かなかった。しかしやがて、「じゃあ」と遠慮がちに口を開く。

「あたしがお願いしたら、『スピカ』って呼んでくれますか?」

「それはもちろん。スピカ」

 カエルムがすぐに了承すると、スピカは頬を紅潮させた。そして俯き加減になり、ぱたぱた前掛けの裾を掴んで振る。

「じゃあじゃあ、あたし行きます。王子様も早く戻んないと、みんな起き出すから」

「仕方ないですね、部屋で大人しくしてましょうか。それではスピカ、また」

 スピカの横を通り過ぎ、さっき歩いてきた廊下を戻る。廊は長く、床を打つ靴音が同じ空間にしばらく響き続けた。

 カエルムが角を曲がって見えなくなるまで、スピカは同じところから一歩も離れず、静かに見張っていた。

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