抜刀

第三十七話 抜刀(一)

 カエルムの発言に、居並ぶ全員が息を呑み、驚愕が室内を支配した。凍りついた空気の中で、ただ一人カエルムのみが、目の前の男を見つめたまま不敵な笑みを浮かべている。

 驚いたのはロスも例外ではなかった。確かに国のしるしを衣に示す男は「王」と呼ばれ、自分のあるじも成人したテハイザ王と会うのは初めてと言っていたはずだ。

 場が固まっていたのがどれくらいの長さだったのか。誰一人として息も付かずに動きを止めた、その静寂を破ったのは大臣だった。

「聡明と誉れ高いシレア国のカエルム殿下ともあろう御仁が……何を、無礼なことを……?」

 眉間に刻まれた皺をいっそう深くし、唇を小刻みに震わせながら発せられた言葉は、呼吸の乱れのために途切れ気味になる。カエルムはちらと老人に侮蔑の眼差しを向けると、昂然たる口ぶりで答えた。

「王に謁見を願い出ているこちらに対して、全く別の人物を王と偽り会談を行おうとする。無礼なのは貴方がたの方ではないでしょうか」

「何を、馬鹿なことを……よもや長旅で、お考えが危うくなるほどお疲れが過ぎたのでは……」

「御心配をどうも。しかし私は至って正常ですよ。体の方は危うく昨日、誰だかの計らいで失くしかけましたけれどね」

 わなわなと震えたままの大臣を一瞥し、まだ驚きで立ち尽くしている諸官をぐるりと見渡すと、カエルムは改めて正面に向き直った。

「私の記憶が正しければ、テハイザ王家は代々、輝くほどの美しい黄金きんの髪と海の深さの濃紺の瞳をお持ちだ。この二つだけは、貴国のどの代にも途絶えることなく受け継がれておられる」

 天球儀の脇に立つ男がその紫の瞳を見開き、後ろに流した琥珀色の長髪がわずかに揺れた。カエルムの言葉の途中で何か言おうとした大臣の口は開いたまま固まり、周囲の諸官の間に動揺が走る。

「まさか、テハイザ王が養子だなんて話は聞いたことがありませんが。あれほど強い血が、そうそう薄まることもないでしょう?」 

 違いますか、と問いかける蘇芳の双眸には強い確信がある。長髪の男が「何を証拠に」とほとんど耳に届かぬほど小さく呟いた。それとは対照的に、カエルムはさっぱりと澄んだ声で続けた。

「貴国の優れた画伯による肖像画を拝見しました。実に類稀な芸術の才が数多あまたいらっしゃるようで、羨ましいものです」

 それで、と一呼吸置いた後、カエルムの瞳からすぅっと笑みが消え、鋭い眼差しが相手を射る。

「テハイザ王にお会いします。芝居は終わりだ」

 その言葉の最後の音と同時に、ヒュッという刃鳴りが空気を切った。踏み出そうと身を乗り出すロスの前に左手から影が飛び出す。カエルムの長衣が舞い上がり、紅葉色の布が宙で二つに切り裂かれた。

 硬い金属のぶつかる音が室内に響き渡り、大理石の部屋の床中央を、鮮やかな紅葉の布が彩る。

得物えものを持っていたとはな」

「昨晩、自室で熱烈な歓待を受けましたのでね」

 礼装の下から露わにされたカエルムの長剣と男の剣が、二人の眼前で交差する。後方に視線をずらせば、同じくロスが左右から襲いかかった男二人の刃を一本の剣でもろとも受けていた。剣で相手を食い止めている以上、下手には動けない。だが、こちらは二人。相手はざっと数えても悠に十二、三人はいる。周囲の者が自分たちに斬りかかるのは容易たやすい。現状を崩すなら、早いうちだ。

 刃越しに相手を睨みながら、四方に神経を走らせ、機を窺う。

 数秒、数十秒か。

 視界の端、ロスのすぐ脇で一つの影が動き、ロスと対峙していた男の上体がかしいだ。剣が床に打ち付けられる金属音が鳴りわたる。男の身体が鈍い音を立てて倒れ、同時に低い呻き声が上がる。それに連動してもう一人の男も均衡を崩し、剣を取り落とした。

「カエルム様!」

 クルックスが凄まじい敏捷さでロスと対峙していた男の足を払うと、即座に顔を上げ鬼気迫ってカエルムに叫んだ。カエルムの左では近衛師団長が、そして右と背後で別の官吏たちが静止を解いたのだ。しかしいま自分が剣を動かせば目の前の男に切られる。瞬時に判断が下せぬ間に、鋼の切っ先が三方向からカエルムに迫った。

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