第三十八話 抜刀(二)

 剣のぶつかる音が空気を震撼させ、硝子ガラスが小刻みに鳴った。その音が鼓膜を支配すると同時に、眼の前に影が射す。

 剣戟を受けるはずのカエルムの身体と背中合わせの形で立ち塞がった大男が、他の二人の振り下ろした剣を止めていた。


「殿下、今です! 行ってください!!」


 対峙する官吏の動きを封じながら、カエルムの頭の上から大声で叫んだのは近衛師団長だった。それを合図に、カエルムは三人の動きに一瞬気を取られた偽の王の剣をその手から打ち落とす。それによって近衛師団長が背後から攻撃されるのを防ぐと、彼の脇をすり抜けて間口の方へ駆けた。


「ロス、出ろ!」


 扉の横で、先とは別の二人の攻撃に応じようと構えていたロスは、剣を大きく一振りして相手の眼を惑わせると、そのまま踵を返して廊下へ飛び出した。剣の軌跡に身を引いた男達の間、ロスが用意した道を、カエルムが走り抜ける。

 素早く体勢を立て直し二人の後を追おうとした者に、クルックスが体当たりした。よろめき倒れた相手が立ち上がる前にクルックスが腰の剣を抜いたのを確認しながら、カエルムも部屋の外に出る。


「王のところに向かうぞ」


 ロスに追いついてもカエルムはなお足を緩めず、むしろ加速して床を蹴った。


「例のあそこですか」

「そうだ」


 二人は昨日の晩に確認した経路を頭の中に描き、最上階南端から下層へ降りる最も近い階段を迷いなく目指す。手摺りに手を掛け螺旋階段を滑るように一階層くだり、一つ東の区画へ。そこに目的のものがある。


 石ばかりの城の中で、異彩を放つ白木の扉。


 疾走してきた足の速度を緩めながら、カエルムは扉に近づき右手を前に出す。身体が触れるぎりぎりのところで足を止め、滑らかな木の表面にそっと触れた。


「どうやって開けるんです、これ」


 ロスが近づいて扉を押すが、普通なら板が指に返す物理的抵抗すら感じられない。押すのではなく引いてみようにも取手はなく、また引き戸の造りをしているようにも見えない。光を発していると見まごうほどに真っ白な表面には美しい木目が流線を描くのみである。しかも留め具はおろか、周りを取り囲む壁との境には隙間と呼べるほどの間もなく、一本の線が引かれているとしか見えない。


 間もなく追っ手が降りてくるだろう。早く手を打たねば。どこをどうすれば開くのか全く検討の付かないまっさらな扉を前に、ロスは焦りを感じながらカエルムに疑問の目を向けた。


「心配いらない」


 微笑すら浮かべる余裕の態度で、カエルムは扉に触れていた掌を裏に返した。


 碧玉と珊瑚色の粒があしらわれた指輪が、白木に触れ、コツン、と小さな音が鳴る。


 それと同時だった。


 指輪をつけた手を中心に、まばゆい柔らかな光が溢れ出て、空間の隅という隅までを明るく照らし出したのだ。そして白木の扉の上では、指輪がぶつかったところから乳白色に輝くが雫の落ちた水面のように幾重にも広がる。


 唖然として眺めるロスの横で、カエルムは指先をごく軽く、白木の上で弾ませた。

 すると細糸ひとつ通しそうにない扉の四辺が静かに動き出した。

 扉はゆっくりと、わずかな音も立てずに内側へ下がり、板一枚分ずれたところで一瞬だけ止まった。すると次には、まるで糸で引かれているかのように左へ滑っていく。

 人が一人、悠々通れる間が開け、奥に向かって緩やかに傾斜した白亜の道が伸びていた。


「この先だ」


 一連の出来事に眼を奪われていたロスだったが、カエルムの一言ですぐに我に返り、足を踏み出した。


 その時、二人の後方からけたたましい足音がこちらに向かって近づくのが聞こえた。振り返って見れば、前にクルックス、そしてその後ろから、先ほど天球儀の部屋にいた官吏の一人が追ってきている。その差は見る間に縮まり、もういくらもせずにクルックスに追いつきそうだ。

 男との距離に気がついたのか、クルックスが振り返る。それと男が剣を振りかざすのが同時だった。


「先に入っといてください」


 カエルムが飛び出そうと足に力を入れた時、ロスがくるりと踵を巡らし駆けてくる二人に向かって床を蹴った。そして二、三歩でクルックスの目の前まで近づくと、青年の右側から、男との間に斜めに飛び込む。男の動きは、ロスの身体のせいでカエルムの位置から死角になったが、待つ間もなかった。ものの一秒のちに、男の上半身が床に倒れた。

 咄嗟の出来事に、クルックスは言葉が出ないようだった。肩で息をしながら、ロスの足元に転がる官吏を見下ろしたまま、その場から動かない。


「あ、大丈夫。気絶してるだけだから」


 相手を峰打ちした剣を鞘に戻しながら、ロスはクルックスを振り返って笑いかけてやる。


「悪いな、やらせて」

「殿下、入っていてくださいと申し上げたじゃないですか」


 まだ扉の前にいて二人の方を見ているカエルムに、ロスがわざとらしく不服そうに顔をしかめる。


「いや、峰打ちでもその者が倒れなかったらどうしようかと」

「冗談言わないでください。その程度の腕ではありませんよ、一応」

「知っている。冗談だ」


 クルックスは自分を挟んで交わされる言葉に首を左右交互に振るばかりである。カエルムはとりあえずロスとの会話を止め、青年に声をかけた。


「貴方も中に行かれるのでしょう。さあ」


 呼び掛けられてクルックスが頷き、ロスと共にカエルムの元へ走り寄ると、カエルムも足を返して開いた扉の中へ踏み込んだ。三人の身体がすっかり扉の内部に入ったのを確かめてから、カエルムはもう一度、指輪で軽く扉を叩く。そうすると、また先と同じ光を発しながら白板が動き、両側の壁の間に元通りぴったりとおさまった。


 それを確認すると、三人は奥を目指して再び走り出した。

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