第二十話 伝承(二)

「ああ、ここが起源だったのか」

 無言で書を読み込んでいたカエルムが急に独り言を発したので、スピカが取り出した方の書を眺めていたロスが顔を上げる。

「何です?」

「暦の発祥だよ。『月海暦げっかいれき』の始まりだ。この暦をどこで誰が言い出したかなどシレアの歴史書には無かったのだが、テハイザが定めたものだったらしい」

 「月海暦」とは、今の時代まで続いている暦だ。国を跨いで使われている標準暦であり、大体のところ月の満ち欠けの一回りに対応している。少し先まで文を斜め読みすると、潮の満ち引きにも則しているらしい。内陸のシレアでは分からなかったことだ。

「あ、だから『海』が入ってるんですね、暦名に」

「そんな基本的なことも入れてないとは、シレアにある歴史書も杜撰ずさんなところがあるな」

 もっともテハイザが外に出していなければ伝わらないし、歴史研究は諸外国でもあまり進んでいない。落ち着いたら書物の貸借もテハイザ王に持ち掛けないと、とカエルムは事案として頭の隅に留める。

「でも天球儀がどう作られたか、いつ作られたかとかは書いてないんですね」

「あ、ええ。不思議なものだと思いますけど。言い伝えでは昔のすごく頭の良い学者が作ったとも言います。でも、本当のところはよくわかりません。自分も読んだこともないです」

 カエルムが読み進めるのを見ていたクルックスが、困惑気味に答えた。急に話を振られた返答として考えると、内容に嘘はないだろう。また存在が初めて出てきたくだんの文章の前後を探してみても、天球儀そのものの起源に関する記録は無かった——シレアにある時計台と同じだ。国の神秘として守られ、崇敬の対象たる宝がどちらの国でもいつの間にか存在し、現在に至るとは。

「まるで天からの贈り物さながらですか。天球儀だし」

 こちらはスピカに横から覗き込まれながらぱらぱらと流し読みしているロスが、視線を書に落としたまま口を挟んだ。

「そっちは? 何か、面白い話はあるか?」

「どれもこれも面白いと思います。あたしはね」

 さっきの言葉からすれば『古伝万象譚』は何度も読んでいるのだろうが、スピカはそれでも食い入るように挿絵に魅入っている。そんな彼女の方へ絵が見やすいよう、ロスは書を傾けた。

「確かにどれも御伽噺としてはかなり面白いですよ。失礼ながら信憑性はともかく。興味深いと言ったら……んー、あれかな。昔の王の逸話とかですかね」

「どんなものがある?」

「そうですね、よくありがちな話では、民のために法を作ったとか、土地の割り当てとか、そういった類のことが善政として、子供にも分かりやすい形で書いてあります。あとは、やっぱり海洋国ならではの話が面白いです」

「船乗りの生活はこちらにもあるな」

 カエルムが読んでいる『国事史』の方には、海の大しけから漁業への影響、新たな航路の開拓、海産物の新種など、ざっと見た限りでは割と実務的なことが多い。そのたびに天球儀も合わせて使って暦との関係を記録しているようだが、特にこれといって注目される記述もない。

 ロスが読んでいる方は、厳密に国政と関わるものではない。他愛のない、しかし重要な話がある可能性も高い。

「どんな話なんだ」

 カエルムの質問に、またもロスより先に口を開いたのはスピカだった。

「テハイザの船乗りたちが絶対に海の道を迷わないお話よ」

 ぱっと大きな目を輝かせて背筋を伸ばし、スピカは凛と言葉を響かせる。

「『国の主』」

「『南の十字に向き合いて、石を投ず。子孫続く拠り所とせんと、己が立つ地を定めん』」

 スピカの発語を受けたのはクルックスである。文字の中に行ったり来たりさせていたロスの視線が、あるところに止まる。指で辿りながら、ロスは綴られた文章を読み上げた。

「『陽は海の際より出でて、月の訪れに従い、海の中へ沈みゆく。星の道筋を辿り、王、海に天の十字を尋ぬ。その交わりの元に国の都。船乗りよ、そこへ還れ』」

 スピカとクルックス、そしてロスの声が重なる。

「『陽の光、消えても案ずることなかれ。己の目のまやかしに惑うなかれ。は消して滅することなし。失ったと思うは瞳の見せる偽りなり。月の光、出でて海を照らせ。水の煌めきを目指せ。船乗りよ、其処に祖国あり』」

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