第三十話 凶兆(三)

「参ったな」

「全く参っているようには見えませんけど」


 主人が座したのに倣って、ロスも円卓を挟んで向かいの椅子に腰掛ける。


「これでも驚いて困っているのだが」

「もう少し表情とか仕草とかに出してもらわないと、面白味がありませんね。滅多に見られない殿下を目にするかと期待したのに」


 口から出している言葉に反して、ロスの語調には咎める含みはない。ただ皮肉めいた気色がある。


「ロス、まだ自棄ヤケになるなよ……ならないか、ロスなら」

「どーも。殿下と比べて相当驚きましたけどね」


 からかいの混じった笑いを浮かべて答えると、ロスは椅子の背に力無く身体を預け、天井を見上げた。昨日は窓から射し込む光で天井画の雲も夕焼け色に染まっていたが、今日の曇天ではいよいよ部屋の中は薄暗く、頭上の静止した渡鳥の羽根の陰影もずっと濃く見える。もう、日が落ちたか。

 カエルムは寝台脇の机から燭台を持ってくると、円卓の上に置いた。頭上の雲が下からの蝋燭のを受けてわずかに黄色を帯びる。


「明日、なるべく早くに帰国に漕ぎ着ける。それしかないだろうな」

「交渉を優先すると?」

「もしここに来ている以外の大事が国に無ければ。妹と大臣の采配なら大きな心配はまだ無い。これが、国民の間に不可解な流行病はやりやまいが起こっただとか、暴動だとか、人命に関わる問題だったら今にでも帰る」


 ロスを直視して、カエルムはきっぱりと言い放った。両者ともにひたと瞳を動かさずに静止したまま、数秒が過ぎた。静寂の中に、外で荒れ狂う嵐の咆哮だけが聞こえる。


「とはいえ」

 表情を緩ませ、カエルムは円卓に腕を伸ばして、手遊てすさびに燭台の銀製の脚を軽く指で弾いた。カエルムの指輪が軽く当たり、カツンと小さな音を立てる。


「さすがに妹から夜にもう一通でも来たら、即、帰るだろうな。しかし今は帰れない。これだけ相手に交渉をするよう押していた後では、今帰ると言ったら国の非常事態を明かすようなものだ」

「ああ、ましてや姫様の手紙が来た直後ですしね」

 卓上に置かれた書状に目をやり、ロスが同意した。書に押された大事を示す印章はシレアの城の中でも僅かの者達しかその意味を知らないが、書簡を受け取って即座に帰国を申し出れば怪しまれるのは目に見えている。

「そういうことだ。それと……国の異常が帰国後もしばらく続くようなら、それこそテハイザに対してはあらかじめ何らかの対策を取っておきたい。こちらが余裕のない時に面倒を持ち込んで欲しくないからな」

 そこまで話すと、カエルムは何とは無しに書状をなぞっていた指を止めて紙を巻き直し、器用に組紐を結び直した。


「そちらはどうだった。城の内部の様子は」


 肘をついていたロスは姿勢をカエルムの方へ正面向きに正した。


「大体の構造は掴めたと思います。南北に棟が二つ。いま我々がいるところ、天球儀のあるところが南で海向き、書庫は北ですね。階層の数は把握し切れていませんが、恐らく四階層はあるかと」

「両者の間の移動は、書庫に行く時に通った渡り廊下だけ?」

「いえ、低層に一つ。殺風景な渡り廊下ですね。さっき通ったのとは別で、両端以外の開口部は無しです」


 比較的、高階層にあるこの居室から案内されて書庫に行く時には、円窓まるまどが並んだ渡り廊下を通った。廊下の両側に街の方を望み、晴れていたらさぞ眺めが美しいだろうと思う。スピカに連れられて行った渡り廊下は、明かり取りの窓一つない空間だった。


「そこを渡ってから、南棟の方を上階へ。階段は複数でしょうね。内部の廊下の曲がり方から考えると、いくつかの廊下の突き当たりにある複数の部屋が内部で繋がってるかも」

 ロスは円卓の上に城の構造図を指で引きながら話を続ける。その動きを追い、カエルムも頭の中に地図を描いていった。上階へ上がる道筋や内部装飾の説明をする中で、ふとロスの手が止まる。


「そう言えば」

「ん?」

「面白いものを見ましたよ。この貝やら石やらの多い城の中で」

「木の扉か」

 即座の返答に、ロスはなんだ、と残念そうに呟いた。

「もうご覧になっていましたか。まっさらな白木。シレアうちにあるような」

「場所としては、露台の近くじゃないか」

 ロスの指が置かれた少し脇をトントン、と叩きながら、カエルムは念を押した。

「そうですね。正確な位置は言えませんけれど。そんなに離れてはいません。それで、露台が天球儀のある部屋の真下に当たります」

「台の上から、妙な水面の区画は」

「確認しろって言ったのはあれですね、やっぱり」

 自分も疑問に思っていたところを先に言われて、ロスは合点がいったと頷いた。見て来た通り、水面と城の無理のない構造、築城時にあったと予想されることなどを出来るだけ仔細に報告する。

 そしてスピカに聞いた、夜に光るというその不可思議な性質まで話が進んだ時、黙って聞いていたカエルムが言葉を挟んだ。

「今は、どうだった?」

「どうって、光も何もありませんでしたよ。もし光っていたとしてもこの天候です。どのみちわからない可能性が高いですけれど、ええ、確かに水面は暗かった。それに、さっきも少し触れましたが、水面がこの嵐の中で波一つ立てていないのも妙です」

「夜に光り、昼間には消えている、一定不変の水面か……」

 カエルムは俯きがちになり、考えに沈んだ。

「……何だか闇夜の月みたいですね」

 お手上げ、とロスは片手を上げて肩を竦めてから、椅子の背もたれに脱力した。その仕草に反応するでもなく、カエルムはしばし黙考していたが、やがて呟くように言った。

「月、というよりむしろ、夜の太陽、じゃないか」

「はい?」

 疑問露わな返答に、カエルムは笑いとも何とも言い難い困った顔をした。

「いや、月は夜の間に空にあるし、なんなら昼間も見えるだろう。でも太陽はどこに行くのか、とか思っただけだ」

「まぁ、それは今の学知では答えが出てないでしょうよ」

 ロスも主人の神話伝承のような話に、目元を緩める。

「ただ気にはなるな、その水面の状態が。シレアの時計台と天球儀に異変、そして不変のはずの地下水にも異常、となれば」

「次は、テハイザの水面だと?」

「分からない。ただの勘だ」

「殿下の勘は、当たるから嫌ですね」

 従者の軽口に、カエルムも微笑して返し、すぐに再び顔を引き締める。

「まだ妄想の域を出ないさ。少なくとも、今のところ我々がどう動くか決めるには、テハイザの出方を待つしかない。いつまでも我々をこうさせてはおかないだろうよ」



 その後、互いにあらかたの情報を交換し合ううちに、窓の外に明るさが絶え、夜の訪れを知らせた。壁を彩る燭台の灯りが昼よりも強くなる。そろそろ夕餉の時刻あたりだろうかと、そんな他愛もない話に入った頃だった。


 カエルムの勘は、半ば当たった。

 部屋の扉を入ってきたのは、クルックスでもスピカでもなく、大臣自らだった。


「カエルム王子殿下、我が主君、テハイザ王がお呼びです」

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